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諸善人と共に

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悪趣行きのパターンについては既にいくつか取り上げたことがあった(cf.「 地獄または畜生の胎 」「 地獄の原因となる邪見 」)ので、今回は善趣行きパターンについてパーリ経典の 1 経(天相応 31「諸善人と共に」経)を取り上げてみる。 この経においては、サトゥッラパ(「正しい語り」の意味)身の神々が、仏陀世尊の元を訪れ、各々が法に関する偈を語り、世尊に添削を求める。 全員の偈は 「善人らとのみ坐すがよく 善人らと親交するがよい 善人らの正しい法を知れば …… の 3 句から始まるが、3 句目の「善人らの正しい法を知れば」を受ける、結びの 4 句目のみが異なっている。 (神 1)「……善くなり、悪くなることがない」 (神 2)「……智慧は得られる、他からではなく」 (神 3)「……憂いの中にあって憂えず」 (神 4)「……親族の中にあって輝く」 (神 5)「……人々は善き世界に趣く」 (神 6)「……人々は喜びのうちにとどまる」 片山一良・訳『相応部 有偈篇 I』(2011-06-01、大蔵出版)p.127-130 世尊は、全員の偈は合格点だ(「あなたがたのものはすべて、根拠をもって、よく語られています」)と評する一方、世尊自身であれば、結句はこのように表現するだろう、と模範解答を示して、経が締め括られる。 (世尊)「……一切の苦から解脱する」 僕の仏教仮説によるところの読み解きを試みるならば、神々は「 縁 paccaya 」の側面による(表面的・世俗的な)思考で結句を表現したわけだが、世尊の結句は、「 因 hetu 」による(深淵・勝義的な)思考で結句を表現した、ということになる。つまり、「一切の苦からの解脱」の結果・効果・一端・枝葉として、神々の表現するような、「善くなる」「智慧が得られる」「憂えず」「輝く」「善趣」「喜び」という状態に至る、とこの経の構造を解するわけである。 以上は本経の主旨について最初に触れたわけだが、今回、僕としてはより注目したいのは、1 〜 2 句の部分である。 善人らとのみ坐すがよく 善人らと親交するがよい ...

神籬(ひもろぎ)

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〝縄文神道〟の泰斗(であると僕が勝手に思っている)戸矢学氏は、「 神籬 ひもろぎ 」について、以下のように述べている: 明治になって、政令によってほぼすべての神社に鏡を御神体として祀るよう強制されたが、それはいわば「記紀神道」であって、「古神道」ではないのだ。記紀神道は、いうまでもなく古事記神話・日本書紀神話に基づいて成立した神道であって、8 世紀初頭の頃の成立であるだろう。しかしそれ以前にすでに神道信仰が発生し根付いていたことはまぎれもない事実である。一宮は、そのほとんどが 8 世紀初頭よりはるかに古い時代に誕生している。ということは、一宮に秘められた信仰は、記紀神道ではなく、それ以前のものであろうということになるだろう。 神道では神を祀る場所を「神社」と称している。つまり神の社である。ヤシロというのはもと「屋代」と表記した。神の来臨する屋の代わりという意味である。つまり神社は「屋の代わり」であって、「屋」そのものではない。 それでは本来の「神の屋」とは何かと言えば、「 磐座 いわくら ・ 磐境 いわさか 」「 神籬 ひもろぎ 」「 神奈備 かんなび 」である。一般には馴染みのない言葉であろうが、歴史的には古くから使われている言葉であって、日本人の信仰を考える上で最も重要なキーワードである。 磐座とは、祭祀の時に神霊が降臨するとされる岩石、またイワサカは石の集合によって設けられた場所のことである。 神籬とは、神は常緑樹の森に降るとされるところから、その森をかたどったものをいう。最も古い形の斎場である。 たとえば家を建てる際に最初に行なう地鎮祭を思い起こしていただきたい。更地の中央に設営されるのが神籬である。またそのもっとプリミティブな形が、土盛りをして榊を立て、その周囲に 4 本の竹(これも常磐木の 1 種で、 斎竹 いみだけ という)を立て、注連縄を張り巡らすものである。簡易なものであるが、神籬の本質を単純明快に表わしている。言ってみれば「臨時の簡易神社」であり「仮設の簡易神社」である。そしてこれこそは神道祭祀の原点の姿である。設営した場所が、その時だけ仮の神社となる訳だ。 いずれにしても神籬は仮設のものであって常設ではない。したがって遺跡史跡のような形で発掘されたものは皆無である。ただ記録は数多く、神道祭祀にお...

