2019年4月9日火曜日

植松聖の「考え自体」は日本人としてそれほど珍しくもない

今日のニュースで、相模原障害者施設殺傷事件の犯人植松聖についての神奈川新聞の記事が出ていた。この手の「マスメディアが騒ぎ立ててどうにか一般人の情緒を陰惨な事件に巻き込もうとする」系の事件にはあまり関心を持たないようにしているので、当時からニュースの見出しを目にする程度で、あまり積極的には事件に関する記事内容を読んだりもしなかった。

まあ「典型的なサイコパスの起こした事件の一つ」とラベリングして終わり。

ところで、この記事で紹介されていた、入れ墨の原画のような植松のイラストを目にして、何となく「ヤクザのようなギラギラとした美意識」を感じずにはいられなかった。植松はその美意識からくる衝動にまかせて破滅的な犯罪行為に走ってしまったわけだが、こういう系のヤクザっぽい精神性を表向きは反社会的行為には向けない形にしておいて、そういう性質自体はもてはやす風潮は元々日本の一部の連中にあると思う(例:北野武監督の映画)。

このほとんど生理的な肌感覚次元の潔癖症のような嫌悪感というのはどこからくるのか? どんなホロスコープなのかと調べてみたら、案の定、地の星座(のうちの一つである山羊座)だった。それも太陽星座だけの話で収まらず、極端に星が地の星座(山羊と乙女)に偏っている……

それはともかく、彼が彼なりに一方的(一方性は地の星座ではなく活動宮の特徴)な自己正当化をする思考回路において、「障害者の家族でも、障害者本人の存在を負担に感じている人もいる」というもので、これは特に間違ってはいない「一つの考え」である(だが、正しいわけでもない、というのがミソ。信教の自由のようなもので、一つの個人の考えとしては、それはそれで構わない。社会で実際に現実化して押し通す場合に問題となる。イスラーム原理主義のようなもので、そうなると「信教の自由」すら相容れなくなってきてしまう)。

なので、脳味噌お花畑の左翼メディアのような「心の中でそういう考え、価値観を持つこと自体が、おかしい」みたいな良い子ぶった論調で植松のことを曝し上げても、ちょっとちゃんちゃらおかしいんじゃないの、とは一方で思う。誰かが植松同様の価値観を持つこと自体すら許さないというのなら、イスラーム原理主義のような宗教ではないけど、マスメディア原理主義による、これまた別の原理主義による「信教・内心の自由」に対する暴力であり、イスラーム系少数民族に対して豚肉を食わせる拷問を行なう中国政府のようなものだ。

植松のようなサイコパスは一定数が社会に現実に存在するのである。

問題は、心の中の理想を、現実世界に押し付けてくることである。植松聖しかり、イスラーム原理主義しかり。マスメディア原理主義しかり、共産・社会主義による思想統制しかり。押し付けがあると、抑圧された側もまた、押し付け返そうとしてテロリズム的手段に訴えて暴発を呼ぶだろう。


さて、以上のこととは全く別に、何の気なしに、兵庫県西宮市にある甲山のことをふと思い出して、wikipedia を調べてしまった。あれって、もしかして巨大古墳じゃないのか、巨大ピラミッドみたいなものだったりしないのかと、冗談めかして。

実際は、巨大な火山のマグマ溜まりが地下でそのまま冷えて固まった安山岩が、他の山体の部分が侵食された後、剥き出しになって残ったものだということを、今回初めて知った。

へーっ、と思ったりしてそのまま wikipedia を読み終えたが、一番下の関連項目に「甲山事件」というものがあったので、さらにクリック。

古い冤罪事件のようだが、知的障害者施設での知的障害児の事故死に関する事件とのこと。中にこのような記述があった:

被害者女児と被害者男児の両親は、「管理責任が欠けていたために子供を死亡させた」として社会福祉法人甲山福祉センターを相手取り、精神的苦痛を理由に合計3367万円の損害賠償を請求した。この裁判では原告が勝訴し、社会法人福祉センターは被害者両親に合計1133万円を支払うことになった。裁判中に甲山福祉センター側が「知的障害者死亡によって、両親は苦労を免れたため、精神的苦痛を理由とする損害賠償は筋違い」と主張したため、知的障害者を育成する立場にある者が知的障害者の生存を軽視した差別発言として人権派の間で問題視された。

植松のその「考え自体」は、昔からそんなに珍しくもないわけである。

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