輪廻
この内容において、貪・瞋・痴に対応した善趣・悪趣で各ループとする仮説は現在では放棄している。現在の考えとしては「 善趣と悪趣 」という形で述べている。 ※ 特に断わる必要があることではないが、当ブログの仏教記事について、仏教知識の素材源は上座部仏教(パーリ経典)。一方、知識素材を組み立てた結果の有機的イメージは筆者のオリジナル。なので、組み立てられた結果物が上座部仏教に存在しなかったり矛盾するものとなっていても不思議ではないが、かといって素材レベルでは筆者がでっちあげた手前味噌な(大乗経典群のような)妄想物というわけでもない。 人間界・畜生界のような自然界的な発生(胎生・卵生・湿生)と対照的に、各界は化生が転生のベースとなっている点に留意すると理解しやすい。 なぜそのような化生(転生)となるかと考えると、悪趣は貪・瞋・痴(三毒)の悪業の結果、善趣はそれらの三毒の対治としての不貪・不瞋・不痴の善業の結果。 輪廻とは 輪廻とは、このような各界の中で転生を続けることを一般に言うが、より狭義な見方をすると、人間界とそれ以外の界との転生ループを堂々巡りで繰り返すことではないか。つまり、例えば、地獄界に転生する者は、そこでの寿命が尽きてせっかく人間界に戻っても再び瞋恚による悪業で地獄界に堕ちる。餓鬼しかり、畜生しかり。そして、善趣しかり。そういった堂々巡りのループを打破することを「輪廻から解脱する」と考えることができるのではないかと。 もちろん、これは一般に流通している仏教の「輪廻からの解脱」像とは食い違ってきている。後者(一般に流通している解脱像)の場合は、この各界のループで成立している全体像としての世界そのものから解脱するという風に解されており、要するにこの世から存在が消滅するようなものと解された上で、その是非を論議されている。 化生とは まず、本来的に仏教の知識外の人向けにわかりやすい説明をすると、化生というのは世間で思われているところの死後の世界とか心霊世界とか呼ばれているようなものと考えればわかりやすいかもしれない。ただし、本当はそうではない。世間のイメージ的にそんなようなものに匹敵するものというだけの話。つまり、今我々が生きていて認識しているこの物質的現実世界とは違う別の世界という程度の意味。 言葉の定義的に心霊世界という言葉の定義にど...