2015年11月2日月曜日

ゴーダ経

シャカ族の在家信者では、知名度、地位ともに筆頭に来るのが、マハーナーマです。その名も「大名」の意ですから、本当の固有名称ではなく、シャカ族の王という意味での呼称だったのかもしれません(我々日本人が、今上天皇を「明仁(天皇)」などと個人名に基いて名指しするのをはばかり、「(天皇)陛下」と称号でお呼びするのと同様に)。彼が預流者であったことは有名だったようです。出家し真っ直ぐに修行に向かうお坊様方は、僕にとっては尊くかつ遥か遠く、眩し過ぎて直視できないような存在ですが、世俗人として、マハーナーマには色々と響くものを感じます。

そのマハーナーマが、同じシャカ族のゴーダに、いきなり問答をふっかけるのが、ゴーダ経です。

「ゴーダ君、他人を見て、その人が預流果に達したと判別できる、必要十分条件となるポイントはいくつあると思う?」
「3つのポイントです」
「その3つのポイントとは?」
「仏弟子(信者)がいて、その人が、仏陀を信仰し(仏帰依)、仏法を信仰し(法帰依)、仏弟子団(仏僧)を信仰する(僧帰依)。この3つのポイントを満たせば(三帰依)、その人が、預流果に達していると判別できます」
「ではマハーナーマ、あなたは、他人を見て、その人が預流果に達したと判別できる、必要十分条件となるポイントはいくつあると思うのですか?」
「4つのポイントだね」
「その4つのポイントとは?」
「仏弟子(信者)がいて、その人が、仏陀を信仰し(仏帰依)、仏法を信仰し(法帰依)、仏弟子団(仏僧)を信仰する(僧帰依)。さらに、禅定の下地となる五戒が身に付いている。この4つのポイントを満たせば(三帰依+五戒)、その人が、預流果に達していると判別できる」

ゴーダ君もしかし、相手が偉い「大名」様だからといって、俗世の問題ならばいざ知らず、仏教に関することで「はい、そうですか」と簡単に譲るわけにはいきません。彼には自分の三帰依の揺ぎない念は本物だという確信があるからです。

「ちょ、ちょっと待ってください。釈尊ならば、正しい判別方法をお知りでしょう」
「では、ゴーダ君、釈尊の所に行って、この件について相談しようではないか」

二人は、釈尊の所を訪れると、二人のそれぞれの「他人が預流者であると判別するポイント」に関する見解についてと、それで釈尊の元を訪れることになったという経緯を、説明します。

ところがここで、マハーナーマの“フライング”が起こります。あらましを説明し終ったかと思うと、マハーナーマ、釈尊に向かって告げます。

「尊師よ、ある一つの物事を巡って、師一人と、師以外の全ての比丘との間で意見が異なっていた場合、私は師の意見の方に従います。このように信仰していることをお知りおきください」
「尊師よ、ある一つの物事を巡って、師一人と、師以外の全ての比丘・比丘尼との間で意見が異なっていた場合、私は師の意見の方に従います。このように信仰していることをお知りおきください」
「尊師よ、ある一つの物事を巡って、師一人と、師以外の全ての比丘・比丘尼・男性在家信者との間で意見が異なっていた場合、私は師の意見の方に従います。このように信仰していることをお知りおきください」
「尊師よ、ある一つの物事を巡って、師一人と、師以外の全ての比丘・比丘尼・男性在家信者・女性在家信者との間で意見が異なっていた場合、私は師の意見の方に従います。このように信仰していることをお知りおきください」
「尊師よ、ある一つの物事を巡って、師一人と、師以外の全ての比丘・比丘尼・男性在家信者・女性在家信者・天神・魔神・梵天神・出家者・人間・天使との間で意見が異なっていた場合、私は師の意見の方に従います。このように信仰していることをお知りおきください」

どわーっと怒涛のごとく、釈尊以外のこの世の全ての存在を敵に回しても、釈尊の意見に従うと、強烈な信仰告白をするわけです。釈尊が審判だとすれば、審判を懐柔する“暴挙”に突如打って出た──というのが、まあ、第三者がこのエピソードを読む分には、思ってしまっても仕方ない流れです。

そもそも、三帰依が必要条件となる点では、ゴーダ、マハーナーマ両者間では一致していて、それに4つ目のポイントの、「五戒も必要なのかどうか」が論点となるはずだったのではないでしょうか?

