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天井からの幽体X

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トクモリザウルスのヤースーが紹介する視聴者の投稿エピソード。父親が山で時折マムシを獲って(駆除して?)臨時収入を得ていた。ある時、道に飛び出てきたマムシの頭を車で轢き殺して捕獲したが、それを機に、その轢き殺したマムシに憑依されたような状態になり、自分から他の車の前に飛び出して危うく轢き殺されそうな行動を取ったという。地元では、山の主のマムシを轢き殺すと、殺した人間もマムシの呪いで轢き殺される、という俗信があったのだという。そんなわけで、「動物の呪い」というものはあるのだなあ、というエピソード。 霊視能力のあるヤースーは、彼自身の個人的な経験からすると(彼はペットでもせいぜい数週間で成仏してしまうと言っており)、動物が怨霊となって取り憑くという状況はあまり考えにくいと話すが「こういうエピソードを聞くとこれはこれでありうるのかな」と話して締め括っている。 僕の考察としては、そもそも「誰かが他の誰かを呪う」という発想は、人間同士の話であり、動物に対してもこの思考を適用しようとするのは、人間側の愚かなエゴ的な思考回路である。つまり、動物を殺した人間側のやましい精神(罪悪感)が、勝手に「(相手が)恨んでいる」という他責的なストーリーを作り上げているのだと思う。多分、殺された蛇(マムシ)の側は、とっとと転生して次の生に旅立っていると思う。相手の動物が恨んでいるのではなくて、結局は、動物に酷いことをした人間の側が、自らの殺生カルマの報いを受けているだけである。 だが、日本の伝統的な宗教やスピリチュアル業界においては、このような、動物霊やその禍々しい呪術的な現象は比較的まことしやかに語り継がれていて、特に、中国の道教的な呪術がルーツで陰陽道という形で日本に入ってきて定着している、犬神や蠱毒などの邪法が存在する。上述のエピソードの轢き殺されたマムシの〝呪い〟のような現象を、犬を虐待して殺すことで意図的に作り出そうという、悪趣味極まりない真似が犬神などの呪術なわけである。 さて、僕としては、こういう現象は現象としてはある程度「ありうる」とはヤースー同様、認めるものの、「動物が怨み呪う」という発想は考えるべきではないと思う。そして、具体的にはこの現象に対する説明は、「アストラル的なもの」という表現でメカニズムについての説明もできると思う。「動物が怨み呪う」などというメカニ...

いいづか☆マギカ──身を粉にするギャル霊媒師──

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先日、なぜか夢の中にギャル霊媒師の飯塚唯が登場し「(夢の中の設定において、僕は)彼女とちょっとした知り合いという認識だったのだが、郊外の住宅街で他の友人たちと移動中にたまたま見掛けたという状況だったので、彼女の方は気付いていない様子でもあり挨拶することもなく、その場では通り過ぎた」というものであった。その夢の中の飯塚唯は、常日頃のような霊媒師としての仕事で、たまたま僕が通りかかったその住宅街に立つアパートの一室に除霊の仕事に向っていたところだった模様である。 この夢を見たタイミングとしては、飯塚唯と七四六家とのコラボで彼女が七四六家のメンバーくまこの自宅を除霊する動画を視聴した直後だったので、まず直接的にはその影響が大きいだろう。 とはいえ、これまで何度も飯塚唯を彼女自身のチャンネルに限らず、様々なコラボ先動画に登場している姿を観てきているわけだが、夢に出てきたのは今回が初めてである。僕の何気ない印象としては、「僕のような(彼女にそれほど強い関心を持っているわけでもない)末端の視聴者の夢の中にまで登場するなんて御苦労様なことだ」というものだった。除霊の仕事で日本全国津々浦々を飛び回っているらしい、現実の彼女の人柄が、僕の夢の中の様子にまで反映されていた気がしたのである。 また、彼女の除霊の様子は、特に今回が初めてというものでもなく、お馴染みのもので、聖水や酒で壁に梵字を描いたり、護摩を焚きながら鐘を鳴らしつつ真言を唱えたりといったもの。飯塚唯は「風水が〜」と言うが、風水と言えばドクター・コパのそれのイメージが強い僕としては、彼女のやっている儀式で風水らしいものと思えるのは、庭先に水晶を埋めたりする行為のあたり。「聖水や酒で梵字を描く」「護摩を焚きながら鐘を鳴らしつつ真言を唱える」というような儀式で風水的パワーが発生するとはとても思えない。これらは本来、空間に対するものというよりは、(幽)霊に対して行われるべき呪術的な儀式行為のように思える。 にもかかわらず、飯塚唯は、空間に向けて「聖水や酒で梵字を描く」「護摩を焚きながら鐘を鳴らしつつ真言を唱える」を行っているように見え、特定の霊(体)に向けて行為を行っているようには見えない。例えばニンゲンTVの降魔師阿部吉宏の場合は、 羂索などで悪霊の霊体を縛って捕えたりする わけだ。一方、飯塚唯の場合、悪霊など...

