砂澤たまゑ『霊能一代』

砂澤たまゑ『霊能一代』(内藤憲吾・編、2024-02-13、二見書房、増補改訂版)を読んだ。

お笑い芸人トクモリザウルスのヤースーのお祖母ばあ(沖縄のユタ)や、原田龍二のニンゲンTVでお馴染の阿部吉宏(降魔師)、ギャル霊媒師の飯塚唯、龍球ノロの末吉愛里(沖縄のノロ)、山口敏太郎のタートルカンパニーの看板霊媒師であるあーりん(霊感風水師)や茶羅尼(尼僧)、怪奇の間の不動貞尊(霊話師)、ゴーストマスターズの山口彩など、数々の本物と思しき、所謂〝拝み屋〟系の霊能者を YouTube で観察してきたので、今回、砂澤たまゑ(1922-01-01~2009-09-11)というかなり力があったとされる霊能者の自叙伝が復刊されると聞いて、早速、図書館で予約し、読むに至った次第。

ニンゲンTVや怪奇の間で検証されていた、関西の有名な心霊スポットである白高大神の教主であった中井シゲノは稲荷信仰系の霊能者だったそうだが、この砂澤たまゑも同様の稲荷信仰系の霊能者で、さらに内記稲荷神社(兵庫県福知山市)の神職を務め、総本宮である伏見稲荷大社の教会(稲荷講)の一級教師でもあったから、総本宮から公認の霊能者ということで、そういった意味でもかなり期待の持てそうな高スペックな来歴の人物である。〝拝み屋〟系の霊能者の典型を研究する上で、非常に良いモデル・サンプルになりそうだ。

生得的なサイキック

日本のスピリチュアル業界では「神様」「神様」と呼称しているが、英語で言うところの God ではなく、Demon(ギリシャのダイモン)である。これは基本的に日本のアニミズムの神々に言えることである。砂澤たまゑは神様を「稲荷大神様」と呼んでおり、その姿は白狐だという。

はじめに

私の人生は稲荷大神様いなりおおがみさまによって導かれた、一筋の道を歩んできたような不思議な人生でした。

砂澤たまゑ『霊能一代』(内藤憲吾・編、2024-02-13、二見書房、増補改訂版)p26

行を深夜に行うのは、昼は気が散るので行には向かないからです。また夜は神様の時間だからです。行を積むようになると、神様が見えるようになりました。大神様は立派な白狐びゃっこでした。体を霊気が包んでいて、神々こうごうしくて近寄れませんてした。よく太った立派な尾をしていらっしゃいます。その尾を、後ろ向きになって見せてくださったこともありました。

そのほかたくさんの神様が出て来られました。普通の人には見えませんが、お山(註:稲荷山)にはたくさんの神様がおられるのです。

砂澤たまゑ『霊能一代』(内藤憲吾・編、2024-02-13、二見書房、増補改訂版)p95

この段階で、普通によく聞く知識として「稲荷神自身は狐ではなく、狐は眷属(神使)だ」という民俗学的な話(伏見稲荷の公式ページにも明記されている)と抵触している。そして、彼女は、その白狐以外にも、豊川稲荷(荼枳尼神)や白蛇神(=龍神)、不動明王、弘法大師(空海)等を信仰しており、宗教・信仰として考えてみると、神仏習合の宗旨ごった煮の寄せ集めで、(客観的な分類としては)どの宗派の信者なのか? という状態である。

稲荷信仰は、何と言っても白狐びゃっこさんとミーさん(蛇神)、それにお不動さんで、特に巳さんの龍神系は欠かせません。商売は水物と言いますように、水の神様である龍神様は大切にされています。

私が行くと客が来てくれるというので、よく商売をしている人から、来てくれ来てくれと言われます。実際に私が店に入っていると、お客が来ることがあります。そのために、客が入るようにわざわざ自動車で迎えに来る人もいるぐらいです。