マハーナーマは、その三帰依の三点セットの型をいきなり崩してきて、仏陀と彼の説く仏法にあくまでも従い、僧帰依については、仏帰依と法帰依に調和しない場合は省みなくてもよいと(も受け取られるような意見を)、堂々と言い放ったわけです。

仏典を、字面の情報としてしか、読み取れない人の場合、結論として「三帰依だけで必要十分条件とするか」「三帰依プラス五戒で必要十分条件とするか」という、結論情報だけを追います。すると、このマハーナーマの突然の“フライング”的信仰告白と、次の釈尊の短い応答、ゴーダの感想で締め括られる、三者のやり取りの流れが、よく見えてこないでしょう。

これを受けた釈尊は、審判として、判定を下すようなことは、全くしません。ただ、静かに、ゴーダに確認のために意見を求めるだけです。

「ゴーダよ、マハーナーマに、何か言いたいことはありますか?」

ゴーダは、何も反論することはないと言い、ただ、「素晴しいことです。ただただ歓喜するばかりです」と気持を表わし、この短い経典は幕を閉じます。

この三者の間で交わされた最後のやりとりは、いわゆる「不立文字ふりゅうもんじ」的なるものと言えると思います。禅かぶれの人がよく振りかざしたがるように何か形而上的な摩訶不思議な概念を悟って不立文字という意味ではありません。ゴーダがなぜ、これで納得したのでしょうか? それがわからない限り、この一連の流れは、どうも腑に落ちないものとなるでしょう。またそういったことを何も明記せず、このあっさりした、三者のやりとりの様子だけで済ませている、この経典の記述方法の物凄さです。不立文字、「わかる人はわかるから、これでいいのだ」という(テーラワーダの)経典伝承者の明確な意図です。他人が預流果かどうか判別する方法の話など、もうどうでもよくなってきて、ただこのやりとり(とその記述スタイル)に圧倒されるばかりです。聖者たちの間で交わされるやりとりというものが、かくもあるものなのかと。

釈尊はもちろん、正自覚仏である阿羅漢(聖者)ですし、マハーナーマは有名な預流果(聖者)の在家信徒です。ゴーダに関する情報は少ないので寡聞にしてあまり知らないのですが、どうやら彼もマハーナーマ同様の預流者とされているようです。おそらく、彼は、このエピソードの始まりの時点において預流向(預流果の予備軍の段階)であり、終わりの時点では、預流果(聖者)に達していたのではないかと思います。

蛇足:結論情報的には、三帰依は、預流向の必要十分条件であり、三帰依プラス五戒は、預流果の必要十分条件と言えると思います(これらはあくまでも外部から他人の様子を見て客観的に判断する時の目安であって、当人が預流果を悟ったかどうか云々、こうすれば悟れる云々とは基本的に別の話です)。とはいえ、単なる結論情報面でも恐しいくらいに整合性が整っているのがわかります(実は、マハーナーマの意見も、三帰依を少しも損なっていません。その意見に従うかどうかという点だけであって、僧帰依をないがしろにする話とは別だからです)。

2015年7月12日日曜日

奴隷または畜生道、そして出家

求道

『創世記』は「創造」、「形成」、「活動」の三「世界」がいかにして存在するに至ったか、および人類がいかにしてこの自然の領域に降臨したかを描いている。『出エジプト記』(註:『旧約聖書』中、『創世記』に続く一書。モーセがイスラエルの民を率いて、奴隷状態に置かれていたエジプトから脱出する物語。ここで「神」はモーセを通して「律法」を与え、「幕屋」の建て方を教える。カバラでは『創世記』に次いで重視されている。)は、その「源泉」への登攀、帰還を問題としている。『セフェール・トーラー』(この書名は「教えの書」を意味し、多くの人が思いこんでいるような「律法」ではない)は、『旧約聖書』、とくに『モーセ五書』(註:『旧約聖書』の最初の五巻、『創世記』、『出エジプト記』、『レヴィ記』、『民数記』、『申命記』を指し、アブラハムの召しからモーセの死に至るまでのイスラエル人の苦闘が物語られている。この『五書』はユダヤ教の中核であって、後世のあらゆる律法はここから導き出される。『トーラー』ともいう。)の中に埋めこまれた教義である。この教えは古代の宇宙的神話、民族的伝説、律法の枠組の中に織りこまれており、直接人間の置かれた状況に関連している。『トーラー』にはわれわれが生まれついて初めて気づくこの地上世界の諸条件や、われわれの故郷である「約束の地」に帰るための方法が、象徴的な形で描かれているのだ。