脱欲界──欲界からの解脱──

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Unsplash の K. P. D. Madhuka が撮影した写真 先日まとめた仏教の六欲天についての 考察 のその先の話として、欲界そのものからの離脱(解脱)について考えてみる。 身 口 意 善業 地居天 (四大王天+三十三天) マノーパドーシカ (夜摩天+兜率天) キッダーパドーシカ (楽変化天+他化自在天) 悪業 餓鬼 畜生 地獄 欲界に囚われた心(精神)の持ち主(要するに凡俗)は、善にせよ悪にせよ、カルマ(欲)に基いて行為(業)を行うので、必ず、カルマを積み続ける。彼ら在家の世俗人は基本的に完全に欲界に囚われた思考回路の持ち主なので、価値観の全てが、善悪の区別にある。大乗(非仏)教を始めとして、本物の仏教以外の外道異教は、基本的にその善悪の区別において、各価値観モデルを競い合っている。これが、スッタニパータにおいて、「俗世間における論争の生じる」とされる構図であり、「聖者では鎮まる」とされるところのものである。 仏教の聖者とする人々は、善にせよ悪にせよ、カルマ(業報)を伴なう行為(因業)にほとほと嫌気が指した思考回路を持つ人々であり、まずはその段階で大きく、世俗人(外道異教の聖職者を含む)と思考回路的に根底から違っている。「何が善か」という、善の具体的内容を思い描くことなどから離れているのである。なので、仏教において、〝善〟という用語を、情報伝達のために世俗諦として語る場合には、メタな形で用いており、不悪(不貪・不瞋・不痴)という否定表現で言われたり、善悪を含めたカルマの世界である欲界から丸々離れる(解脱する)ことを指して使われる。 今回の僕の仏教仮説では、このように、欲界から離れた(解脱した)聖者の世界・境地として、色界・無色界の梵天界を捉え、従来語られ・思われているような「座禅瞑想して禅定状態に入ることで行くのが、色界・無色界の梵天界である」という捉え方とは、別のイメージで捉えようとするものである。 客体論と主体論 今回の考察では、欲界(世俗の世界)をひとまとめにして捉え、脱欲界(である色界・無色界の梵天界)と対比することで、出家者の世界である梵天界をはっきりと浮き彫りにしようと思う。 まず、欲界に心が囚われている世俗人は、価値判断の思考回路的に、当たり前のように客体...

