やまけらし様
動画 2 話目:
456:1/3:2010/10/25(月) 15:36:48 ID:oGdPkai/0
俺の家は物凄い田舎で、学校に行くにも往復12kmの道程を自転車で通わないといけない。
バスも出てるけど、そんなに裕福な家でもないので定期買うお金がもったいなかった。
学校への道はちょっと遠回りだけど街中を通る道と、若干近道だけど山越えをする道と2つあるんだが、俺は山越えで汗だくになるのが嫌だったのでほとんど街中のルートを通っていた。ある日、学校の体育館で友達とバスケをしていて遅くなった俺は、早く帰ろうと自転車で山越えをしようとしていた。
街中に入る道と山道に入る道の分岐点にあるコンビニで飲み物を買って、いざ山越えに。
日が沈み始めた山道は結構不気味で、ひぐらしの鳴く声を聞くと心細くなってやけに不安になる。
戻って街中を通ろうかな…なんて思いつつガッシャンガッシャン自転車をこいでると急に
「も゛っも゛っも゛っ」
ていう表現しにいうめき声のようなものが聞こえ、その瞬間に何かが背中にドスッと落ちてきた。
上半身をグッと下に押し付けられるような感覚に襲われ、冷や汗とも脂汗とも言えない妙な汗が体中から噴き出してきた。
怖くて振り向けずにとりあえず峠を越えようとがむしゃらにこぎ続けてた。その間にも背中から
「も゛っむ゛む゛っ」
と変な声が聞こえている。
絶対変な物を背負ってしまった、どうしよう・・・と涙目になって自転車こいでたら上り坂の終わり、峠の中腹の開けた場所に出た。
息を切らしながら足をついて崖側の方に目を向けると、小さな女の子が居た。457:2/3:2010/10/25(月) 15:37:39 ID:oGdPkai/0
夕日の色でよくわからなかったけど、白っぽいシャツの上にフードつきの上着とデニムスカートを穿いたセミロングの子。大体6~7歳くらいに見えた。
車なんて通らない田舎の山道に、しかももうすぐ日が暮れてしまう山道に女の子がいるはずがない。
ああ・・・ひょっとしなくても幽霊か・・・って思って動けないでいると、その子は小走りで俺の足元まで来て俺をじーっと見上げた。
10秒くらい見つめたかと思うと急に俺の太ももを埃を払うようにパンパンっと叩いた。
「大丈夫だよ、安心して?」
と言ってるかのようにニッコリ笑うと、崖の向こう側に走っていって消えてしまった。
崖下に落ちた!?と思って自転車を降りて覗いてみたけど、崖下には人が落ちた形跡は無かった。やっぱり人間じゃなかったわけだ・・・
不思議な事に、女の子に太ももを叩かれてから背中の重みも消え、妙な声も聞こえなくなった。
結構暗くなってからやっとこさ家に帰った俺は、あの背中の妙なものと峠に居た女の子の事をばあちゃんに話した。
ばあちゃんはその話を聞くと、何の木かわからないけど葉っぱのいっぱい付いた枝を持ってきて、俺の頭から背中、腰にかけて2~3回払った。
一体何事かと聞くと、お前が会ったのは『やまけらし様』だ、と教えてくれた。「◇ 心霊ちょっといい話 ver.16 ◇」 458:3/3:2010/10/25(月) 15:38:27 ID:oGdPkai/0
ばあちゃんの話によると、背中に落ちてきた物は俺を向こうの世界に引っ張ろうとしたかなり性質の悪いもので、そのままだったら確実に引っ張られてたらしい。
そして峠の途中で会った女の子が『やまけらし様』だそうだ。
『やまけらし様』は山の神様の子供で、全部で12人いるらしい。
普段は人に対して特に何をするでもなく山を遊びまわってるだけなのだが、俺に憑いた物がよほど悪かったのかそれを払って捨ててくれたそうだ。
無邪気で純粋な『やまけらし様』はきっと、とんでもない物を背負ってるお前が可哀想に見えて取ってくだすったんじゃろ・・・との事だった。
俺はなんとか『やまけらし様』にお礼をしようとお供え物をあげる事にした。
昔は12足の小さな草鞋を供えたらしかったので、俺も供えようとしたけど草鞋なんてどこにも売ってない・・・。