ユダヤ教には二系統の『聖書』の知識がある。ひとつは書物であり、もうひとつは口伝である。前者は『聖書』の正典の中に組みこまれており、後者は『タルムード』(註:ユダヤ教徒が厳守しなければならない規範、法律、道徳を記した律法と伝統の集大成本。主として『モーセ五書』つまり『トーラー』の注釈より成る。その中央には注解文(ミシュナー)が、その周辺には口伝文(ゲマラー)が置かれている。ここに記された規範を破るものはユダヤ教より破門される。)に関するラビの注釈の中で暗示されている。『タルムード』は数世紀にわたって成文化されてきたが、それをいまだに口伝と呼ぶ人がいる。真の口伝の継承は、師から弟子に直接伝授されたものである。師は弟子と秘教的な関係を結んでおり、その関係は霊的次元における理解に基づいている。これこそカバラの正道である。カバラとは「受け取ること」を意味するからだ。こうして伝授されたものは通常、聖書的寓意の形に鋳込まれる。こうして正統な伝統を受け継いでいる大半のカバリストは、深く『聖書』に通暁するようになるのである。

ヤコブ(註:ユダヤ一二支族の祖。イサクの子でエサウとは双子の兄弟。一二人の子をもち、そのひとりひとりが一二支族の族長となる。後にイスラエルと名を換えたので、その子孫は全てイスラエルの民という名がつけられた。天使と闘ったこと、天に通じる「梯子」の夢を見たことで有名。)の家族がエジプトに下る物語は、魂の受肉をあらわしている。エジプトを意味するヘブル語の名前は「ミズレイム」であるが、これは「閉じこめられた」とか「限られた」という意味である。魂も受肉によって閉じこめられ、限られる。その本来の住み家はエデンの園(「イエツィラー」の世界)だからである。この下で、すなわちエジプトで、魂は奴隷状態に置かれ、しばらくするとその本来の故郷を忘れてしまう。しかし、ふだんは、肉の重みや仕事、苦痛、快楽に没頭してはいるが、ときどき澄み切った瞬間が心をおとずれて、あのもうひとつのもっと自由な場所、魂の郷里をぼんやりと思い出させる。おおかたの人びとの場合、この現象は、情熱や野心に心を奪われるにつれて、青年期には消えてしまう。子どものころ切に求めた避難所は、仕事とか、家族とか、ありふれた関心事に忙殺されるにつれて、見失われてしまうのである。とはいえ、ある種の人々にとっては、それがまったく失われるわけではない。彼らは、もうひとつの世界のかすかな記憶を呼び起こす助けとなる場所や、人々を探し求める。大部分の人はそれが書物に書かれていると思いこむ。だが、残念ながら、詩人や預言者の見たものは、書物のページの上ではそのかすかな残像にすぎず、あの遠い国に帰る道を指し示す地図や道標にはならない。こういう人々は、他の人からは変わり者と呼ばれるが、それでも奴隷であることに変わりはなく、いまだに大勢の仲間と同様、肉に縛られているのである。だが、彼らはとりわけ不幸な存在である。自分たちが奴隷であることを知っており、しかも身のまわりの者のように、日常生活というゲームに興じて単純に我を忘れることができないからだ。そこで逃亡を企てる。生きることには、植物のように栄養を摂取したり、繁殖したり、また動物のように群れをなしたり、縄張り争いをしたりすること以上の目的があると考えるからである。

このような変わり者は、若きモーセのようにその社会から脱走する。モーセがエジプト人を殺した話(『出エジプト記』第二章一一節‐一二節)は、植物的、動物的次元との関係を断ち切る象徴的行為である。聰明で、特権を与えられた人間であり、エジプトで高い地位をもっていたにもかかわらず、彼はあえてこのような行為に及んだのである。彼が砂漠をさまよったことは、ユダヤの民話に詳しく書かれているが、これはどの時代にもいる多くの脱落者になじみやすい話であろう。のちに彼の義父となり、霊的な師ともなるイテロとの出会いについても同様である。『タルムード』に残された物語によれば、モーセはイテロの娘をめとる前に、いくつかの杖を地中から引き抜くことを命じられたという。これは秘教的文献では、密儀参入の試練としてよく知られていることであるが、もっと先の教えを受けるためにはそれが必要だったのである。