欲天

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随分以前にも仏教の六欲天について 考察したこと があったが、今ではその頃とは違う仮説が構築されてきたので、改めてまとめようと思う。 Unsplash の Elena Mozhvilo の提供画像 まず仏教というものがそもそも、人間の世界の上に、欲天という、感覚的な欲の世界を天界(神々が生まれ住む世界)を設定していることが重要な留意点である。僕は単純に「感覚的な欲」(の世界)という理解ではなく、感覚的な「欲が充足される」(世界)という仮説で理解している。 つまり、我々人間の現実の物質世界での体験で考えると、いつでも、高級な美味な料理を思う存分食べて満足できたらいいなあ、という欲求がある。一定以上の金持ちであれば実現は可能かもしれないが、大部分の人は「いつでも」「思う存分」は無理だろう。また、金銭的問題は除いても、その美食に耐えうる健康を保てるかどうかという問題もある。 このような、「『美味を味わって、満足する』そのような感覚を、無制限に思う存分満たされるのが、欲天の神々の境遇なのだ」という仮説を考えたらどうだろう? 欲天は当然、我々のような物質的な肉体を持った存在の世界ではない(ただし、仏教では、欲天が、単純に非物質世界的だからといって、即、精神的世界と捉えているわけではないのには注意(精神のみの世界は、無色界となる)。仏教以外のいい加減な考えでは、単純に、 物質的現実世界 リアル・マテリアルワールド のこの世と 精神的世界 スピリチュアルワールド のあの世に二分する、左脳的短絡思考によって、世界観を構築しているわけだが)。 つまり、欲天の神々は、実際には、大金持ちにならなくても、大金持ちが財力によって味わっているような高級な美食体験を、いつでも思う存分、浴することができる存在なのである。つまり、我々物質的現実世界の人間とは違って、現物(物質)を得る必要がない。ブラック企業の成金オーナー社長や、アメリカ合衆国という国家システムのように、がめつい真似をして、世界中の他者から富を力ずくで吸い上げて繁栄して、 贅沢 ラグジュアリー な生活を営もうとする必要はない。 彼らは感覚の対象物質の所有を必要とせずに、直接、その感覚を味わっているのである。 厳密に言えば、感覚というよりは、感覚から得られる「充足」「喜び」である。その充足されたいという欲求が...

四大王天

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結局、四大王天と三十三天というのは、神としての存在の境地のレベルは異っているが故に、区別はされているものの、空間的には共通しているように思われる。いわゆる〝 地居天 bhūmi-nivāsin 〟として一括りにすることができる。 つまり、地居天は、そこに棲む〝生き物〟の違いには注目しないで、空間的に考えれば、同じ一つの場を舞台として棲み分けている形となっている。それは、スメル山と呼ばれる一つの霊的な富士山のような形をした巨大な山体である。頂上には三十三天の住まう領域があり、山体の東斜面がガンダルヴァの領域、北斜面がヤッカの領域、西斜面がナーガの領域、南斜面がクンバンダの領域となっている。ガンダルヴァ(神鳥)・ナーガ(神龍)・クンバンダ(半人半獣または半魚人)は言ってみれば神獣の類であり、ヤッカは獣というより人型だがいわゆる鬼神であって、いずれも人外の魔物である。つまり場の観点からすれば、三十三天も四大王天も、同じ一つのスメル山という場を、山頂セクターを区別して三十三天と呼び、東西南北のセクターをそれぞれ四大王天の各領域として認識している、セクター分けに過ぎないのである。 この霊的なスメル山は、おそらく、裾野の方で人間界の存在する物質的な地球と重なり合っており、地下にまで続いて行っている。そもそも、このスメル山の構造は、地球の北半球の物理的な構造に由来するものだと、僕は考えている。つまり、三十三天のある、スメル山頂というものは、物理的な北極点に由来するものだが、あくでも霊的な相対的な位置関係を意味するものなので、実際に地球上の北極点に行ったからといって、三十三天そのものに辿り着けるわけではない。 スメル山の裾野が物理的な地球の地下にやや入った地中に、ナーガの王国がある。一方、物理的な地球のやや上、樹木の高さのあたりに、ガンダルヴァたちが棲み、深い森の奥や転輪山を囲む果てしない外洋の大海原の中にクンバンダが棲む。スメル山の北の裏側の影の領域にヤッカが棲む。 四大王とは? では、それら東西南北の各方位の神獣たちを支配する、四大王とは、何なのか? 以下は僕の〝未だかつて聞いたことのない〟勝手な思い付きなので、何の権威もない話だが、四大王たちが、ガンダルヴァ等の畜生系の神獣だという話は聞いたことがない。僕は、「彼ら四大王自身は、三十三天の神である」と思うので...

