奴隷または欲界、そして出家

求道

『創世記』は「創造」、「形成」、「活動」の三「世界」がいかにして存在するに至ったか、および人類がいかにしてこの自然の領域に降臨したかを描いている。『出エジプト記』(註:『旧約聖書』中、『創世記』に続く一書。モーセがイスラエルの民を率いて、奴隷状態に置かれていたエジプトから脱出する物語。ここで「神」はモーセを通して「律法」を与え、「幕屋」の建て方を教える。カバラでは『創世記』に次いで重視されている。)は、その「源泉」への登攀、帰還を問題としている。『セフェール・トーラー』(この書名は「教えの書」を意味し、多くの人が思いこんでいるような「律法」ではない)は、『旧約聖書』、とくに『モーセ五書』(註:『旧約聖書』の最初の五巻、『創世記』、『出エジプト記』、『レヴィ記』、『民数記』、『申命記』を指し、アブラハムの召しからモーセの死に至るまでのイスラエル人の苦闘が物語られている。この『五書』はユダヤ教の中核であって、後世のあらゆる律法はここから導き出される。『トーラー』ともいう。)の中に埋めこまれた教義である。この教えは古代の宇宙的神話、民族的伝説、律法の枠組の中に織りこまれており、直接人間の置かれた状況に関連している。『トーラー』にはわれわれが生まれついて初めて気づくこの地上世界の諸条件や、われわれの故郷である「約束の地」に帰るための方法が、象徴的な形で描かれているのだ。

ユダヤ教には二系統の『聖書』の知識がある。ひとつは書物であり、もうひとつは口伝である。前者は『聖書』の正典の中に組みこまれており、後者は『タルムード』(註:ユダヤ教徒が厳守しなければならない規範、法律、道徳を記した律法と伝統の集大成本。主として『モーセ五書』つまり『トーラー』の注釈より成る。その中央には注解文(ミシュナー)が、その周辺には口伝文(ゲマラー)が置かれている。ここに記された規範を破るものはユダヤ教より破門される。)に関するラビの注釈の中で暗示されている。『タルムード』は数世紀にわたって成文化されてきたが、それをいまだに口伝と呼ぶ人がいる。真の口伝の継承は、師から弟子に直接伝授されたものである。師は弟子と秘教的な関係を結んでおり、その関係は霊的次元における理解に基づいている。これこそカバラの正道である。カバラとは「受け取ること」を意味するからだ。こうして伝授されたものは通常、聖書的寓意の形に鋳込まれる。こうして正統な伝統を受け継いでいる大半のカバリストは、深く『聖書』に通暁するようになるのである。

ヤコブ(註:ユダヤ一二支族の祖。イサクの子でエサウとは双子の兄弟。一二人の子をもち、そのひとりひとりが一二支族の族長となる。後にイスラエルと名を換えたので、その子孫は全てイスラエルの民という名がつけられた。天使と闘ったこと、天に通じる「梯子」の夢を見たことで有名。)の家族がエジプトに下る物語は、魂の受肉をあらわしている。エジプトを意味するヘブル語の名前は「ミズレイム」であるが、これは「閉じこめられた」とか「限られた」という意味である。魂も受肉によって閉じこめられ、限られる。その本来の住み家はエデンの園(「イエツィラー」の世界)だからである。この下で、すなわちエジプトで、魂は奴隷状態に置かれ、しばらくするとその本来の故郷を忘れてしまう。しかし、ふだんは、肉の重みや仕事、苦痛、快楽に没頭してはいるが、ときどき澄み切った瞬間が心をおとずれて、あのもうひとつのもっと自由な場所、魂の郷里をぼんやりと思い出させる。おおかたの人びとの場合、この現象は、情熱や野心に心を奪われるにつれて、青年期には消えてしまう。子どものころ切に求めた避難所は、仕事とか、家族とか、ありふれた関心事に忙殺されるにつれて、見失われてしまうのである。とはいえ、ある種の人々にとっては、それがまったく失われるわけではない。彼らは、もうひとつの世界のかすかな記憶を呼び起こす助けとなる場所や、人々を探し求める。大部分の人はそれが書物に書かれていると思いこむ。だが、残念ながら、詩人や預言者の見たものは、書物のページの上ではそのかすかな残像にすぎず、あの遠い国に帰る道を指し示す地図や道標にはならない。こういう人々は、他の人からは変わり者と呼ばれるが、それでも奴隷であることに変わりはなく、いまだに大勢の仲間と同様、肉に縛られているのである。だが、彼らはとりわけ不幸な存在である。自分たちが奴隷であることを知っており、しかも身のまわりの者のように、日常生活というゲームに興じて単純に我を忘れることができないからだ。そこで逃亡を企てる。生きることには、植物のように栄養を摂取したり、繁殖したり、また動物のように群れをなしたり、縄張り争いをしたりすること以上の目的があると考えるからである。