神籬(ひもろぎ)

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〝縄文神道〟の泰斗(であると僕が勝手に思っている)戸矢学氏は、「 神籬 ひもろぎ 」について、以下のように述べている: 明治になって、政令によってほぼすべての神社に鏡を御神体として祀るよう強制されたが、それはいわば「記紀神道」であって、「古神道」ではないのだ。記紀神道は、いうまでもなく古事記神話・日本書紀神話に基づいて成立した神道であって、8 世紀初頭の頃の成立であるだろう。しかしそれ以前にすでに神道信仰が発生し根付いていたことはまぎれもない事実である。一宮は、そのほとんどが 8 世紀初頭よりはるかに古い時代に誕生している。ということは、一宮に秘められた信仰は、記紀神道ではなく、それ以前のものであろうということになるだろう。 神道では神を祀る場所を「神社」と称している。つまり神の社である。ヤシロというのはもと「屋代」と表記した。神の来臨する屋の代わりという意味である。つまり神社は「屋の代わり」であって、「屋」そのものではない。 それでは本来の「神の屋」とは何かと言えば、「 磐座 いわくら ・ 磐境 いわさか 」「 神籬 ひもろぎ 」「 神奈備 かんなび 」である。一般には馴染みのない言葉であろうが、歴史的には古くから使われている言葉であって、日本人の信仰を考える上で最も重要なキーワードである。 磐座とは、祭祀の時に神霊が降臨するとされる岩石、またイワサカは石の集合によって設けられた場所のことである。 神籬とは、神は常緑樹の森に降るとされるところから、その森をかたどったものをいう。最も古い形の斎場である。 たとえば家を建てる際に最初に行なう地鎮祭を思い起こしていただきたい。更地の中央に設営されるのが神籬である。またそのもっとプリミティブな形が、土盛りをして榊を立て、その周囲に 4 本の竹(これも常磐木の 1 種で、 斎竹 いみだけ という)を立て、注連縄を張り巡らすものである。簡易なものであるが、神籬の本質を単純明快に表わしている。言ってみれば「臨時の簡易神社」であり「仮設の簡易神社」である。そしてこれこそは神道祭祀の原点の姿である。設営した場所が、その時だけ仮の神社となる訳だ。 いずれにしても神籬は仮設のものであって常設ではない。したがって遺跡史跡のような形で発掘されたものは皆無である。ただ記録は数多く、神道祭祀にお...

七四六家のヒロシは、ヴァンパイアと化すのか?