四大王と四大天使

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仏教の四大王も、西方(ユダヤ・キリスト・イスラーム教)の四大天使も、いずれも、地上世界の東西南北の方位に配されている点で、全く同じ立ち位置にあると言える。 とはいえ、両者の描写の方向性には、それぞれ異なりがあり、その擦り合わせをしていくと、興味深い事実を発見できたので、ここで述べて行きたい。 仏教の四大王の場合 各大王の名前が分っているものの、各大王の性格・特徴というものがはっきりしない。北の 毘沙門 ヴェッサヴァナ 天が筆頭となっているという他、これといった性質が不明である。むしろ、各大王自身ではなく、各方位と眷属となる畜生系の神獣の方が、その性質を特徴づけている。 東 西 南 北 大王 持国 広目 増長 毘沙門 神獣 ガンダルヴァ ナーガ クンバンダ ヤッカ 一方、四大元素はパーリ仏教(古代インド世界)でも西方世界と共通する概念でありながら、四大王や方位との関連付けは定かではない。 西方の四大天使の場合 四大天使の場合は、四大元素との関連付けがかなり明確である。 従来説(不正確) 東 西 南 北 天使 ラファエル ガブリエル ミカエル ウリエル 元素 風 水 火 地 天使の場合、四大元素と天使の間の関連付けは分りやすいのだが、逆に、元素と方位(または天使と方位)の関連付けが、多分に疑問が残るのである。 どう考えても、火と水、風と地が対置する元素のはずであり、それを方位に反映するのであれば、それらが対置するような方位に配するべきだと思うのである。つまり、火を南のまま水を北に配するか、水を西のまま火を東に配するか、のどちらかである。 結論から述べると、後者が正解になると思う。 修正後 東 西 南 北 天使 ミカエル ガブリエル ラファエル ウリエル 元素 火 水 風 地 理由としては、西が水と関連する方位とすることは、東洋(仏教・ヒンドゥ教・中国)世界とも共通する発想だからである。仏教・ヒンドゥ教ではナーガ(龍神=水神)や弁財天と関連付けられ、中国では西王母と関連付けられ、水の元素を司るガブリエルとの相性は非常に良い。 つまり、西=水を固定して、それに対置するよう...

ゴルゴマタギ

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62:本当にあった怖い名無し:2011/04/24(日) 19:09:31.17 ID:vMm1tEfX0 俺の友人にはすごい守護霊がついているらしい。 どんないわくつきの場所でもそいつがいると何も出ない。 こっくりさんもそいつが混じると来てくれない。 挙句の果てには「さわると祟られる呪いの石」がそいつが近づいただけで割れた。 いわゆる霊能者にそいつを見せたところ、すぐに目をそらしてしまった。 聞くとそいつの守護霊がものすごく怖いやつなんだと。 どんな感じですか?ときくと、 「ゴルゴみたいなマタギで常に猟銃を構えている」そうな。 別ベクトルでこぇぇ。 66:本当にあった怖い名無し:2011/04/24(日) 20:14:51.06 ID:AZUXVc7k0 動物系にすごく強そう 67:62:2011/04/24(日) 20:37:59.67 ID:vMm1tEfX0 >>66 いわれてみればこっくりさんは元より、呪いの石も大熊の呪いだったww ただいわくつきの場所は廃病院だったな。 とりあえず俺はあいつの後ろには立たないようにしてますww 75:本当にあった怖い名無し:2011/04/25(月) 15:40:56.79 ID:vGj12nm9O 78:本当にあった怖い名無し:2011/04/25(月) 18:21:52.44 ID:BBYUPedP0 >>75 GJ! ちょっくらスイス銀行に振り込んでくる。 「 【全米が】なんか笑える霊体験18【テラワロス】 」 209:本当にあった怖い名無し:2011/05/07(土) 22:14:44.53 ID:kygztYIk0 いいお話二連発のあとになんだが>>62だ いまさらながら>>75すげぇww 友人になんかいい話ない?と聞いてみたら一つお話された。 小学校時代、そいつはクラスの人気者だったそうだ。 それを僻んだ奴が友人の大切なお守りを盗んだ。 犯人は四日後に本人に謝りにきた。 話を聞くと、 「夜な夜な金縛りに遭い、 枕元に昔の猟師の格好をした目つきが...