「燃える柴」(『出エジプト記』第三章)の事件は、ラビの説くところによれば、イテロのもとでの数年間の修行の頂点である。これは、内面の完成に向かって、ある決定的次元に到達した人間に与えられる「恩寵」の状態を意味する。同時に、彼は責任も与えられるのである。モーセが、エジプトに帰って使命を実現するのを最初は嫌がったというのも、同様に典型的な出来事である。最初は自己の意志が「神の意志」に逆らうのである。だが、やがて「神」に心服するときがきて、「わが意志ではなく、主の意志が行なわれんことを」と言うようになる。モーセはこの運命を甘受して、彼の民が隷属の家から逃れ、乳と蜜の流れる国、すなわちより高次の世界へ帰るのを助けるために戻る。個人で言えば、これは内的には自分自身の修行ができていない部分を矯正し、外的には密儀参入を求める他人を教えることを意味する。

『出エジプト記』の寓意は、カバリストにとって、大きな個人的意味をもつ。それは地上の生活と霊的向上の諸条件を語っているからである。人間は非常に厳しい物質的な存在の諸法則のもとに生まれるので、カバラを学ぶ準備ができる前に、生きのびるためのさまざまな技術や知識を身につけなければならない。師が成熟に達しない弟子を受け入れないのも、そのためである(成熟とは、伝統的に言われている四〇歳を意味するわけではない。もっと若くして死んだ偉大なカバリストもたくさんいる)。その後、彼は長期にわたる訓練を受けなければならない。モーセがイテロの羊を世話したことは、それをあらわしている。その訓練とは、肉体と心の中にある本能や衝動を支配する方法を学ぶことと見てよいだろう。「燃える柴」の話は、人が自身の内部で「神」と直接的に接触し、自分の使命を達成しはじめるために、その師と別れなければならない瞬間である。だが、これは最初の霊的覚醒の段階からかなりの歳月がたって行なわれる。

エジプトの束縛から逃れたいという最初の欲求は非常に強いが、実行する能力はない。多くの感じやすい心は、そこで自由の探求を諦め、人間の身でまた植物的、動物的状態に沈んでしまい、求道に対して冷笑的になり、もっと悪いことには悪魔的になる。というのは、彼らはまわりにいる人々よりも、実際に多くのことを知っているからである。『民数記』(註:『旧約聖書』中の一書。エジプト脱出後二年を経過したときからカナンへの入国までの三八年間の歴史を主題とする。書名は「民の人口を数える」という意味。この間、民の不平不満が高まり、反乱と処刑が続いてモーセとその後継者ヨシュアを悩ませる。)に出てくる魔法使いバラームは、この種の人物をあらわしている。求道者は彼らのひけらかす知識のとりこになるかもしれない。しかし、時がたつにつれ、また利己的行為を重ねていくうちに、そのような人物が霊的知識を魔術的な力に転換していることがわかるはずである。このような出会いは訓練に不可欠なものであって、「摂理」によって仕組まれていることなのである。この体験を通して、彼は真の求道者とは何かということに強烈な関心をいだくようになる。

「摂理」という現象は、求道者が高次世界に入る扉を求めているうちに、次第に明らかとなってくる。そのうち、ある書物が決定的な瞬間に現われたり、あとになって秘教の伝統と結びついているとわかる人物に邂逅したりする。モーセの場合、イテロの娘たちが土地の羊飼いにいじめられていたときに、この幸福にめぐりあったのである。これは「摂理」がその時になってみなければめぐってこないという一例である。このような出会いによって、ただちに師資相承に導かれることもあるが、たいがいは導師との長年にわたる対話を通して伝授される。この間、求道者は自分が密儀参入の候補者として試験を受けているのだということに気がつかないことが多い。このような方法は、カバラをはじめとするいろいろな伝統の中で用いられている。この種の伝統が秘教とか密教と呼ばれるのも、そのためである。たとえば、あるポーランドのラビは、自分の師の職業すら知らされなかった。資格のある者だけに教えを伝えるというこの技法を通じてカバラを学んでいたからである。探求の道の次の段階は、求道者に教えを授ける人は自分自身の教えを伝えているのではなく、太古に遡る教えの連鎖の末端に連なっているのだと気づくことである。専門的にカバラを研究する学者に多いことだが、彼らはこの現象を見て当惑する。この内的作業と生きた伝統の仕組みについて、書物になっている典拠は皆無に等しいからである。だが、このことがまさに「口伝」の真の意味なのである。