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神智学のブラヴァツキー 註 1 によると、幽霊が生きた人間の側からコミュニケーションを取られ続けると、次第にそのことに味をしめるようになり、やがて幽霊の側から生者の生気を自ら求めて地上世界(人間界)から去らずに彷徨い続けるようになるのだという。ブラヴァツキーは、降霊術・霊媒師の類を強く批判する文脈でそのことを述べているが、この話は、幽鬼=吸血鬼( ヴァンパイア vampire )のことを考える上で興味深い。 先日、心霊系 YouTuber の七四六家で、幽霊メンバーであるヒロシが、他の一部の幽霊に「臭い」と言われて露骨に嫌われる場合がある、という件があり、その「臭い」ということは、どういうことを指すのか? ということについて検証する動画が公開された。 僕はこの動画を観るなり、前述のようにブラヴァツキーが、「幽霊が霊媒によって人間の生気を吸うとやがてヴァンパイアになる」と言っていた件をすぐに想起してしまったのである。動画では「血生臭い」などという発言まで飛び出している。ナナシロたちは一応、「ヒロシが生前魚釣りが好きだった」ということで今回はひとまず話を収拾しようとしているが、もちろん彼らに神智学的なヴァンパイアに関する知識など求めようもない。 それで改めて「ブラヴァツキーの言っていたヴァンパイア」とは何だっけかな? と思って改めてまとめ直すことにした。以前にも、「 神智学系の死後観・輪廻転生観を添削する 」という形で神智学について駄目出ししたことがあったが、ヴァンパイアについて、原典の該当箇所など、詳細は自分でも忘れてしまっていたので、改めて該当部分の引用も含めてまとめ直そうと思う。 カーマ・ルーパ(Kāma-rūpa, 梵) 註 2 形而上学的に言えば、また我々の秘教哲学の観点からすると、物質に関するあらゆる精神的、肉体的欲望と思いによってつくられた主観的な形体をいう。この形体は肉体の死後生き残る。死後、7 つの本質(又は人間の本能と観念作用が順次に働く、感覚と意識の 7 つの世界と言おう)のうちの低級 3 本質、即ち肉体とそのアストラル原型と生命力は、使用済となって地上に残る。それから 3 つの高級本質は 1 つの組になってデヴァチャンの状態に入るが、高級 自我 エゴ は新たな化身の時が来るまでデヴァチャン状態にいる。死んだ前の人格の影は...

鏡占い カトプトロマンシー

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神道(特に、アマテラス系)では、神鏡を御神体とする神社が多いが、僕は個人的に、鏡は神体ではなく、(神事の)道具に過ぎなかったのだとかねてから独自に考えている。「元々は、霊能力を持った巫女等がおり、彼(女)らこそが(神)主であり、彼(女)らが占いに用いていたのが鏡だった」というのが僕独自の思い付きである。おそらくこういう説は、基本的には、伝承や文献に残された情報を組み合わせてそれを論拠として論じようとする神道や民俗学の専門家からは唱えられるべくもないものであり、またあくまでも「思い付き」としてしか発信することができないことにもなる。また、スピリチュアル系や心理学もどきの界隈では、「鏡に映った自分自身を見て、そこに神を見る」などという、もっともらしいご高説を宣っていたりする場合もあるが、詐欺師ほど外見やセリフの立派さで人を騙す、といったようなものである。 ともかく、古代、そこに生き神たる神主・巫女がいたが、彼(女)らが世を去った後に、愛用していた(神事=占術用の)道具が残されたもの、それが神鏡だというのが僕の独自説。その説に符丁する話、鏡占い(カトプロマンシー)に関する話題を、最近刊行された本(中世ヨーロッパの魔術師アグリッパに関する本)の註釈に見つけた。 アグリッパには霊たちを召喚する力があったとされる。ウォルター・スコットが蒐集したある伝説 (3) によれば、ある日、ヘンリー 8 世の宮廷で盛名を馳せた詩人サリー伯ヘンリー・ハワードが愛する伴侶、キルデア伯の娘であった美しきジェラルダインの死を悼み涙していた時、コルネリウス・アグリッパはその失われた女性にあいまみえさせ彼を慰めようと、召霊をおこなった。この魔術師は彼の眼前に蠱惑の鏡を据え、そこに彼女を顕現させたという。ジャック・ゴォリーやブーレーズ・ド・ヴィジェニエールはこれをもって、アグリッパは友人たちの歓心を買うために「ピタゴラスの鏡」を実修したのだ、と彼を告発した (4) 。実際、 アグリッパはこの秘密(秘術)について『オカルト哲学』第 1 書 6 章で、これをよく知っていると語っている。だが、このちょっとした自慢話ともいうべき伝説はたしかに事実を基としたものであった。アグリッパの書簡集に載せられた 1 通の手紙( Ep. VII. 22)は 1532 年 12 月末に書かれ、アグリッパ宛に...