DV 被害者の女性の前に登場した浮浪者のような謎のおばちゃん占い師

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動画の 1 話目のエピソード: 102:恋人は名無しさん:2010/09/13(月) 21:54:17 ID:e42JoAj9O 休憩所見て思い出した。 寺や神社や占い師さん達に「守護者すっげー」みたいなことをいつも言われる私の修羅場。 付き合う前は優しくて明るい人と思ってた彼氏が、DVモラハラ男だった。 いきなり豹変するのではなく、 小出しにしつつ飴と鞭を使いわけるタイプ。 半ば洗脳に近かった。 初っ端から殴られてたら即逃げるんだけど、優しく嫌味を言うことから始まり、 暴力沙汰になるのは付き合って半年後。 もう完全に「私が悪いから怒られるんだよね」と思い込んでいた。 その頃は優しい嫌味ではなくねっとり嫌味と軽い暴力に進化してて、 私が凹んで謝ってたらサンダルはいてる私の脚を彼が革靴で踏み付けようとした。 踏まれる寸前、彼氏の頭に鳥の糞がボトッ。 空を見渡しても鳥は居なかった。 彼氏の部屋で彼氏が他愛のないことで切れて手を振り上げた瞬間、 棚の上にあったものが彼氏の頭にヒット。 棚のすぐ近くに居たわけじゃないのに。 私に熱いお茶をひっかけようとした瞬間、持ち手が折れて彼氏の股間にバシャッ。 私にライターを投げ付けようとした瞬間、ライター着火。 彼氏の服に燃えうつり軽い火傷。 私を怒鳴ろうとした瞬間、茹でていた玉子爆発。 鍋の近くにいた私無傷、鍋から離れていた彼氏の顔にヒットし、火傷。 103:恋人は名無しさん:2010/09/13(月) 21:58:24 ID:e42JoAj9O 他にも夜中に呼び出しメール送ろうとしたら携帯が壊れたり(店に持っていくと直る) mixiに私sage彼氏ageな日記をあげようとした瞬間にパソコンあぼーんとかあったらしい。 「最近変な婆が夢にでてきて」とも言っていた。 ある日夢に聞き慣れない方言のおばちゃんが現れて、 「あぁあぁ、いだましいこどっ。えぇっこっんな痩せちまっで…ひょろひょろでねぇの」 「ほんだからなんどもいってっぺぇ、あ゛んなろぐでもねおどこやめっで、なっ」とか言われた。 起きた瞬間に「なっ」という声が聞こえた気がした。 妙に印象に残る夢だった。 その数日後友達...

電撃最強説

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動画の 2 話目: 398:雷鳥一号 ◆zE.wmw4nYQ :2005/09/06(火) 00:19:36 ID:n7cId/m00 同僚の話。 彼は地元の消防団に参加しているのだが、以前に団員仲間で狐に憑かれた者が いたのだという。 いや、実際に狐かどうかはわからないのだが、団の中の物知りが「あれは狐だ」 と断言してから、狐ということになったのだとか。 普段は別に変わるところはなかったが、一たび中の狐が目を覚ますと、甲高い 奇声を発して暴れ回ったそうだ。 信じられない怪力を振るい、獣じみた動きをするだけでも大変だったのに、 加えて不思議な神通力まで発揮した。 手を触れることなく、身の回りの物を空に飛ばすのだ。 かなり重量がある物まで飛ばしており、取り押さえるのが一苦労だったという。 特に夜回りの時、中身の入った鍋ごと吹っ飛ばされたのは大事だったとか。 彼が夜警から帰ってくると、皆で哀しそうな顔をして始末をしていたのだと。 猪肉が一枚だけ天井に張り付いていた光景が、どうにも忘れられないそうだ。 399:雷鳥一号 ◆zE.wmw4nYQ :2005/09/06(火) 00:20:12 ID:n7cId/m00 (続き) なぜか狐憑きが出るのは、団の活動中だけだった。 腹立たしいことに当の本人は、暴れている間の記憶がまったくなかったらしい。 そんなこんなで手をこまねいているうち、大きな山火事が発生してしまった。 猫の手でも借りたい時だということで、仕方なく憑かれた彼も動員された。 団の者は「中の狐さん、頼むから暴れんでくれよ」と祈ったという。 団の受け持ち場所は、変電所の近くだった。 「筒先に注意しろ。電気が近いぞ!」注意と檄を飛ばし、消火活動に移る。 皆が忙しく動き回る最中、ホースの先端辺りで騒ぎが起こった。 どうやら高電圧のキュービクルに水を掛けた粗忽者がいたらしく、当たり前の ように感電してしまった様子。 「注意しただろうが」慌てて駆けよったが、何やら様子がおかしい。 そこの皆がぐるり輪を作ったまま、凍りついたようにピクリとも動かない。 何かキラキラ光る煙が立ち上っていた。 それが激しく捩れる様は、ま...