また、招き猫に名前をつけてくれと言って来る人もいます。招き猫は左招きの猫がよく、右手でため込む形をしている猫はよくありません。まずお金が来なければ、ため込むこともできないからです。そんなことも知らずに、ため込み型の猫を持って来る人もいます。それに、お金をため込むのはよくありません。

砂澤たまゑ『霊能一代』(内藤憲吾・編、2024-02-13、二見書房、増補改訂版)p203-204

だが結局、これが〝拝み屋〟系の霊能者の典型と言うべきもので、宗教・信仰として考えてみると曖昧な中途半端なものであり、彼らにとっての神や仏といったものは、宗教・信仰の「対象・目的」というよりは、現世利益を引き出す「手段」なのである。ここが God を信仰する西アジアの宗教や、釈尊本来の仏教(≒テーラワーダ仏教)と大きく違う部分であり、西アジアの宗教や釈尊本来の仏教は死後についての問題を主眼に見据えているのとは対照的で、日本のスピリチュアル業界では、基本的に現世利益のため(死者供養にしても、その供養によって生者側の悩みを解決することが目的である)にしか、神というものを捉えない。だからそのような神は日本語では同じ「神」でも、God ではなく Demon でしかないのである。

このような Demon とのコミュニケーションに長ける霊能力というのは、基本的に血筋などの原因による生得的なもので、要するにサイキック的なものである。そのサイキック能力を、「神様」で後付け的に理由づけて説明しているだけで、実際は神様(宗教・信仰)は関係なく、能力だけが元からあるのである。もし、宗教・信仰の問題であるならば、その血筋と無関係に、宗教・信仰の強さで、能力が左右されねばらならない。だがもちろん、実態はそうではない。

冒頭に挙げた YouTube で活躍する数々の霊能者たちも、ほとんどが生得的な能力者であり、多くが能力者の血筋であることを誇りにすらしている。その彼らが揃って、神仏習合の宗旨ごった煮で、どの宗派の信者なのかも定かでない実態であることがわかる。つまりこれが〝拝み屋〟系の霊能者の基本パターン・テンプレートだということは明らかである。彼らにとっては、神仏への信仰は帰依し死後の行き先を託す対象というよりは、現世利益(サイキック現象)のために利用する手段としてのデーモニックな存在なのである。極めて日本(=汎中国文化圏)的な宗教観(スピリチュアリズム)である。

交通事故に遭って鞭打ち症の後遺症が残った

God ではない Demon 的な「神様」という点で、彼女のような大神様を祀っている霊能者であっても、交通事故に遭ってしまうことが避けられなかったということが挙げられる。信者である彼女にデーモニックなサイキック能力を付与してくれる稲荷大神だが、こういったマクロな意味で(God のように)彼女の運命をコントロールして守ってくれたわけではなかったようだ。

1990 年代の後半になると、私自身の身にも徐々に変化が押し寄せてきました。私はすでに 70 代の後半にさしかかっておりました。

一番大きな変化は、主人が病で倒れたことです。(……)

ところがさらに決定的な出来事が起きてしまいました。便乗させていただいた自動車が追突されて、重症のむち打ち症になってしまったのです。平成 11 年(1999)7 月 24 日のことでした。

しかし、少し事情があり、講員さんたちには、自動車に当てられたのではなく、「風呂場で倒れてむち打ちになったのだ」と申しておりました。

それから首の周辺に激痛が走り、頭痛や目まいに襲われるようになりました。衰弱はますますひどくなり、長時間仕事をすることができなくなってしまいました。さすがに社務所も閉めてしまいました。ただ、こんな状態でも、伏見稲荷にだけはかかさずに参っておりました。

神様は以前から「1999 年 7 月 24 日に大変なことが起こる」と言っておられましたが、それが私の身に起こってしまったのです。実はこれは、ある大惨事が起こることの身代わりだったのです。