カエル──呪いのキーホルダー

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動画の 1 話目: 10 :本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2015/12/13(日) 02:24:56.91 ID:nT/pq9PZ0 俺が中学生のときに体験した話 あれは確か中2の夏だったと思う 部活も入ってなかった俺は授業は終わったらすぐ帰るいわゆる帰宅部ってやつだったんだが その日いつものようにすぐ帰ろうと下駄箱の蓋を開けると、なかにあれ? と思うものが入ってたんだ それは親指サイズのカエルを模したキーホルダーで、女子が筆箱あたりにつけてそうな可愛い感じのやつだった 当然それは俺のものではない。誰かがこれをみにつけていたという覚えもなく、なんでこれが自分の靴箱のなかに入ってたのかいろんな事が謎だった その時の俺は特になにも思わずそのカエルをテキトーにポケットにしまい、その日はそのまま帰った 問題がおこったのは次の日だった 次の日の朝、俺がいつものように登校し、下駄箱を開けると、そこにはある一通の手紙が入ってあった 封筒はこれまた可愛らしくて桜の模様とかが描かれているピンクっぽい感じのものだった 俺はすぐにこれは俺にも春が来たか!と舞い上がった 俺はとりあえずその場ではすぐに手紙を開けず、それもまたポケットにしまい教室へと向かった 11 :本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2015/12/13(日) 02:33:29.25 ID:nT/pq9PZ0 その日はずっと手紙のことで頭が一杯だった どんな子がくれたんだろうとか、もし付き合うとなったらデートはどこへいこうとかそんな事を考えていた気がする そうして一時間目、二次間目と時間は過ぎていき、昼休みの前の掃除の時間となった 俺は教室の掃除だった はやくトイレとかにいってこっそり手紙を読みたいと思ってた俺は、張り切って掃除をしていた だがそれがよくなかった 張り切りすぎて回りが見えてなかった俺は、一緒に掃除していたやつとぶつかってたおれてしまったんだ とりあえずぶつかったやつに謝りながら手紙が落ちてないかポケットを確認する俺 だが急いで確認したせいで、手紙がポケットから出てしまい床に落ちてしまった 「なんだそれ~!」 めざとくそれを発見する暮らすの連中 「おい! や...

スピリチュアル・プロジェクション

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映画『鹿の国』の感想を書いたブログ を書いた時に思ったことだが、ともかくその映画で一番印象に残ったのは、ミシャクジ(御社宮司)の桜の大木を代々守り祀る片桐さん一族の一幕だった。カメラは丁度、彼ら一族が祭事を行っている場面を撮影していた。そのミシャクジの桜の大木が、無条件で独り歩きして「素晴しい御神木である」と考えるのは、スピリチュアル脳的な誤った短絡思考だと思う。だが、そういう思考をするから、よく、パワースポットだのといってスピリチュアリストは、そういった神社仏閣などの霊域を有り難がって参拝しようとするわけだが……。 そうではなく、片桐一族が祭事を執り行うことによって、その桜の大木は、御神木と化し、つまり、神霊(樹神)がそこに降臨・顕現する場となったのである。祭事が終れば、おそらくそれはただの、桜の古木となるだろう。 より厳密に言えば、ミシャクジの桜の大木は、片桐一族にとっての、霊的な心象風景を投影する、一種の銀幕の役割を果たしているのである。実際に、その神が降臨するのは、彼らの心の中にある神座である。その風景が、現実の物質世界に生えている桜の大木に重ねられるのである。 そして、かつて諏訪に存在した生き神少年の 大祝 おおほうり のような霊的能力者は、他者の外界に投影する心的(霊的)風景を見ることができる、特殊な能力を有したのである。 通常、このような他者が外界に投影する心象風景に一々影響されていると、(霊能力者として他人のカウンセリングをすることを生業とすることを除いて、一般人として)生活することは困難になる。むしろ、精神に変調を来たす場合の方が多く、沖縄のユタで言う「カミダーリ」と呼ばれるような状態に陥って自我が崩壊し、振り回されてしまう。『機動戦士Zガンダム』(オリジナル版)でも、強化人間のヒロイン達や主人公のカミーユが陥った状況の、ネタ元のようなものである(僕は初期のガンダムは SF ロボットアニメというよりは、オカルト的なドロドロしたサイキックドラマに、ロボットアニメの上っ面(表皮)を被せただけ、という気がしている)。 ともかく、霊能力というのは、他者の外界に投影する心象風景にアクセスする能力、というのが、僕のオリジナルな仮説である。僕の仮説の独自性は、それは「外界に投影した心象風景である」という点であり、呼ぶとするならば、「スピリチュアル・プロ...