カバラにはいくつかの流派があり、何百年と続いている。ときにはその秘教的集会の記録を残したり、理論と実践についての書物を伝えたりすることすらある。しかし、これらの知識はたいてい秘教的な出来事が起こってからかなり長い時間がたったあとで初めて公けにされる。このような結社は、正統的な宗教が継続的に発展してゆくのに対して、時代の要請があったときにだけ表面に現れるからである。たとえば、一三世紀のスペインのヘローナには、大きなカバラの流派があったことが知られている。一六世紀のパレスチナ、ゼファトにも別な流れがあった。だが、この場所で大量の書物がつくられていたにもかかわらず、その内的な教えはほとんど伝わっていない。その上、すべてのカバラの流派がかならずしもユダヤ教徒ではないのである。まったく『聖書』を問題にしないものすらある。中世のフランス、フランドル地方、イタリアではキリスト教的カバラやオカルト的カバラが行なわれていたし、一七世紀のドイツや一八世紀のアメリカでも知られていないわけではなかった。さらに言えば、カバラは原理的にはあくまでユダヤ教の伝統であるけれども、イスラム教やキリスト教の神秘主義にも影響を与え、またその双方から影響を受けている。だが、残念なことに、カバラはユダヤ人にも非ユダヤ人にも魔法的行為として誤用されるとともに、一七世紀の救世主的人物、シャバタイ・ツバイ(註:一七世紀にトルコのイズミールに現われた偽メシア。当時オリエント、アフリカ、ヨーロッパで苦しんでいたユダヤ人はみな彼の熱狂的な信奉者となった。しかし一六六六年、イスラム教徒に捕えられると、多くのユダヤ人の期待を裏切ってイスラム教に改宗してしまった。)の何人かの後継者たちによって一知半解的に適用されもした。そうしたことがこの「伝統」の名を汚したのである。しかし、ともかく太古から伝わる霊的知識の伝統が有為転変を経て現代にまで生き残ることができたのは確かである。いわゆる科学的理性の時代が押しよせてきても、それが現代の求道者に必要とされるかぎり、現代的な装いをこらして出現するのを妨げるものは何もない。

束縛からの解放を求める内的な旅に話を戻そう。ある個人が向上のある一点に達したとき、彼または彼女は人生には人々が楽しんでいるゲームよりもずっと面白いことが存在するのだということに気づく。そして、この高次世界の作業に参画したいという望みが生まれる。そのとき、よくあることだが、これまでの生き方をまったく変えてしまう。目ざましいことが起こるのである。このことは「紅海の渡渉」という物語によって象徴されている。仕事や人間関係などに思いもかけない変化が生じ、もう引き返せなくなる。人生や性格がすっかり変わってしまうのである。このような出来事ののち、彼はもはや単に霊的向上について考えたり、読んだりしているわけにはいかなくなる。本当にコミットすることが必要になるのである。こうなったとき、たいていは霊的指導者との結びつきが生まれ、その導きにより、ある結社に加入することになる。そこで、その人物は同じ道を行く他の同志と真の出会いをして、共同の作業に入ることができるのである。『出エジプト記』はここで初めて生きた実感となる。このとき、人は心という砂漠を突切って霊の故国に帰る旅の第一歩を踏み出すのである。

ゼヴ・ベン・シモン・ハレヴィ『ユダヤの秘儀──カバラの象徴学』(東京、平凡社、1982年)p63-66

ユダヤ的表現による、畜生道と、出家の描写であると考える。

さらにはまた、悪魔的な人というのは、仏教でもそのまま、他化自在天の境地に達した悪魔(マーラ)のことであり、欲界という動物的な生存欲(五欲)の支配する領域からあと一歩で自由になれる境地に達しながら、欲界的な欲求(五欲)を捨てられずその高い境地の力を他人の修行の邪魔に悪用する者のことである。この領域を超えた梵天界の境地は、出家者のみが踏み入ることのできる領域である。

2015年6月16日火曜日

Huawei Speed Wi-Fi NEXT W01 とケース(ポーチ)

UQ WiMAXの WiMAX 2+ に対応した Huawei 製ルーター Speed Wi-Fi NEXT W01 を購入した。

WiMAX 2+ の速度規制(3日間3GB)を恐れる人たちは、WiMAX 2+ 専用機であるこのルーターを避けるので、あまり流通していないのだろうか。自分はそのような速度規制が気になるような使い方をするわけではないので、接続の安定性を最重視して、このルーターを選んだ。そういう意味においては逆に W01 は“玄人向け”である。速度規制が怖いのであれば、ともかく、Huawei 製ラインナップでは旧式の HWD15 に逃げておけばよい。