神様はそれから「これも行だ。2 年間我慢しろ」とおっしゃいました。75 歳を過ぎたというのに、まだ行の日々は終っていなかったのです。

砂澤たまゑ『霊能一代』(内藤憲吾・編、2024-02-13、二見書房、増補改訂版)p157-159

そのようなことをはばかってなのか、彼女は、講員(信者)たちには交通事故という不運事による怪我であることを隠したようである。

神様が 2 年間は行だとおっしゃった意味が分かったのは、平成 13 年(2001)9 月のことでした。

夜、「代よ、テレビをつけてみろ」とおっしゃったので、スイッチをひねってみますと、いきなりドカンという爆発音が聞こえてきました。そして、一瞬目の前が明るくなり、重苦しかった首の周辺がスッと軽くなったような気がしました。それからニューヨークで高層ビルが破壊されたことを知りました。ちょうど飛行機が突っ込んだ瞬間にテレビをつけたのでした。爆発音はテレビの音ではありませんでした。現場の音でした。

これが私の行の終わりでした。それからむち打ち症はしだいに回復に向かうようになり、以前のような重苦しさやつらさは消えてゆきました。ただ後遺症はまだ残っており、午後になると首の周辺が痛くなってきますし、首は相変わらず曲がって前に少し傾いたままです。特に無理をした日は疲れがひどくなり、痛みはじめます。

9 月 11 日のニューヨークのアメリカ同時多発テロ事件も、また祀られぬ霊の仕業でした。この 2 年間、このことが私には重くのしかかっていたのです。

こうして行の年季が明けると、しだいに元気が出てきました。

砂澤たまゑ『霊能一代』(内藤憲吾・編、2024-02-13、二見書房、増補改訂版)p161-162

砂澤たまゑ本人としては、一応、9.11 の惨事に関連した彼女が背負うべき苦行として説明付けて合理化している。だがこのあたり、やはり、日本的な神(Demon)の、現世利益を中心に捉えられている存在のやや苦しい点だと思う。神(God)であれば元々もっとマクロな視点で人の魂を救うという観点で捉えられているので、現世的な一々のことを、神に頼もうとする発想は薄いし、現世的な浮沈に一喜一憂して信仰心が揺さぶられることも少ない。もっと淡々としているはずである。

思い入れの深かった内記稲荷を晩年になってから立ち退かざるを得なくなった

そして、怪我以上に、彼女を悲運が襲う。30 年に渡って隆盛を極めた内記稲荷神社を、70 才を過ぎてから、立ち退くことを強いられる。せめて、このままそこで死期を迎えたかったのだろう。こういった件(政治・行政的なマクロな物事)に関しても、彼女の大神は無力だったことになる。やはり、God(支配神)と Demon(鬼神)の性質の違いと言うべきか。

行の年季が明けたせいか、むち打ち症もしだいによくなっていきました。体調も少しもどってきましたので、平成 15 年の 6 月に目の手術に踏み切りました。幸いにも手術は成功し、少し見えるようになりました。

それから休養を兼ねて入院を長引かせておりますと、主人が他界したという知らせが入りました。そこで入院を早めに切り上げて、フラフラの体で鳥取に向かいました。これで完全に一人になってしまいました。

また同年の秋には、身辺にさらに大きな変化が訪れました。ついに 30 年間住み慣れた内記稲荷神社の側の住まいを離れることになったのです。

私は数年前から、いまの住まいの立ち退きを迫られていました。私の住まいのあるところを道が通ることになり、福知山市から立ち退きを要請されていたのです。周りの家はすべてその件を承諾しており、早々と引っ越してしまったところもあります。私もグズグズしているわけにはいかなくなりました。それで移転先を決めなくてはならなくなったのですが、なかなか決まりませんでした。もちろん、神様が決めてくださるので、どうなるのか予想がつかなかっただけのことですが。

(……)