映画『鹿の国』(監督:弘理子)

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先日(2025-01-03)、『 鹿の国 』という自主制作のドキュメンタリー映画を観てきた。 諏訪大社の神事などをテーマにしているということで、鹿の首といった動物の贄を神前に捧げるという、(穢れを嫌う)現代の神道からするとかなり異質な諏訪の、そんな秘密に迫る内容だったため、興味を引かれて、公開 2 日目に観に行ってきた。上映後の弘監督の舞台挨拶によると、プロデューサーの北村皆雄の 50 年来のライフワーク(諏訪の神事などに関する研究)が結実した形の映画だという。 中心となるのは現在は途絶えている諏訪の「 御室神事 みむろしんじ 」を再現ドラマの形で再現を試みているものであり、地元のアマチュアの役者たちによって演じられている。芝居としては泥臭く、傑出しているとは言い難いが、彼らの芝居よりも何も、彼らの顔付きが非常に良い。それだけで十分というほどの存在感である。料理で言うならば、化学調味料で味付けに凝った工場生産の大手食品会社のジャンクフードよりも、調理は素朴でも素材が抜群に良ければそれが圧倒的にいいのだという郷土の手料理の良さである。 とはいえ、僕が個人的に最も良かったのは、ミシャクジ(御社宮司)の桜の大木を代々守り祀る、片桐さん(?)一族の一コマである。その桜の大木が映し出された時、僕は、その枝の又に立って、神事をしている彼ら一同の様子を見下ろしている、神霊(仏教で言うヤッカ)のようなものがいるように思えたのだ。(イラストは適当に流用したので、歌舞伎の獅子の隈取りとにらみを効かせた姿だが、もっと穏やかな表情の平安〜室町の貴人男子の姿で、柳色(緑に白のかさね色目)の装束、冠帯といった雰囲気が似つかわしい感じ) こういった神木や神石などのミシャクジ(神の座)は、かつて諏訪に存在した生き神少年の 大祝 おおほうり が諏訪の各地を巡って見出したのが始まりという。 大祝というのが、ネパールのクマリを髣髴とさせて興味深い。監督の弘理子は、ネパールでドキュメンタリー映画を撮ったキャリアもあるので、そういった観点も映画に反映されていても不思議ではないだろう。 僕の仮説としては、大祝というの(ネパールのクマリも似たようなものだろうが)は、単に儀式的に生き神として選ばれるというよりは、本来は、先天的に霊能力を持った子供を選んでいたのが始まりではないかと思っている...

クンバンダ(半人半獣)または神足通

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僕独自の仮説ではあるが、仏教のクンバンダを、ギリシャ・ローマ世界で言うところの半人半獣の半神パーンに比定している。パーンはテュポーンに襲われた際に上半身が山羊下半身が魚の姿(十二星座の 山羊座 Capricorn )になって海を泳いで逃げたエピソードで有名であり、またディズニーアニメで有名なピーターパンもパーンである。 以下のエピソードは、そのようなパーンを髣髴とさせるものかもしれない(1 話目 0:00~6:31): 495:その1@\(^o^)/:2016/05/22(日) 20:46:37.96 ID:whQIhQFV0.net[4/8] ちょっと長い割に人づてに聞いた話しも混じっています。大した内容では無いかもです。ご了承ください。 私の住んでいた島で私が小さい頃、神の子だと崇められていたお兄さんが居た。 近所に住んでいたお兄さんで特に神々しいとか、特別な存在だなと感じるようなものは無かった。 お兄さんは当時中学生だったと思います。私達は小学1年生でよく遊んでもらいました。 道行く人がお兄さんを見かけると拝んでから過ぎ去っていく様子は今でも鮮明に覚えています。 お兄さんに遊んでもらっている最中に私達の同級生の一人が素朴な疑問をお兄さんに投げかけました。 「どうして○○(お兄さんの名前)にいちゃんは拝まれたりするの?」 お兄さんは少し困った表情で 「ぼう(僕)の事を神様か何かだと勘違いしてる人がおるんや。変な人らやね」 誤魔化すようにそう答えました。 私達は「へぇー」と言うしかありませんでした。 家に帰ってからお兄さんの事を親にも聞いてみました。親は「知らない」の一点張りで教えてくれません。 おじいちゃんに聞くとおじいちゃんは快く教えてくれました。 おじいちゃんから聞いた話しと少し大きくなってから聞いた話しを混ぜてまとめると 496:その2@\(^o^)/:2016/05/22(日) 20:47:17.01 ID:whQIhQFV0.net[5/8] 漁師の息子であるお兄さんはある日、父親の仕事についていくために漁へでかけます。 しかし島を出てすぐに大波に襲われ、船舶事故に遭います。被害者は約10名。全員が漁師です。 死者は一人も出ませ...