ミヤウチさま

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488:本当にあった怖い名無し:2009/06/08(月) 05:23:34 ID:d0Md1CfE0 別に怖くもないんだが不思議だった話。 うちの家では神様を祭ってあるんだが(別に神社とかではない) そこはちょっとした神棚じゃなくて、8畳の部屋をでかでかと占領する祭壇?なんだ。 小振りな米俵を積んだり、縄張ったり、酒瓶が並んでいたり、 なぜかビールとかスナック菓子とか塩が袋ごと置いてあったりする。 なんでもどこかの神社から分けてもらった(神様分けてもらうってどーよ)格の高い神様らしく、 うちでは「ミヤウチ様」って呼んでる。 で、むかし小さかった頃、そのミヤウチ様に供えているお菓子を俺は食べちまったんだ。 子供のすることなんで、隠ぺい工作とか高度なことはできず、 お菓子の袋をテレビの後ろに隠していたらそっこーでばれた。 当然オヤジがブチ切れて、かなり長時間こっぴどく怒られた。 それで最後にミヤウチ様に謝ってこいということになり、俺は泣きながら離れに向かった。 ミヤウチ様が祭ってあるのは昔の母屋で、現在住んでいる住居と渡り廊下で繋がっている。 旧母屋は16畳の和室で、襖で8畳ずつに区切られるような作りになっている。 ミヤウチ様の祭壇があるのは、入って襖に仕切られた奥の8畳だ。 俺はミヤウチ様に謝ろうと、いつものように襖を開けた。すると、開けた先に何故かでっかいひげ面のおっさんの顔があった。 あまりのことに俺が固まっていると、そのおっさんはジッとおれの眼を見て、一言だけ「泣くな」って言った。 声は結構若い感じだったように思う。 まあ当然、俺はさらに泣いて両親のもとに逃げ帰った。 話を聞いたじーちゃんは「ミヤウチ様見たのか」と嬉しそうだったが、当時の俺はビビりまくってほとんどそこには近づかなくなった。 別に祟ったりしたわけではないので、いま思い出すと、怖がりすぎて悪いことをしたように思う。 「 死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?214 」 563:488:2009/06/08(月) 23:48:05 ID:d0Md1CfE0 あまり怖い話ではなかったので、望外の反応があって嬉しかったり。 補足すると、ミヤウチ様には正式名称が...