移転先は二転三転しましたが決まりませんでした。とりあえずどこに決まってもいいように、御神璽を社務所から私の家に移しました。お祭りも私の家でするようになりました。

こうしてとうとう内記稲荷神社を離れることになりました。思えば長い 30 年でした。いずれにしても、移転先が決まりしだい近々に引っ越さねばなりません。

砂澤たまゑ『霊能一代』(内藤憲吾・編、2024-02-13、二見書房、増補改訂版)p163-165

基本的に、日本の神仏や信仰といったものは、現世利益、個人のミクロな悩みを解決するためにあり、基本的に、人間の現世を離れた神仏の世界に所属する物事を扱うものではない。西アジアの一神教や、釈尊本来の仏教(≒テーラワーダ仏教)とはその点で大きく一線を画している。これが、汎中国文化圏の精神性である。砂澤たまゑもその日本的な価値観における典型的な一人の(有能な)霊能者であったと言える。

アニミズム的シャーマニズム

日本の神(Demon)はアニミズム的な精霊神なので、自然環境(霊域)を必要とする。砂澤たまゑにとっては、稲荷山の〝お塚〟だったようだ。そういった場が荒らされると、神の存在感が弱まるという。同様のことは、沖縄のノロ末吉も言っている。こういった点も、(God と違って)人間様が環境を整えてあげなければならないという受動的で物理的に脆弱な側面があるのが日本の神の特徴である。要するにその実態は、自然界の精霊神だからである。

何度も申しますが、自然が神様です。自然の中に霊があり、それが肉体に宿るのです。神様仏様はみな自然の中におられます。だから私たちは先祖を祀り、神様に手を合わせてきたのです。自然の中の霊と先祖が神様で、一番力があるのです。形のないものが、一番力があります。

霊の世界も複雑です。私のような霊能者には、霊の世界が分かります。だから霊能者なのです。

霊には悪い霊もあります。死後に供養されなかった霊です。そういう霊は、ポンとたたくだけで払えるものもありますが、除霊じょれいしなくては払えない霊もいます。除霊するには、する側の霊力が強くないとできません。霊能者の力が高くなければ、悪い霊の力に負けてしまうからです。つまり、霊能者に立派な強い神様がつかなければ負けてしまうのです。そのためには、霊能者が行を積んだ能力の高い人でなくてはなりません。そうでないと立派な神様がつかれないからです。

除霊については、何も食べなくなって部屋にこもっていた女性を、根上りさんで御祈禱して治したのがその一例です。これはすでにお話ししました。

また霊について調べることもできます。私が霊媒れいばいとなって、ほかの霊が自分のことを語り始めることがあります。このとき私は何も覚えておりませんから、記録する人を頼んで、私の語ることを記録してもらわないといけません。

私には仏様も分かります。死期の近い人には仏様がついておられます。以下はその一例です。2 年ほど前のことです。お正月に伏見稲荷にお参りしておりました。そのときに、いつも私と 一緒にお参りされていた方が、家族の人たちとともにお参りに来られました。しかし、しんどいと言われました。

私はすぐに、その方が肺と心臓をやられてしまっており、長くないことが分かりました。仏様がついておられたのです。それで別室で休みなさいと言いました。仏様を相手にすると私が疲れるからです。結局その方は、帰られて数日後に亡くなられました。私には亡くなられる日がいつであるかも分かっていましたが、誰にも言いませんでした。

私には霊がたくさん寄ってきますので、普通はポンと払うことができるのですが、状態によってはそれに引っ張られてしまうこともあります。そのときは周りの人が見ると、何やらブツブツ言っているようにしか見えないそうです。霊と話しているのです。生前のことで文句や不平を言いに来るのがいますから困ったものです。たくさん寄ってきて、夜中に宴会を始めるのまでいます。

今の苦い人は、悪い霊に憑かれた人が増えています。昔に比べて変な若い人がたくさんいます。わけもなく暴れ出したり自殺しかけたり、おかしな宗教団体に入ってしまったりと、変な人があとを断ちません。私のところにもたくさん来ます。

変な声が聞こえて来ると言ってみえる若い人もいます。幻聴です。分裂病(統合失調症)ではありませんが、こういう人も多くなりました。こういう人は、最後には医者からもらった薬をたくさん飲みすぎて、本当の精神障害者になってしまいます。