暴発する体外離脱

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0001:名無しさん:2021/12/22(水) 22:01:36.69 ID:Lsb69WDI 今から3年前彼女(Aとする)が突如消えた。 Aとは、5歳からの知り合いで、中学2年生の時に付き合い始めた。 高校は違うところに行ったけど、それでも週に一回は会うようにしていた。 大学はAの方が頭が良かったため、俺は猛勉強して、Aと同じ大学を受けた。幸い受かることが出来て、ほんとに良かった。そうして、大学でも、一緒に過ごしていけると思っていた。 0002:名無し百物語:2021/12/22(水) 22:24:28.47 ID:Lsb69WDI ある時、Aのバイト終わりに、映画見ようって話になって、待ち合わせしてた。Aはバイトが少し長引いたようで、少し遅れてきたんだけど、すごく体調悪そうで、熱ぽかった。さすがに行けないなと思い、その日はAを自宅まで送って帰った。 しばらくして、Aに電話をかけたんだけど、全然でなくて、寝てんのかなと思ってた。そしたらしばらくしてAから電話が来て、出てみると、「森の中にいる!」とかいう訳わかんないことを急に言い出した。俺は最初は冗談だと思ってたけど、向こう側から聞こえる音が完全に家にいる音じゃなくて、 テンパったAを落ち着かせて、何があったのか聞いてみた。 俺「どしたん?どこおるん?大丈夫? 」 A「わからん!家帰って玄関で倒れてそのまま寝たはずなのに、起きたら、森の中にいる。」 相当深い森なのか、回線がくそほど悪かった。終始部分的にしか聞き取れなかったが、多分こんなことを言っていた気がする。 状況的には最悪だった。 圏外になるかならないかのギリギリの状況で電話をして、最終的には途中で切れてしまったし、位置情報も分からないし、手持ちはスマホのみだったらしい。しかも、23時頃という、かなり危険な時間だった。俺も相当焦っていたのか、その時はなぜ森にいるのかなんか気にしていなかった。それよりも、Aのあまりにも危険すぎる状況に頭がいっぱいだった。 0006:名無し百物語:2021/12/23(木) 20:59:00.35 ID:14qmjHzh 続き書きますね。 俺は、どうにかしないといけないと思い、警察へ連絡しようと試みたが、そもそも...

