父の死 11 納骨

父の死から 49 日目にあたる今日、納骨を済ませた。都内のマンション型の墓地で、非常に利便性が高く、「墓参」を真摯に年中行事として捉えている人にとっては、非常に良く整えられたシステムだなと思った。

僕自身は、遺骨をそもそも故人の「遺品」としてしか考えておらず、その特殊な遺品をロッカーに預ける感覚であった。僕がそのような考えを常々口にしているせいか、母や弟たちも、特に納骨に際して儀礼じみた感覚はなかったようで、誰も名残を惜しむようなこともなく、すみやかに終わりとした。職員の態度だと、しばらくゆっくり浸ってもらってからにしてもいいです、という感じで、我々のあっさりした態度に向こうの側が拍子抜けしたような感じだった。

それにしても、「墓参り」とか「墓を守る」とか、いったいどういうことなのだろう? 全くピンと来ない。故人を偲ぶということならわかる。「故人」というよりは、「墓」が主体となるというのは、どういうことなのか? 宗教ビジネス的には、非常に都合の良い慣例ではあるのだろうけど。

まあともかく納骨が終わって、一つの喪に服す期間というか、それは一定の区切りが付いた気がする。

母は納骨が終わるまで、まだ父の死を公にしていなかったので、これからそういった知り合いへの挨拶などが待っている。自分の方は、これから相続に伴う手続がいよいよ本格化することになる。

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