その一例をお話ししますと、会社勤めをしている 20 代の青年が、母親連れて変な声が聞こえると言って来られたことがありました。会社にも出られなくなってしまったというのです。幻聴も、私のような神様の声ならいくら聞こえて来てもいいですが、若い人たちの聞いているような悪いものなら困ります。こういった症状に打ち勝つためには、自分が強くなることが大切です。そうすると幻覚は逃げて行きます。

それにはまず絶食することです。すると体が軽くなり、眠れるようになります。よく眠ると、体が安まり、頭の中がすっきりします。テレビやビデオも断つことです。見過ぎ、聞き過ぎはよくありません。毒です。こういったものを見過ぎると、目が疲れます。

目が疲れると、体のすべてが疲れます。だから目を休めて自然を見るようにしなくてはいけません。自然と一体になり、自然と語ることで、無になれます。絶食をして自然の中にいると、すべてのものが生きているのが感じられるようになります。すると精神が統一されて来ます。今の若い人は、怖いものやつまらないものを見過ぎているので、精神がバラバラになっています。

砂澤たまゑ『霊能一代』(内藤憲吾・編、2024-02-13、二見書房、増補改訂版)p225-228

霊には憑依ひょうい霊と先祖の霊があります。憑依霊は払えますが、先祖の霊はなかなか浄化できません。先祖の霊は、各家でお祀りしていただかねば、私にはすぐさまどうこうすることはできないのです。ですから、私は先祖の供養は大切だと常々つねづね言っているのです。

憑依霊はいくらでもいますから、払ってもまたつぎの霊に憑かれます。ですから、心を清く強く持つという各人の日々の鍛練たんれんが大切になってくるのです。霊は目には見えませんが、皆さんの周りにはたくさんいます。肩にもとまっています。この霊が、病気を起こしていることだってあるのです。この場合は医者にかかってもなおりません。

人間は死後 50 年経って成仏したら、魂は天上して空気の中にあります。そして赤ん坊の中に入って生まれ変わります。

日本は戦後 50 年経ちましたが、戦争で死んで供養されずにきた霊がたくさんいます。その祀られないできた不幸な霊が、生まれ変わりようがないので、無茶苦茶をし始めました。今、日本がおかしくなってしまったのは、こんなことにも原因があるのです。供養を忘れた結果です。

今の人たちには、自然が神様ということが本当に分からなくなってしまいました。ですから平気で自然を破壊できるのです。人々の心から、神様がいなくなってしまったからなのでしょう。

砂澤たまゑ『霊能一代』(内藤憲吾・編、2024-02-13、二見書房、増補改訂版)p230-231

最晩年にアルツハイマーとなり、憑依体質が裏目に出る

アルツハイマー型認知症となった最晩年の彼女は、霊能力に振り回されて時に錯乱することがあったという話である。

【追記】最晩年の砂澤

オリジナル版の第 1 部は、2003 年の秋で終わっています。砂澤に原稿を送ったのは 1999 年の秋で、第 1 部は本来なら、砂澤に話を聞き終えた 1999 年の 3 月で終わっていなければなりません。それが 4 年ほど延びているのは、2003 年の秋から手直しを始めたため、1999 年 3 月以降に見聞した話を追加したからです。

2003 年の秋以後の砂澤の動向は、『お稲荷さんと霊能者』(洋泉社)で簡単に書きましたが、ここで再度触れることにします。

内記稲荷ないきいなり神社のそばにあった砂澤の自宅が、道路建設のために取り壊されることになり、福知山市から立ち退きをいられていた砂澤は、移転先が決められず、なかなか腰を上げようとしませんでした。

そのために、市の職員がときどき砂澤の自宅を訪れて催促していましたが、砂澤は応じようとはしませんでした。

私は、砂澤の自宅を訪れた時、偶然その場面に遭遇し、外でやり取りを立ち聞きしてしまったことがありました。砂澤は「なんで出て行かんならんのですか」の一点張りで、出ていけと言われていることが理解しかねる様子でした。市の職員も困っているようでした。