神智学系の死後観・輪廻転生観を添削する

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前回、神智学の 7 層構造の世界観・人間観について、独自の分析を行った(「 神智学の元ネタを推理する 」)。今回はそれを踏まえて、死後の世界や輪廻転生モデルについて考察してみたいと思う。 神智学系の死後観・輪廻転生観というものは、歴史的にも、幕末・明治以降の近現代日本の神道系・仏教系双方の心霊観(≒スピリチュアリズム)に直接・間接に影響を与えている。なので、神智学の死後観・輪廻転生観をテーラワーダ=パーリ仏教の観点から添削するということは、単に「他山の石」を評価するだけでなく、我々現代日本人という「自山の石」の問題として評価することを意味している。 神智学(ブラヴァツキー)の仮想敵 神智学(ブラヴァツキー)が第 1 に敵視しているのは、教会によってヨーロッパ社会において歴史的に運営されてきた伝統的なキリスト教(神智学はこれを「顕教キリスト教」と呼んで、彼らにとっての本来のキリスト教=「秘教キリスト教」と区別する)である。身内間の遺産争いのようなもので、日本の宗教界の例で言うと、創価学会と日蓮(正)宗の間の争いのような距離感に近いかもしれない。 第 2 に敵視しているのは、唯物思想である。こちらに対しては、「顕教キリスト教」に対するホットな敵視と違って、冷い軽蔑のようなものに近い。 今回のメインテーマは死後観・輪廻転生観なので、どちらかというと後者の唯物思想に対してどのようなモデルが存在するのかということが中心となるのだが、まず先に、仏教の観点から、前者の「顕教 vs 秘教」について、僕の見解を述べておく。 顕教 vs 秘教 神智学では、各社会の中で伝統的に運営されてきた状態の宗教をキリスト教にせよ、イスラームにせよ、ユダヤ教にせよ、仏教にせよ、顕教と呼び、それは形骸化していて、本来のエッセンスを失っていると考える。それに対して、本来のエッセンスとしてのものが秘教(としてのキリスト教や仏教等)であり、秘教はただ一つの共通する宗教だと神智学は言う。つまり、「信じる・信じない」の(顕教的な)宗教ではなくて、秘教というものは自然科学の理論と同様に、この世界の「真実」だから、と。 まあ、その「秘教」なるコンセプトについては、とやかく言うつもりはない。だが、本当に、神智学が語っている、創造神話や、7 の聖数構造論などが、その世界の「真実」たる秘教に該当...

物質次元と霊的次元の二重レイヤー認識

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我々は、物質次元( 色 ルーパ )と霊的次元( 名 ナーマ )の二重のレイヤーで世界を認識する。 物質次元のレイヤーが(我々から見て)前面(手前側)にある。霊的次元のレイヤーが(我々から見て)背面(奥側)にある 物質次元のレイヤーのオパシティ(不透明度)が通常は 100%(で奥の霊的次元のレイヤーは見えていないの)だが、夜や、雨天や、眠って夢を見ている時など、環境や 24 時間の生活のサイクル等で多少は変動する。また、体質的・先天的に、物質次元レイヤーのオパシティが恒常的に低下して(奥の霊的次元のレイヤーが透かし見えている)いる人がおり、いわゆる霊感体質と呼ばれることになる。瞑想に熟練して、後天的に、意識的にコントロールして、このオパシティを自在に変動させられる人もごく稀にいる。 二重レイヤーなので、(オパシティの問題で)見えていようが・いまいが、霊的レイヤーでの物事は、万人に共通である。つまり、霊的に鈍感な人であっても、同じ霊的影響は見えている人と同様に受けうる。 ただし、過敏な人は、意識しているがゆえ、そのことによる拡大再生産ループ(悪循環)が起こりやすい。同じ体験(心霊スポットに行く等)をしても、鈍感な人が、その場・その時限りの一過性の影響で済むのに対し、敏感な人は、ずっと影響が尾を引いて残り、長引き、場合によっては悪化する。 霊的レイヤーの細分類 WORLD PLANE (BODY) 仏教 ASTRAL (霊界) ELYSIUM or SUMMERLAND キッダーパドーシカ KĀMA DEVAS NATURE SPIRITS マノーパドーシカ 地居天 PURGATORY 龍・阿修羅界 餓鬼界 畜生界 HELL 地獄界 PHYSICAL ATOMIC 人間界 NATURE SPIRITS GRAVEYARD GHOSTS SUPER ETHERIC ETHERIC PLASMA FIRE GASEOUS AIR LIQUID WATER SOLID EARTH 神智学(cf.「 神智学の元ネタを推理する 」)では物質次元の上位亜層としてエーテル次元を設定していて、例えばエーテル体を幽霊が肉体の死後比較的短い期間(49 〜...