W01 が速度規制にビビらない“玄人向け”なのは元々承知の上で選んだわけだが、多数のユーザーが敬遠し過ぎて流通していないことについては、一つだけ困った点があった。それは、W01 用のケースがほとんど発売自体されておらず、選択の余地が極めて少ないという点だ。

Amazon で探しても、比較的高価なレザーケースタイプ(PALCW01S/BL , PALCW01S/BL/RD, i.s.m.)か、見た目があまりカッコよくないビニールのようなケースの3種類くらいしかない。特に価格(約2000円〜4000円)がネックである。

W01 の専用ケースで探しても、ピンとくるものが見つけられそうにないので、W01 のサイズを元にして、散々探し回ってみたら、エレコムの汎用の 4 インチスマートフォン用のポーチ型ケース P-01SNCBUL に行き着いた。

信頼の日本企業、エレコム(ただし本製品は中国製)、お値段も 719 円!(筆者購入時)

早速、購入してみた。W01 はマリンブルーの方のものを持っていたので、ポーチの色はライトブルーを選んでピッタリの色合わせ。

サイズも完璧フィットです。

注意すべき点は一つ。ポーチに入れた状態だと熱が籠ってしまうので、使用時にはできるだけケースから外に出した状態で使った方がよいということ。移動中にカバンに入れている時に、通信もしたいような場合は、致し方ないですが……

2015年4月16日木曜日

Android / Java プログラミング学習要領

  1. まずは、Eclipse を使った純粋な Java プログラムを、Main クラスの main メソッドのみで、非構造化の一直線のプログラムを書くことに習熟する。
    これは、BASIC や Perl 等のスクリプト言語による CUI 環境メインでコーディングしていた時代に、プログラミングスキルを身に付けた人と同様の観点でプログラムを学べることを意味する。構造化・オブジェクト指向化以降のパラダイムを見よう見真似で、何の尺度もなく出鱈目に関数・メソッド化すると、目も当てられないスパゲッティコードになるのがオチだからである。
    そして、グローバル変数は使わないで、ローカル変数をデフォルトで使う姿勢を身に付ける。変数を初めて使う場所で、型宣言を付ける。ループブロックや条件分岐ブロックの外でも使う変数の場合は、それらのブロックの外側の直前で宣言する。この点、デフォルトがグローバル変数でローカル変数が特殊という古い言語のやり方に対して、デフォルトがローカル変数でグローバル変数が特殊という捉え方は、後にオブジェクト指向に進むために逆転させておく必要がある感覚である。Java は仕様的にそうなっている点である。
  2. とりあえず、main メソッド内に、一直線構造のプログラムを完成させられるようになったら、MVC(Model / View / Control)によって、入出力に関する部分だけ、メソッド(関数)化して、main メソッドから分離してみる。こうすることによって、後程、Android 環境に移植しても、main メソッドのロジカルなルーチン(Model 部)はそのままコピー&ペーストで利用でき、入出力の部分(Control 部と View 部)のみ、Android の API に合わせて書き換える作業と学習を行えばいいからである。これはまだ構造化(メインルーチン⇔サブルーチン)の話であり、この段階でオブジェクト指向のことは気にしてはいけない。
  3. (……以下続く……)

2015年4月15日水曜日

Blogger のラベルページの表示投稿数

1ページあたりに表示する投稿数は、ダッシュボードの「レイアウト」の中で変更できるのはいいのだが、ラベルごとの表示にした場合の投稿数には影響しない。

調べてみると、「クリボウの Blogger Tips」に方法が紹介されていた。

  1. ダッシュボードの「テンプレート」から、使用中のテンプレートが一番上に表示されているので、その下の「HTML の編集」ボタンを押す。
  2. ラベル(<b:widget id='Label1'>)は HTML で定義されたコードの最下部の方にあったが、テンプレートによって異なるだろう。また、デフォルトでは折り畳まれているので、「▼」を何回かクリックしてブロックを展開して内側のコードを表示する必要がある。
  3. 目的の箇所 <a expr:dir='data:blog.languageDirection' expr:href='data:label.url'>(複数箇所あり)を <a expr:dir='data:blog.languageDirection' expr:href='data:label.url + "?max-results=3"'> に変更して投稿数を 3 にした。
  4. テンプレートを保存する。

確かにこの方法で上手く行った。クリボウさんありがとう。

追記

上の手順で反映されるのは、サイドのタグの一覧だけで、各投稿のフッターのタグには反映されない。フッターのタグも操作するには、HTML で定義された別の箇所も、同様に修正する必要がある。

