天井裏からの幽体X

トクモリザウルスのヤースーが紹介する視聴者の投稿エピソード。父親が山で時折マムシを獲って(駆除して?)臨時収入を得ていた。ある時、道に飛び出てきたマムシの頭を車で轢き殺して捕獲したが、それを機に、その轢き殺したマムシに憑依されたような状態になり、自分から他の車の前に飛び出して危うく轢き殺されそうな行動を取ったという。地元では、山の主のマムシを轢き殺すと、殺した人間もマムシの呪いで轢き殺される、という俗信があったのだという。そんなわけで、「動物の呪い」というものはあるのだなあ、というエピソード。

霊視能力のあるヤースーは、彼自身の個人的な経験からすると(彼はペットでもせいぜい数週間で成仏してしまうと言っており)、動物が怨霊となって取り憑くという状況はあまり考えにくいと話すが「こういうエピソードを聞くとこれはこれでありうるのかな」と話して締め括っている。

僕の考察としては、そもそも「誰かが他の誰かを呪う」という発想は、人間同士の話であり、動物に対してもこの思考を適用しようとするのは、人間側の愚かなエゴ的な思考回路である。つまり、動物を殺した人間側のやましい精神(罪悪感)が、勝手に「(相手が)恨んでいる」という他責的なストーリーを作り上げているのだと思う。多分、殺された蛇(マムシ)の側は、とっとと転生して次の生に旅立っていると思う。相手の動物が恨んでいるのではなくて、結局は、動物に酷いことをした人間の側が、自らの殺生カルマの報いを受けているだけである。

だが、日本の伝統的な宗教やスピリチュアル業界においては、このような、動物霊やその禍々しい呪術的な現象は比較的まことしやかに語り継がれていて、特に、中国の道教的な呪術がルーツで陰陽道という形で日本に入ってきて定着している、犬神や蠱毒などの邪法が存在する。上述のエピソードの轢き殺されたマムシの〝呪い〟のような現象を、犬を虐待して殺すことで意図的に作り出そうという、悪趣味極まりない真似が犬神などの呪術なわけである。

さて、僕としては、こういう現象は現象としてはある程度「ありうる」とはヤースー同様、認めるものの、「動物が怨み呪う」という発想は考えるべきではないと思う。そして、具体的にはこの現象に対する説明は、「アストラル的なもの」という表現でメカニズムについての説明もできると思う。「動物が怨み呪う」などというメカニズムで説明するのは、邪見に他ならない物の見方であり、それに基いて、呪術的な真似をするのは、極悪非道の外道である。

上述エピソードのように、殺された動物本人(魂のようなもの)はとっとと転生しているわけだが、その動物の「生きたい!」という生存本能的な強い念はその場(時空間的な場ではなく、その場面)にアストラル体(幽体)となって抜け殻として残る。そのアストラル体というか霊的エネルギーを、勝手に、殺した側の人間が、自分のアストラル空間に取り込むのである。つまり、殺した側の者は、殺した相手の側のアストラル体(幽体)を必然的に取り込む。(動物に限った話ではないが)これが殺生によって負うカルマのメカニズムである。

なので、車に轢かれて死ぬ直前まで必死に逃げて生き延びようとした蛇の衝動が、そのまま轢き殺した側の人間のアストラル体の一部として取り込まれ、殺した人間自身の衝動となって同じように、必死に迫り来る車のタイヤの前を横切って逃げようという行動を起こさせたわけである。

殺されたから恨んで、「お前も死ね!」と蛇が呪う、などというのは、殺した人間側の勝手な思考、邪見である。


さて、都市ボーイズのはやせと言えば、彼の霊的なキャパシティーは「都市規模」と言われ註 1、膨大な数の呪いを自ら進んで背負っていることで知られている。

これは要するに、アストラル次元における彼固有の領域(=彼のアストラル体)のことを言っているのだと、僕は前から思っている。「かねきくん」(前編後編)や「」なども彼のアストラル領域に住みついているのだと思う。註 2

さて、今回のはやせのエピソードにおいては、呪いを引き受けた類のものではない。また新たなる呪物アイテムをゲットした件についての彼らしいお茶目な〝自慢〟動画である。

動画では懸案の呪物である刀を日蓮宗僧侶が儀式によって封印してしまう前に、刀の真上に位置する天井裏から黒猫が落下して出現し、刀の周りを何周か回ってから、はやせの足にベタベタと纏わり付き、儀式の終了と共に何処となく去って行ったという。

ヤースーの動画のマムシのエピソードを思い出して欲しい。この黒猫の行動は、刀の呪いの本体である怨霊のアストラル体が、儀式によって封印されようとする刀身から脱出し、はやせのアストラル領域に逃げ込んだ(亡命した)ことを示しているのではないのだろうか?

別の例を挙げるならば、SF ホラー映画『遊星からの物体XThe Thing』の序盤シーンにおける、ノルウェイ隊のヘリコプターに追われてアメリカ隊の基地に逃げ込んできたシベリアンハスキー犬(に化けた物体X)の振舞いと、今回のはやせの動画の黒猫の振舞いが、そっくりである。註 3

──言うなれば、あの黒猫は、「天井裏からの幽体X」だったのかもしれない。


  1. 残念ながら該当動画は失念して特定できず
  2. 人は死後、生身の肉体を失って、存在として物質世界との直接的な足掛りを失ってしまうと、アストラル次元としての存在性が最前面に出てくることになり、生前に臭い物に蓋をするが如くアストラル次元に溜め込んだ後ろ暗い感情(があればそれら)と対峙することになる。例えば、砂澤たまゑの最晩年のエピソードや、ニンゲンTVの降魔師・阿部吉宏の師匠の最期のように、肉体的に衰えると、霊能体質が暴走して悲惨な最期を迎える場合があるのだが、これは、生身の肉体を失い、敵対していた死霊たちの本拠地(土俵)であるアストラル次元に自分が呑み込まれてしまうと考えることができる。生身の人間同士の社会においては善人であっても、霊に対して敵対的であったということが、死後に響いてくる、ということになるわけである。日本仏教は実質的には非仏大乗教だが、正統仏教の末裔であるテーラワーダ仏教においては、亡霊(餓鬼)に対しても非暴力であろうとするので、僧侶は魔除けのために護符や数珠・ロザリオの類を身に付けてはいけないのだ、という旨のことをスマナサーラ長老がどこかの動画でおっしゃっていたのが印象に残っている。
  3. つまり、ジョン・カーペンター監督のカルト・クラシックである本作は、クトゥルー系ホラーの一種であるとされるが、SF ホラーというよりは心霊ホラーなのである。ラヴクラフトのそれは「コズミック・ホラー」と呼ばれるわけである。

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