供物の味は失われる

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動画 1 話目: 561:本当にあった怖い名無し:2013/11/21(木) 14:23:49.89 ID:mrkryv8v0 夜釣りやってたんだけど普通4,5人はいる堤防で一人だった やったラッキー、仕掛けが横に流れても気にしなくていいと思ってご機嫌で釣ってたんだわ 満月の大潮で条件的に申し分なかったんだけど その時は月が丁度真正面に来てた 月が煌々と明るいのだけはいただけない なぜかわかんないけど魚が食い渋る と、思っていたら頻繁に強い当たりが来る しかし上げてみると魚が乗って来ない 餌もついたままの場合が多い 釣り師は当たりの特徴から何の魚かを推理するのが好きだが このパターンは初めてだ 562:本当にあった怖い名無し:2013/11/21(木) 16:02:46.76 ID:mWp0hQhz0 変だな・・・ 何度か肩透かしを食らいながらもめげずに仕掛けを振り込んだ 今度は仕掛けが沈んで電気浮きがすーっと立つとすぐ横にポコンと丸いものが浮かんだ 海は正面にある月の光を反射して揺らめいていたのでこちらからはその物体は逆光で真っ黒だった 大きさにしてボーリング球ぐらい ん?係留用のブイか? しかしその球体はすぐにスっと沈んだ え?スナメリ?いやスナメリなら止まったりしないし頭を出したら潮を吹く アザラシ?こんな南にいるのかな、ウなら首がついてるし・・・ その時は何らかの動物が仕掛けにイタズラしていたのだろうという事で納得した 566:本当にあった怖い名無し:2013/11/21(木) 16:56:31.50 ID:XBfAFnIS0 それ以来ピタリと当たりが止まり、少し苛立っていた 俺は竿を置いて座っていたクーラーの小口からカップ酒を取り出した 風が止まって海が鏡のように凪いでいる スルメをモグモグと噛みながらカップ酒を飲み干した 俺は落ち着きを取り戻し「ふぅっと」息をして気を取り直した クーラーの上で座ったまま体を90度捻ってヘッドランプを点け クーラーの右隣に置いてあった道具箱を空けると ベタ凪ぎなら辛うじて見える小さい浮きを取り出した どんな小さな当たりも見逃さない作戦だ そしておもむ...

大魔神と巨神兵 〜宮崎アニメの原風景〜

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角川の YouTube 公式チャンネルにて、期間限定(2024-05-10~2023-05-24)で『大魔神』(1966)が配信されていたので、改めて観てみた。 初めてこの作品を観た時は、当時の時代劇畑の人達が中心となって作られ、役者の演技の品の良さに衝撃を受けた。今の時代なら、こういった特撮モノの企画のスタート段階から子供向けのテレビ系の制作スタッフ・俳優陣によって作られるから、幼稚な、言ってみれば、戦隊ヒーローもののノリで、衣裳だけ時代劇風にしただけのコスプレ作品になるのがオチだろう。 そして今回の視聴は、2 度目の視聴になることもあり、冷静に、分析的に観ることができた。そして、〝瓢箪から駒〟というか、ひょんなことで、この作品が、宮崎アニメの創作上の源泉(アイデアのパクリ元)となっていることに気付いたのである。 以下、映画を既に観ていることを前提とする。 ジムシィそっくりの子役 汚ならしい身なりの貧民の子供・ 竹坊 たけぼう が登場するが、『未来少年コナン』(1978)の「ジムシィにそっくりじゃん!」と思ったのである(もちろん、ジムシィはキャラクター的には『トム・ソーヤーの冒険』のハックル・ベリーフィンが元ネタだが、ここでは見た目の印象に関してである)。そして、「あ、もしかして、大魔神って、宮崎駿の有力なパクリ元なんじゃないのか?」と思い始めたのである。僕は、ちょうど最近、『風の谷のナウシカ』のことについて色々と分析していたので、そのタイミングでそれとは無関係にたまたま観た『大魔神』が、宮崎アニメの琴線に触れるものを持っていることに、ハタと気付いたのである。 まあ、この程度なら、凡百のアニヲタが諸説、各人の思い込みを牽強付会する範囲に留まる。だが、これから挙げていくように、他にも証拠が複数見つけることができ、総合的に見て、かなり確実だと言えるのである。 巨神兵は大魔神が元ネタである で「匂うな」と思い始めて、ます最初に思い付くのが、この映画のそもそもの主役である大魔神という存在。宮崎アニメでいうと、これはもう、『風の谷のナウシカ』(1984)(原作は 1982-1994)の巨神兵しかない。 で、ここでも、「凡百のアニヲタの牽強付会の一つに過ぎぬ」と心中で反発する人もいると思うが、これにはトドメを刺す証拠がある。 ...