獣神界としての四大王天

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1. 四大王天 、2. ナーガ(龍神)族の研究 に続く一連の考察の続き。 日本では基本的にナーガ(龍)を代表として取り上げるのが論じやすいが、ナーガ固有の話というよりは、ナーガを代表とする畜生系神獣(もちろんこの場合の「畜生」には人外という意味で人型ではあるものの夜叉も含む)に共通の話という部分が多いと思う。 四大王天は、現代的なネーミングで呼べば、「獣神界」とでも呼ぶべきものかもしれない。 現代に一般に伝わっている仏教の宇宙観とは違うかもしれないが、僕が独自に培ってきた仏教的宇宙観では、畜生界というものは水平の円盤状に四方に向って拡がっており、人間界と単純に同じ範囲の世界を共有しているわけではない。人間界の上下に存在する欲天・梵天界と餓鬼・地獄界とは、内外という形の相対的位置関係となっており、次元(軸)が異なっている。つまり、餓鬼・地獄界とは同じ悪趣ではあっても、下方世界の餓鬼・地獄界と、外方世界の畜生界という意味で、悪趣としての〝悪さ〟の性質が異なっているのである。 そしてこの「四方に拡がる」という性質が、四大王天の名前とそのまま結び付いているのである。単にスメル山の東西南北の山の斜面を表すのみならず、本来、この水平方向に円盤状に拡がる、自然・原始的な精霊世界のことを意味している。 仏典においても、神(デーヴァ)としての境地は、四大王天と三十三天は別々の境地としてはっきり区別されている一方、物理空間的には、同じ世界を共有している。同じスメル山の山頂と、東西南北の領域という、支配領域の違いにすぎない。そして、三十三天の王サッカは四大王を配下に従えており、さらに四大王は、それぞれ各方位で代表される畜生系神獣(ヤッカも含む)を配下に従えている。 そんなわけなので、四大王天というのは、基本的には、畜生系神獣たちの棲む霊的な世界と考えてよいだろう。そのトップで神獣たちを統括している四大王たち四大王天の神々自身は、(1)畜生ではなく人間系の神なのか、(2)それとも畜生たちの神レベルの存在が例外的に進化して人間系の姿や性質を備えるようになっているのか、どちらかわからないが、おそらく(1)であり、直接人間以外の畜生が神になることは通常は難しいだろう。しかし、人間であっても、無数の過去生においてナーガなどの畜生系の神獣であったことの影響によって、四大王天...

ナーガ(龍神)族の研究

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四大王天の中でのナーガ族の相対的な位置付けは既に 先日の記事 の中で説明した。今回は、ナーガそのものについての、実例を交えた研究と考察を行ってみたいと思う。 スメル山世界の中において、ナーガは主に地下世界に棲む。上方世界すなわち(ヤマ天以上の)欲天界や梵天界、下方世界すなわち餓鬼界や地獄界があるが、その餓鬼界や地獄界という意味の地下世界とは関係がない。これは別段の(僕の独自仮説的な)話になるが(詳しい理由解説は割愛する)、これらの上方・下方の世界は、原則、人間界を経由しなければ、転生しない。つまり、畜生界からは、原則、これら上方・下方の世界へ転生することはない。人間以外の一般の動物が欲天・梵天になったり、餓鬼・地獄者になったりすることは、原則、ないと考える。 例えば、ジャータカ 524 話のサンカパーラ竜王のエピソードのように、菩薩が、一旦はナーガの栄華に憧れて人間からナーガに転生するものの、いざナーガに生まれてしまうと今度は後悔し、再び人間に戻ることを切望して大変苦労して功徳を積もうとするのである。 日本の一般的な宗教観(アニミズムの一種)は龍神信仰である 日本の一般的な宗教観(アニミズム・精霊信仰の一種)は龍神信仰であるとすれば、上方世界に行くこともなければ、反面、下方世界に堕ちる危険性もないということになる。聖でもなければ邪でもない。善でもなければ悪でもない。畜生道も一種の悪趣とされるが、ここでは、餓鬼・地獄を悪趣として考えると、畜生は畜生であることで、餓鬼・地獄に堕ちずには、済むのである。人間道を善趣、畜生道を悪趣とする考え方をピックアップすると、龍神という一種の畜生への信仰を頂点とする日本の一般的宗教観・文化性・社会性・民族性というのは、ある種の魔物信仰であり、キリスト教などの西方世界の宗教観では、ドラゴンは悪魔の一種である。ただし、仏教ではナーガは悪魔とは考えられておらず、畜生道ということで悪趣(本人にとって悪い苦しい悲惨な境涯。広義の「地獄」)の一種ではあるが、世界にとっての邪悪な存在という意味での「悪魔」という名称はむしろ他化自在天の中にいる仏道を妨害する神々の勢力を指すので、全く別のものを指している。 基本的に、中国・朝鮮・日本という、北方モンゴロイドの民族は、龍神信仰であり、龍神の血の混ざった末裔のようなものである。中国では、...