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縁起説

アッシジ長老がサーリプッタ長老に語ったとされる句: Ye dhammā hetuppabhavā, tesaṃ hetuṃ Tathāgato āha tesañca yo nirodho; evaṃvādī Mahāsamaṇo. なぜか「諸法(事象・現象)が縁によって生じる」と解釈され、いわゆる「縁起説」として定着している。仏教の最も基本的な思想とされているが、この句の解釈は実は違うのではないか? Ye dhammā は Tathāgato āha に係っているだけで、実質は hetuppabhavā, tesaṃ hetuṃ, tesañca yo nirodho と(四諦のうちの)三諦を言ったに過ぎない。「Ye dhammā Tathāgato āha」は単に、「如来が語られたこの法は」と言っていて、「方法(dhammā)」という単語に、事象・現象などと多義的な解釈を持たせて、何やら大げさな神秘性を帯びた体系に、仏教の位置付けを飛躍させる必要はなかったのではないかと思う。 hetuppabhavā は「原因から生まれる諸々の(複数形)もの」tesaṃ hetuṃ は「その原因(単数形)」、tesañca yo nirodho は「それら(原因から生まれた諸々のもの)が消滅するところの(原因に係る)」 つまり、全体を訳すとこうなる。 如来が語られたこの法というのは、 (一つの)原因から生じた諸々の結果(複数)と、それらの原因(単数)、 (その原因はまた)諸々の結果を消滅させる原因でもあるところのもの。 それ(その方法)を大沙門は説かれた。 結果が複数で、それら複数の結果の原因となっているものが単数であるというのが一つのポイントである( 参考 )。 そのように、神秘性の方向性なしに素直な話として解釈してみれば、その前後のコンダンニャ長老、サーリプッタ長老、モッガラーナ長老らの、最初に正見を得た時の常套句である、「生じるものは、滅する性質の云々」とイマイチ訳のわかったようなわからないようなセリフも、本来はどういうものであったかどうかが見えてくる気がする。つまり: 「諸々の結果を生じている一つの(大元となる)原因がわかれば、それは反対に諸々の結果を一挙に消滅させる鍵ともなるわけだ」 そういうやりとりだとすると、四諦→コンダンニ

日商簿記 3 級

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今日、第 152 回の 日商簿記 3 級試験 を受験してきた。 自分は、商業高校出身でも、経済・商学系の大学出身でもない門外漢の理系人間。ゼロからの完全独学独習。勉強期間は 2 ヶ月足らず。 解答時間は 35 分程度だった。満点狙い。 3 級はおそらく、商業高校の生徒なら、多くが在学中に 2 年生くらいの時に(高得点とは限らないまでも)合格してしまうのではないだろうか? 2 級の方は経済・商学系の大学では推薦入学の要素にもなることから、商業高校の生徒でも優秀な生徒に限られるとは思うが。 使用した参考書・問題集は以下の 2 セットのみ: 公認会計士よせだあつこのパブロフ流シリーズ 『簿記教科書 パブロフ流でみんな合格 日商簿記3級 テキスト&問題集 第4版』(2019-02-20) 『簿記教科書 パブロフ流でみんな合格 日商簿記3級 総仕上げ問題集 第3版』(2019-02-20) 中央経済社の検定簿記シリーズ 『検定簿記講義 3 級 商業簿記〔2019年度版〕』(2019-02-27) 『検定簿記ワークブック 3 級 商業簿記』(2019-02-27) まとめ 今 152 回から 3 級は大きく試験範囲が変わり、自営業向けだった内容が株式会社向けとなったので、参考書・問題集はちゃんと新しいもので揃えるというのがポイント。 上に紹介した 2 セットのものは、それぞれかなり性格が異なった毛色のものを組み合わせた。おそらく、それぞれが強調する視点が異っているので、片方だけでは、独学での満点狙いは厳しかったかもしれない。 結果 満点逃しました……orz 敗因 「455」を「445」と書き写しミスしたこと「のみ」による。これが満点を奪った、たった一つのミス。 書き間違えた「445K」をベースに貸倒引当金の計算も行っているため、そこから派生した項目も影響を受けて、おそらく別の採点対象の項目も巻き添えを食ってしまい、計 -6 点となったものと思われる。 合計が合わなくなるミスであれば、気付くことはできたはずなのだが、これは貸借対照表と損益計算書の両方にセットで使われる値だったため、矛盾が発生せずに、気付くことにはならなかった。 パブロフ式の著者さんでも見直し無しで解答時間が 48 分( 参考 )のところを、自