いいづか☆マギカ──身を粉にするギャル霊媒師──
先日、なぜか夢の中にギャル霊媒師の飯塚唯が登場し「(夢の中の設定において、僕は)彼女とちょっとした知り合いという認識だったのだが、郊外の住宅街で他の友人たちと移動中にたまたま見掛けたという状況だったので、彼女の方は気付いていない様子でもあり挨拶することもなく、その場では通り過ぎた」というものであった。その夢の中の飯塚唯は、常日頃のような霊媒師としての仕事で、たまたま僕が通りかかったその住宅街に立つアパートの一室に除霊の仕事に向っていたところだった模様である。
この夢を見たタイミングとしては、飯塚唯と七四六家とのコラボで彼女が七四六家のメンバーくまこの自宅を除霊する動画を視聴した直後だったので、まず直接的にはその影響が大きいだろう。
とはいえ、これまで何度も飯塚唯を彼女自身のチャンネルに限らず、様々なコラボ先動画に登場している姿を観てきているわけだが、夢に出てきたのは今回が初めてである。僕の何気ない印象としては、「僕のような(彼女にそれほど強い関心を持っているわけでもない)末端の視聴者の夢の中にまで登場するなんて御苦労様なことだ」というものだった。除霊の仕事で日本全国津々浦々を飛び回っているらしい、現実の彼女の人柄が、僕の夢の中の様子にまで反映されていた気がしたのである。
また、彼女の除霊の様子は、特に今回が初めてというものでもなく、お馴染みのもので、聖水や酒で壁に梵字を描いたり、護摩を焚きながら鐘を鳴らしつつ真言を唱えたりといったもの。飯塚唯は「風水が〜」と言うが、風水と言えばドクター・コパのそれのイメージが強い僕としては、彼女のやっている儀式で風水らしいものと思えるのは、庭先に水晶を埋めたりする行為のあたり。「聖水や酒で梵字を描く」「護摩を焚きながら鐘を鳴らしつつ真言を唱える」というような儀式で風水的パワーが発生するとはとても思えない。これらは本来、空間に対するものというよりは、(幽)霊に対して行われるべき呪術的な儀式行為のように思える。
にもかかわらず、飯塚唯は、空間に向けて「聖水や酒で梵字を描く」「護摩を焚きながら鐘を鳴らしつつ真言を唱える」を行っているように見え、特定の霊(体)に向けて行為を行っているようには見えない。例えばニンゲンTVの降魔師阿部吉宏の場合は、羂索などで悪霊の霊体を縛って捕えたりするわけだ。一方、飯塚唯の場合、悪霊などとコミュニケーションを取って睨み合っているような様子は見えるものの、除霊行為においてはそのような行為が見えない。註 1
「聖水や酒で壁に梵字を描く」ということから考えるとわかりやすいのだが、僕はこれは結局、(壁の位置に対応する座標の)アストラル次元に梵字を描く呪術的行為なのだと解するべきではないか、と。
同じ考え方を「護摩を焚きながら鐘を鳴らしつつ真言を唱える」に適用すると、その儀式行為を行う部屋の空間に対応する座標のアストラル次元の領域に、香木の匂いを薫き染め、鐘の音を轟かせ、真言を響かせている、と解せるわけである。
アストラル界というのは、人々の思いや感情の染み付く、現世の影のような領域である。ギャル霊媒師飯塚唯の除霊のやり方というのは、そのアストラル空間を、自分が除霊の儀式を行ったという思い出に染めることで、悪霊を遠ざけようとする呪術的な方法なのではないか。
それも、飯塚唯という人は、単に儀式を行うという風ではなく、自分の身を粉にして、アストラル空間に塗り込めているきらいがある。それは要するに、自分の霊魂を粉の形の生き霊にして日本全国津々浦々の依頼先に、薄く引き伸ばして塗り込めているイメージである。思い(心情)を込めるということは、それがアストラル次元に働きかけるということと表裏一体をなしている。
僕が、夢というアストラル界に意識が飛びやすい状況下で、彼女が家々を巡っている様子を目撃した、というのも、そういったこと(僕のアストラル領域にまでも彼女のアストラル体のかけらが飛び込んできたということ)を暗示していたのかもしれない。
「身を粉にして」ということを文字通り「自分の霊魂を粉にして生き霊として日本全国に分散」などしていたら、その反動として健康面でも障害が出ても不思議ではないはずだ。註 2
そしてその後、死んだ後になっても、アストラル空間にバラ撒かれて遍在する彼女のアストラル体は、大乗教的な菩薩道註 3とでも言うのだろうか、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』のヒロイン鹿目まどかのように、宇宙(世界)を救うための犠牲(一種の権現・明神)となって註 4、自身はアストラル界という幽界(過去の世界)に縛られた人柱のような状態で成仏註 5せずに永い時間を過ごすことになることも厭わない、とでもいうのだろうか?
註
- ただし、彼女は、動画として出せない除霊の現場において、「悪魔憑き」のケースがあると述べており、その場合は、悪魔憑きとなった生身の人間(映画『エクソシスト』の少女リーガンの状況)に対する除霊行為は行っているであろうことは確かである。その場合でも、悪霊そのものを直接の対象とするというよりは、取り憑かれた生身の人間の肉体を除霊儀式の対象としていることになると言えると思う。
- 沖縄で言う「魂込め」と反対のこと、「魂落とし」を意図的にやっているようなものかもしれない。
- もちろん筆者は、大乗教およびその菩薩道とやらを、必ずしも肯定的な意味で捉えて述べているわけではない。
- ネタ元は映画『マトリックス』シリーズの主人公ネオの最期だろう。
- もちろんこれは、日本の心霊業界における「成仏」であり、単なる幽界(餓鬼界)からの脱出を意味する言葉であって、悟りを開いて仏陀(阿羅漢)に成り涅槃に至るという、正統な仏教における「成仏」の用法とは何の縁もゆかりもない、卑語・俗語の用法の類である。
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