  1. <b:includable id='post' var='post'> ブロックの中にある、expr:href='data:label.url' も expr:href='data:label.url + "?max-results=3"' に変更

2015年4月12日日曜日

カピラ宮

範囲としては、現代のアフガニスタン全域とイラン東辺部までを含む領域が、シャカ族の勢力圏だったというのがラナジット・パール氏の説。

そして、カピラ宮そのものの位置は、考古学的に発見されている史跡の中から比定すると、イラン東辺シースターン州の Koh-e Khaje (Kuh-e Khwaja) 遺跡であるとしている。

Kuh-e Khwaja was Kapilavastu.
Gotama Buddha and the Nepalese Bluff in World History

Google の衛星写真によるところのその「黒い山容」と「脇の岩窟院」の姿はイシギリ経の舞台となる「仙人山脇の黒岩窟(イシギリ・パッサ・カーラシラー)」という名称が良く当てはまる気もする。イシリギ山はラージャガハ地域周辺に存在する五聖山のうちの一つである(中国の「五山」という概念もこれが起源であろう)。ということは、厳密には、これ自体はカピラ宮(=バビル=ラージャガハ?)そのものではないのかもしれない。

パール氏は、最終結論としては Koh-e Khaje 遺跡自体をカピラ宮としているものの、考察の過程で、カブールやザーボルという地名も「カピラ」との名称の関連性を主張している。パール氏の説に対する修正としてここで仮に「Koh-e Khaje 遺跡自体はカピラ宮ではないが、カピラ宮と極めて関連性の高いイシギリ山である」とすれば、カピラ宮自体は、Koh-e Khaje 遺跡のすぐ近くの都市ザーボルであるとしても良いのかもしれない。

がしかし、シャカ族の勢力圏が、現代のアフガニスタン規模の領域であり、その中にラージャガハを中心として五聖山が存在していたという観点から見れれば、無理にザーボルほどイシギリ山に近い場所をカピラ宮とする必要はない。むしろ、ザーボルはイシギリ山に付属する門前町的な集落という程度の認識でいいのかもしれない。

やはり、カブールがカピラ宮であるとしても、蓋然的に無理は少ないと思う。カブールはカイバル峠に臨む地理的な要所であり、パール氏が考察の過程でナーランダーと比定している Mes Aynak 遺跡と隣接している。また、仏教の極めて重要な史跡のあるバーミヤンもその北部に位置する。カピラ宮が首都的な都市であったのであれば、ナーランダーのような、サーリプッタ長老の出身地であり、後の仏教の学問的な中心僧院として栄え多くの僧を擁した僧院が、大都市近郊にあることは非常に自然である。一方、イシギリ山の方は、独覚仏陀たちが住んでいたという伝説があったり、苦行を喜ぶジャイナ教徒たちが修行に専念していたりと、むしろ人里離れた立地イメージが似つかわしい僧院である。

そもそも、パール氏が考察するように、カブール、カピラという名称は、英語のカッパー(銅)そのものを意味する名称であって、Mes Aynak 遺跡付近一体は、世界でも有数の埋蔵量を誇る銅鉱山であり(そのために現在、アフガン政府から権益を得た中国系企業の開発によって山塊まるごと破壊される危機に瀕している)、また成道後の釈尊に最初に帰依した二人の商人のうちの一人であった Trapusa が「青銅」を意味する名を持つこと、おそらく彼がナーランダーを最初に設立したのではないかというパール氏の推察からも、銅とカピラ宮は非常に結び付きが強い。このせっかくの考察が、Koh-e Khaje 遺跡をカピラ宮と結び付けるとなると、銅鉱山との関連性という材料が関わらなくなってしまう。

素直に、カブールが、カピラ宮ではないかと思っておいて良いのではないか。

ちなみに、パール氏は、Trapusa は、ナーガ族であろうとも言っている。確かに、釈尊の庇護者として、ナーガ王が挙げられる。成道後最初に帰依した Trapusa(を代表とする銅鉱山ギルド)が、庇護者ナーガ王として表現されているとしても自然である。