ふと『やまけらし様』を思い出すとなかなか現代風な格好をしていたので、小児用の動きやすいスニーカーを12足供える事にした。
とりあえず2足買って朝の登校時、あの峠の中腹の草むらに揃えて置いていた。
帰りに無くなってるか確認したかったけど、ばあちゃんの話じゃ夕暮れの時間は良くないものがうろつくから危ないという事で、次の朝の登校時にまた同じ場所を見に行くと靴が無くなっていた。
きっと『やまけらし様』が気に入って履いてくれたんだろうと思う。
お小遣いの関係で1週間に2足ずつしか供えれないけど、来週には全部供えれる。
走りやすいスニーカーを履いて山の中を遊びまわってる『やまけらし様』を想像すると自然とニヤけてしまう。
いつかまた目の前に現れてくれないかな・・・と淡い期待を抱く俺の登校ルートは、自然と山越えになってしまった。
「鬱病 SE が山で出会った童女神」に似たようなエピソードで、この少女神も梵天的な性質も感じさせるが、それでもいくら梵天が(性的な成熟前の中性的な年頃の)少年少女の姿であるとはいえ、この「やまけらし様」は幼な過ぎるだろうか。この場合、梵天と言っても、禅定をマスターした高徳な出家修行者が死後転生する、本家本元というか本尊としての正真正銘の梵天ではなく、梵衆天といった眷属的な存在の方だと考える方が妥当かもしれない。
ただ単に幼なく無邪気であれば死後、梵天になれる、という単純な話(東洋思想、日本の心霊観のルーツの一つである道教はこういう価値観であるが)であるのなら、畜生霊や水子霊の類というのは皆梵天に該当するということになりかねないわけだが、実際はそうでもないのだ。
下は、上とは別の話者による「やまけらし様」に関する情報:
558:本当にあった怖い名無し:2018/05/16(水) 22:58:58.82 ID:aszO28zNx[1/2]
怖くないけど俺の地元に伝わる話。
俺の地元の山には「やまけらし様」っていう女の子の神様が居る。
昔は山はっけ(走る)わらし様って言われていて、山中を走り回っては人を脅かして遊んだり、民家のお菓子をつまみ食いしたりしていたらしい。
やまけらし様は山で亡くなった子供や麓で亡くなった子供が山の神様に拾われたものだとされている。
山の神様は一月に一人だけ亡くなって彷徨っている子供の魂を拾い養子にする。
そして12人居るやまけらし様のうち誰かが居なくなると、また一人拾ってくる。
何でやまけらし様が居なくなるかはわからんけど、何年か山にいたやまけらし様は居なくなってしまうんだそうだ。
昔は自分の死んだ自分の子供を神様の養子にして貰おうと、子が亡くなった親が月の始めに子供の来ていた服と小さな草鞋を山社に供える風習もあった。
俺はまだやまけらし様を見たことは無いけど、うちの爺様はタケノコ取りに出掛けて遭難した時にやまけらし様に会ったって言ってた。
タケノコも採れずに自分がどこを歩いているのかも分からず途方にくれていた所に女の子が走ってきて、「じっこ(お爺さん)、そんだ所にいだらまね(ダメだ)よ!」って手を引いてくれたそうだ。
山をスイスイと下ってなんとか麓に着くといつの間にか手を引いてた女の子は居なくなっていて、一本も取れなかったタケノコが籠にぎっしり入っていたらしい。
近所のご老人にお話を聞くと似たような話がゴロゴロ出てくる。
こういう神様ってきっと昔は当たり前に存在していたんだろうなぁ。「【新】海・山にまつわる怖い話・不思議な話 1」 559:本当にあった怖い名無し:2018/05/16(水) 23:02:17.77 ID:aszO28zNx[2/2]
誤字失礼…
自分の死んだ自分の子供を→死んだ自分の子供を
「やまけらし」=「山はっけ(走る)わらし」要するに、「山・駆ける・童」が名前の由来らしい。山姥の子供もこういう感じ、山を駆け巡って無邪気に遊んでいる風の子のような存在ではなかったか。
コメント
コメントを投稿