砂澤が住んでいた自宅の土地は、内記稲荷神社のもので、借地でした。内記稲荷に移って来た時、砂澤は側にあった官舎の建物を借りて住んでいたのですが、1989 年に取り壊し、新しい家を建てました。その時、いずれ道路ができるので立ち退かなければいけないと市から言われていたのですが、それを忘れてしまっていたのです。

砂澤はある時、「道路をたくさん造りますが、そのうち日本は、車なんか走らない道路ばかりになってしまいます」と、うんざりした顔で言いました。

第 1 部では「とうとう内記稲荷神社を離れることになりました」と書きましたが、砂澤が実際に移転するのは、かなり時間がかかりました。

その間に、自分の家に来てほしいと受け入れを表明した信者さんが、何人か現れました。ある人は、「神さんが来てくれるのはありがたい」と嬉しそうに言いました。〝神様(砂澤)争奪戦〟が始まったのです。しかし、砂澤はなかなか決断しませんでした。

この時期、砂澤は他の人が物を盗ったとよく言うようになりました。この傾向は 2000 年を過ぎたころから始まっていたのですが、それが激しくなったのです。あらぬ疑いをかけられた人は何人もいて、中にはノイローゼになった人もいたそうです。また、人の悪口をよく言うようになりました。

これらの兆候ちょうこうは、アルツハイマー型認知症が原因でした。介護の仕事をしていた人はすぐに 砂澤がアルツハイマーであることが分かったそうですが、そうでない人はとまどいました。のちに砂澤を引き取った人が砂澤を医者に見せますと、砂澤はアルツハイマーの中期で、2000 年ぐらいから進行していたことが判明しました。

砂澤たまゑ『霊能一代』(内藤憲吾・編、2024-02-13、二見書房、増補改訂版)p249-251

上地さん宅に移ってからも、砂澤は神様を祀り、御祈禱ごきとうを受けつけていました。しかし、老化などの影響で、さまざまなトラブルを起こすようになりました。

例えば、電話で御祈禱の予約を入れても、すぐに日時を忘れてしまうようになったのです。そのために、相談者が約束の時間にやってくると、約束をしていないと言ったり、不在にしていたりすることがあり、やって来た人が怒りだすといったさまざまなトラブルが発生しました。以前のように御祈禱をすることは、無理になっていたのです。しかし、砂澤にその自覚はありませんでした。上地さんは、被害者に苦情を言われて困りました。

このころ、砂澤はまだ霊能力が働き、霊能体質が残っていたので、ときどき奇怪な行動を見せることがありました。

ある時、砂澤が着替えの最中に突然外に飛び出し、ものすごい勢いで走り出しました。上地さんは走って追いかけることができなかったので、車を出して追いかけて捕まえ、砂澤を車に乗せて帰りました。砂澤は憑霊ひょうれい体質なので、さまざまな霊が寄ってきやすく、かれやすいのです。元気な時はそれが簡単に切れたのですが、このころは弱っていたので、それができなくなっていたのです。この時も何かが憑いたようです。

またある時は、突然「大きな魔が来る、近寄るな、中に入れるな」と叫び出し、玄関まで走り出て、倒れてしまいました。体は硬直しており、意識はしばらく回復しませんでした。意識が回復した時、力尽きた表情で、「中に入れなかった」とつぶやきました。私たちには見えないものと闘っていたのでしょうか。

砂澤たまゑ『霊能一代』(内藤憲吾・編、2024-02-13、二見書房、増補改訂版)p254-255

悲しい話だが、降魔師の阿部吉宏が、霊能者の典型的な晩年として語っていたことと一致している。老化して霊能力が衰えてくると、憑依体質が仇となって、発狂したり(阿部の師匠は発狂の末自殺したという)、様々な形のストレスによって肉体を蝕まれて短命になりがちだという。