このような変わり者は、若きモーセのようにその社会から脱走する。モーセがエジプト人を殺した話(『出エジプト記』第二章一一節‐一二節)は、植物的、動物的次元との関係を断ち切る象徴的行為である。聰明で、特権を与えられた人間であり、エジプトで高い地位をもっていたにもかかわらず、彼はあえてこのような行為に及んだのである。彼が砂漠をさまよったことは、ユダヤの民話に詳しく書かれているが、これはどの時代にもいる多くの脱落者になじみやすい話であろう。のちに彼の義父となり、霊的な師ともなるイテロとの出会いについても同様である。『タルムード』に残された物語によれば、モーセはイテロの娘をめとる前に、いくつかの杖を地中から引き抜くことを命じられたという。これは秘教的文献では、密儀参入の試練としてよく知られていることであるが、もっと先の教えを受けるためにはそれが必要だったのである。

「燃える柴」(『出エジプト記』第三章)の事件は、ラビの説くところによれば、イテロのもとでの数年間の修行の頂点である。これは、内面の完成に向かって、ある決定的次元に到達した人間に与えられる「恩寵」の状態を意味する。同時に、彼は責任も与えられるのである。モーセが、エジプトに帰って使命を実現するのを最初は嫌がったというのも、同様に典型的な出来事である。最初は自己の意志が「神の意志」に逆らうのである。だが、やがて「神」に心服するときがきて、「わが意志ではなく、主の意志が行なわれんことを」と言うようになる。モーセはこの運命を甘受して、彼の民が隷属の家から逃れ、乳と蜜の流れる国、すなわちより高次の世界へ帰るのを助けるために戻る。個人で言えば、これは内的には自分自身の修行ができていない部分を矯正し、外的には密儀参入を求める他人を教えることを意味する。

『出エジプト記』の寓意は、カバリストにとって、大きな個人的意味をもつ。それは地上の生活と霊的向上の諸条件を語っているからである。人間は非常に厳しい物質的な存在の諸法則のもとに生まれるので、カバラを学ぶ準備ができる前に、生きのびるためのさまざまな技術や知識を身につけなければならない。師が成熟に達しない弟子を受け入れないのも、そのためである(成熟とは、伝統的に言われている四〇歳を意味するわけではない。もっと若くして死んだ偉大なカバリストもたくさんいる)。その後、彼は長期にわたる訓練を受けなければならない。モーセがイテロの羊を世話したことは、それをあらわしている。その訓練とは、肉体と心の中にある本能や衝動を支配する方法を学ぶことと見てよいだろう。「燃える柴」の話は、人が自身の内部で「神」と直接的に接触し、自分の使命を達成しはじめるために、その師と別れなければならない瞬間である。だが、これは最初の霊的覚醒の段階からかなりの歳月がたって行なわれる。

エジプトの束縛から逃れたいという最初の欲求は非常に強いが、実行する能力はない。多くの感じやすい心は、そこで自由の探求を諦め、人間の身でまた植物的、動物的状態に沈んでしまい、求道に対して冷笑的になり、もっと悪いことには悪魔的になる。というのは、彼らはまわりにいる人々よりも、実際に多くのことを知っているからである。『民数記』(註:『旧約聖書』中の一書。エジプト脱出後二年を経過したときからカナンへの入国までの三八年間の歴史を主題とする。書名は「民の人口を数える」という意味。この間、民の不平不満が高まり、反乱と処刑が続いてモーセとその後継者ヨシュアを悩ませる。)に出てくる魔法使いバラームは、この種の人物をあらわしている。求道者は彼らのひけらかす知識のとりこになるかもしれない。しかし、時がたつにつれ、また利己的行為を重ねていくうちに、そのような人物が霊的知識を魔術的な力に転換していることがわかるはずである。このような出会いは訓練に不可欠なものであって、「摂理」によって仕組まれていることなのである。この体験を通して、彼は真の求道者とは何かということに強烈な関心をいだくようになる。