また、詳しくは他の機会に譲るが、銅の精錬のような金属精錬技術は、古代より、宗教と非常に結び付きの深い文化である。すなわち錬金術の伝統である(パール氏がデーヴァダッタの派閥と比定するゾロアスター教も金属精錬技術と結び付いた拝火宗教である)。さらに、私はシャカ族はスキタイ族と比定しているのだが、スキタイはヘラクレスが、下半身が蛇である蛇女との間にできた子供の子孫という伝説がある。つまり、元々ナーガ(蛇)をトーテムとする人々とのつながりが深いのである。そして、シャカ族とヘブライのダン族との関連性もパール氏の指摘するところだが、ダン族のシンボルは、やはり、蛇である。おそらく、スキタイがヒクソスとして(ヒクソス=甘蔗王イクシュヴァークさらにヘブライのイサクでもあると私は比定)一時的に侵入して関りを持ったエジプト人にルーツを持つ人々ではないかと思われる。スキタイ神話にシンボライズされるように、騎馬戦士階級と、金属精錬に秀でた技術者階級を中心とした複合的な民族がスキタイ(シャカ)族であったものと思われる。このことは、仏教における商工階級の存在感の強さ(バラモン教は対して、農民と領主という地縛・保守的な性質をもつ)を説明できるし、私が仏教のパラレル伝承であると考えるジャイナ教の「マハヴィーラはヴァイシャリー(商人国)の王子であった」という設定とも強く関連する(マハーヴィーラの名は、マハーヴィルハということで、ヘブライのダン族のルーツである下女ビルハの血筋の長であることを意味している。母親の名が冠されているということは、父親はダン族ではなく、異族間婚姻の結果生まれた王子であることを意味しているのだろう)。

これも、話を発展させると、他の機会に譲るべきだが、パール氏が指摘するシャカ族とヘブライのダン族との結び付きのみならず、私は、ヘブライ民族自体が、シャカ=スキタイ族であり、シャカ族の勢力圏である現代のアフガンとイラン東部の領域が、ヘブライ民族にとっての約束の地、真のイスラエルであったと考える。つまり、カピラ宮=バビル=カブールは、真のエルサレムであることを意味する。厳密には、この領域は南ユダ王国に相当する。ダン族は、元々、南ユダ王国を構成するユダ族・ベニヤミン族(=バーミヤンと私は比定)の西方のペリシテ(=ペルシアと私は比定)との境界付近を拠点としたが、これは先述のイシギリ山のあるザーボルの付近であろう。ザーボルのやや南に、ザーヘダーンという地名が認められるが、ダン族に因むものの可能性がある。ペルシアの圧迫に抗し切れなかったダン族は、北上してイスラエル勢力圏の最北端に移住する。南のユダ王国に対して北は同じくヘブライ民族のイスラエル王国があったが、そのイスラエルの首都はサマリアであったので、これはサマルカンド(アフガニスタンに北接するウズベキスタンの首都)であると比定できる。つまり、その北イスラエル王国の北辺地域であるから、一部の人々はカザフステップに逃亡したということで、他方は、そのままペルシアに属国民として組み込まれたと考えられる。

北イスラエル王国は先にアッシリアに滅ぼされ、南ユダ王国は後に新バビロニアのネブカドネザル2世によって滅ぼされる。つまり、ダン族系シャカ族は、南ユダ王国系シャカ族よりも先に独立を失い、メソポタミアの世界帝国に組み込まれ、シャカ族としてのアイデンティティは混血によって低下していたものと思われる(南ユダ王国の人々からは、失われた10部族の系譜の人々は軽侮されていた)。後に、釈尊のダン族の親族であるコーサラ国のヴィルダパ王によって、カピラ宮は攻め滅ぼされるが、ヴィルダパが激しい敵愾心を燃やしたのは、カピラ宮で宮廷の人々から下女の子と侮辱されたからとされる。つまり、失われた10部族の一つで多民族との混血で純血性が失われているばかりでなく、さらにダン族は確かに下女ビルハの血筋だからである(「ビルハ」の名前と「ヴィルダパ」の名前にも関連性を認められる「ビルハダッタ」というような意味であろう。母親の名は「ナーガムンダ」であり、やはりナーガ族(エジプト人)とダン族とのつながりを示唆している)。釈尊自身もダン族の族長の血筋であるから、ヴィルダパ王に滅ぼされたカピラ宮のシャカ族の王族は、特に釈尊の直接の親族というわけではなかったはずであり、釈尊がヴィルダパを制止しようとして「親戚の陰は涼しいものである」と言ったのは、スキタイとしての民族的な意味での親戚を表わしていたということがわかる。また、釈尊は、カピラ宮のシャカ族は過去の業ゆえ滅亡を免れないと結論し、制止を最終的に諦めたが、この業とは、川に毒を流して多くの生きとし生けるものを苦しめたこととされる。明治期の日本における足尾銅山の鉱毒事件のように、カブールの銅鉱山からの鉱毒による深刻な水質汚染であったと見て間違いない。