こういった悲劇に対しても、Demon 的な神は無力なのだろう。それに対して God ならば、もっとマクロな視点で人を救ってくれるべき存在ということになる。

死後、自身が塚に宿る神となった

増補改訂版のあとがきに代えて──砂澤は「生きていた」

砂澤の死後、砂澤について書いた『お稲荷さんと霊能者』(洋泉社)は、2017 年 1 月に発売されると、私の予想を上回る売れ行きをみせました。

本が発売されると、さまざまな反響がありました。これもまったく予期していなかったことでした。

発売直後に奈良県のIさんから出版社気付で手紙をいただきました。この方はお祖母ばあさんが霊能者で、ご自身も修行をされているとのことでした。この方がよく相談しておられるTさんも霊能力があり、稲荷山の一ノ峰などでぎょうをしておられるそうです。

私は、本の見本ができたとき、砂澤が死後に入ると言っていたおつか(195 番)に見本を持参して参り、本ができたことを報告しました。私は、砂澤の死後、月に一度ぐらいお塚に参っていたのです。

私が見本をもって参ったすぐあとのことだったようですが、Tさんが一ノ峰で行をされていた時、ある声が聞こえてきて、その声に導かれて御膳谷ごぜんだにまで降りていかれました。御膳谷に着くと、お塚の間を縫って、砂澤のお塚の前に導かれました。

ここで、ある声ぬしは、自分が「砂澤たまゑ」であることを告げ、「内藤というものが今度『お稲荷さんと霊能者』という本を書いたので、読んでやってほしい」と言ったのです。声の主は、「気がつくと、ここにいた」と言いました。

Iさんは、「気がつくと」とは、死ぬ間際まぎわのことは覚えていないという意味なのでしょうね、と書いておられました。

Iさんの手紙とこのことに触れたTさんのブログを読んで、私は、砂澤が生前、死んだら 195 番のお塚に入ると言っていたのはやはり本当だった、と驚きました。私がお塚に本の見本を供えたことは、その時お塚のまわりには私以外に誰もいなかったのですから、私以外に知っている者はいません。もし、私以外にそれを知っているものがいたとすれば、それはお塚にいた砂澤の霊しか考えられません。

思いがけないことに、私の書いた本がきっかけとなって、砂澤は死後 7 年目にして初めてお塚にいることが明らかになったのです。それまで砂澤がお塚にいることは誰も言いませんでした。砂澤は「生きていた」のです。

声の主は、Tさんがお塚の前を離れてからもついてきて、帰り道の薬力社やくりきしゃの前でもさまざま なことをしゃべったそうです。よほどしゃべることに飢えていたのでしょうか。Tさんは霊聴れいちょうの能力がありましたので、砂澤の霊は、ようやく話せる人が現れてうれしかったのかもしれません。

Tさんは、声の主の声の質や話し方をブログに書いておられましたが、それは生前の砂澤を髣髴ほうふつとさせるものがありました。やはり声の主は砂澤に違いありません。

復活した砂澤は、さまざまな異変を見せ始めました。

『お稲荷さんと霊能者』の刊行後、若い女性たちがこの本を読んで眼力社がんりきしゃを訪ねてくるように なりました。女性たちは眼力社で砂澤のお塚の場所をたずね、場所を教わるとロウソクを買って お塚に参りました。

その中のひとりが砂澤のお塚に参ると、お塚の前に白い着物に黒の羽織姿はおりすがたの女性が立っていたそうです。この話を聞いた時、私は砂澤が出てきたと思いました。この他にも、お塚では異変がよく起きました。お塚の前に大きな蛇が横たわっていたこともありました。

砂澤のお塚はパワースポットになり、ネットでは「砂澤たまゑ先生」と呼ばれ、砂澤はすっかり有名人になってしまいました。

砂澤たまゑ『霊能一代』(内藤憲吾・編、2024-02-13、二見書房、増補改訂版)p260-262

もし、God の意味で「神」を捉える国の人に「死後、神になった」と言うと、ギョッとされるかもしれないが、あくまでも Demon 的な意味の「神」なので、これは全然ありうる話である。砂澤たまゑの霊能者としての本物ぶりを窺える、日本的なエピソードだと思う。

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