小室眞子さんは日本国民の誇り(余談)小室圭さんのTシャツ

まず、いかに日本の世間の目が小室圭さんに悪意的で無理解かを示すのが、小室圭さんの着ていた「ダースベイダーのTシャツ」についてのものである。

なぜ、それほどまでに「眞子さん自身が選んだ」立派な青年を、眞子さんの意志を徹底無視してまで、ケチョンケチョンにけなすのか? それこそ眞子さんに対する最大の侮辱ではないか。僕は、むしろそう(眞子さんに対する侮辱だと)思わない、人々の神経の方を疑う。要するに、やはり、個人の意志良心といういわゆる“魂”が確立しておらず、社会的な地位からくるアイデンティティを中心に人生の価値観が構成されているからであろう。

スポニチ:小室圭さんは「皮肉を込めているのでは」、精神科医が「ダース・ベイダー」Tシャツを分析

精神科医で映画「スター・ウォーズ」の心理学分析でも知られる樺沢紫苑氏は、小室さんの服装について「マスコミのバッシング報道の中、あえて悪役をアピールすることで皮肉を込めているのではないか」と指摘した。

ダース・ベイダーの人物像を「暗黒面に落ちたが、最終的には正義の心を取り戻すなど完全な悪ではない存在」と分析。「強烈なビジュアルやとがった生き方が魅力。既存の枠にとらわれずに物事を進める人などから特に人気のあるキャラクター」とした。小室さんの他のお気に入りの作品が映画「ダーティハリー」や「スーパーマン」であることには「アウトローな生き方に魅力を感じつつ、少年の心を今でも大切にしているのでしょう」と説明した。

「一体、何を言っているのか?」と。この樺沢氏個人を責める意図はないが、要するにマスコミにこういう記事が出てくるところに、世間の意識が表れているわけである。この記事だけでは例えば樺沢氏が結局のところ、小室圭さんに同情しているのか、それとも嫌味を言っているのか、立場ははっきりしない。そもそも、記事にする段階で、インタビューの中からマスコミが興味のある部分だけを切り取って表に出しているわけである。それでも、出発点となる認識からして、全く無理解からスタートしているように思える。

ダースベイダー、すなわちアナキン・スカイウォーカーが、母子家庭で育ったのは、スターウォーズ・シリーズを観ればわかるはずである。小室圭さんがそのアナキンと自らの境遇を重ね合わせることに、思い至らないのはどういうことか? そして、彼は、アミダラ女王と結ばれる。皇女の眞子さんをアナキンが結ばれるアミダラ女王と重ねている。何でこんな至極当然のことすら理解が及ばないのか──。マスコミへの悪意とか、悪役をアピールとかなぜそういう軸でしか見てあげられないのか。

アメリカ人なら、このダースベーダーTシャツを見て、悪意とかでもなく、ちょっとした小室圭さんのウィットの効いた茶目っ気と受け取ったかもしれない。もちろん、上の樺沢氏もそれを言っていた可能性はある。しかし、何も表に出てこない。そこは日本の社会の問題である。小室圭さんは、育ちが卑しく、己の人生の栄達の野心のために、眞子さんを妻としてゲットした、という三文オペラでしか、物事を見ようとしないのだろう。卑しいのは、そういうドラマで捉える心の持ち主の側の方である。

中日スポーツ:小室圭さん、上着からのぞかせたダース・ベイダー柄のTシャツが話題に 「一体どんなセンスなんだ」「やっぱり暗黒面に…」

ニッポン放送:小室圭さんのTシャツの“ダース・ベイダー”は「『これからは悪役に徹します』ということ?」辛坊治郎が意図を推測

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