「摂理」という現象は、求道者が高次世界に入る扉を求めているうちに、次第に明らかとなってくる。そのうち、ある書物が決定的な瞬間に現われたり、あとになって秘教の伝統と結びついているとわかる人物に邂逅したりする。モーセの場合、イテロの娘たちが土地の羊飼いにいじめられていたときに、この幸福にめぐりあったのである。これは「摂理」がその時になってみなければめぐってこないという一例である。このような出会いによって、ただちに師資相承に導かれることもあるが、たいがいは導師との長年にわたる対話を通して伝授される。この間、求道者は自分が密儀参入の候補者として試験を受けているのだということに気がつかないことが多い。このような方法は、カバラをはじめとするいろいろな伝統の中で用いられている。この種の伝統が秘教とか密教と呼ばれるのも、そのためである。たとえば、あるポーランドのラビは、自分の師の職業すら知らされなかった。資格のある者だけに教えを伝えるというこの技法を通じてカバラを学んでいたからである。探求の道の次の段階は、求道者に教えを授ける人は自分自身の教えを伝えているのではなく、太古に遡る教えの連鎖の末端に連なっているのだと気づくことである。専門的にカバラを研究する学者に多いことだが、彼らはこの現象を見て当惑する。この内的作業と生きた伝統の仕組みについて、書物になっている典拠は皆無に等しいからである。だが、このことがまさに「口伝」の真の意味なのである。

カバラにはいくつかの流派があり、何百年と続いている。ときにはその秘教的集会の記録を残したり、理論と実践についての書物を伝えたりすることすらある。しかし、これらの知識はたいてい秘教的な出来事が起こってからかなり長い時間がたったあとで初めて公けにされる。このような結社は、正統的な宗教が継続的に発展してゆくのに対して、時代の要請があったときにだけ表面に現れるからである。たとえば、一三世紀のスペインのヘローナには、大きなカバラの流派があったことが知られている。一六世紀のパレスチナ、ゼファトにも別な流れがあった。だが、この場所で大量の書物がつくられていたにもかかわらず、その内的な教えはほとんど伝わっていない。その上、すべてのカバラの流派がかならずしもユダヤ教徒ではないのである。まったく『聖書』を問題にしないものすらある。中世のフランス、フランドル地方、イタリアではキリスト教的カバラやオカルト的カバラが行なわれていたし、一七世紀のドイツや一八世紀のアメリカでも知られていないわけではなかった。さらに言えば、カバラは原理的にはあくまでユダヤ教の伝統であるけれども、イスラム教やキリスト教の神秘主義にも影響を与え、またその双方から影響を受けている。だが、残念なことに、カバラはユダヤ人にも非ユダヤ人にも魔法的行為として誤用されるとともに、一七世紀の救世主的人物、シャバタイ・ツバイ(註:一七世紀にトルコのイズミールに現われた偽メシア。当時オリエント、アフリカ、ヨーロッパで苦しんでいたユダヤ人はみな彼の熱狂的な信奉者となった。しかし一六六六年、イスラム教徒に捕えられると、多くのユダヤ人の期待を裏切ってイスラム教に改宗してしまった。)の何人かの後継者たちによって一知半解的に適用されもした。そうしたことがこの「伝統」の名を汚したのである。しかし、ともかく太古から伝わる霊的知識の伝統が有為転変を経て現代にまで生き残ることができたのは確かである。いわゆる科学的理性の時代が押しよせてきても、それが現代の求道者に必要とされるかぎり、現代的な装いをこらして出現するのを妨げるものは何もない。

束縛からの解放を求める内的な旅に話を戻そう。ある個人が向上のある一点に達したとき、彼または彼女は人生には人々が楽しんでいるゲームよりもずっと面白いことが存在するのだということに気づく。そして、この高次世界の作業に参画したいという望みが生まれる。そのとき、よくあることだが、これまでの生き方をまったく変えてしまう。目ざましいことが起こるのである。このことは「紅海の渡渉」という物語によって象徴されている。仕事や人間関係などに思いもかけない変化が生じ、もう引き返せなくなる。人生や性格がすっかり変わってしまうのである。このような出来事ののち、彼はもはや単に霊的向上について考えたり、読んだりしているわけにはいかなくなる。本当にコミットすることが必要になるのである。こうなったとき、たいていは霊的指導者との結びつきが生まれ、その導きにより、ある結社に加入することになる。そこで、その人物は同じ道を行く他の同志と真の出会いをして、共同の作業に入ることができるのである。『出エジプト記』はここで初めて生きた実感となる。このとき、人は心という砂漠を突切って霊の故国に帰る旅の第一歩を踏み出すのである。

ゼヴ・ベン・シモン・ハレヴィ『ユダヤの秘儀──カバラの象徴学』(東京、平凡社、1982年)p63-66

ユダヤ的表現による、欲界(在家)と、出家の描写であると考える。

さらにはまた、悪魔的な人というのは、仏教でもそのまま、他化自在天の境地に達した悪魔(マーラ)のことであり、欲界という動物的な生存欲(五欲)の支配する領域からあと一歩で自由になれる境地に達しながら、欲界的な欲求(五欲)を捨てられずその高い境地の力を他人の修行の邪魔に悪用する者のことである。この領域を超えた梵天界の境地は、出家者のみが踏み入ることのできる領域である。

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