貪・瞋・痴、そして 12 縁起の正体
新進気鋭の生物学者・金谷啓之は 「脳を持たないヒドラすら眠る」 ということを研究により明らかにした ムー民的なオカルト超常主義者はもちろんのこと(アタオカで論外)、日本の伝統的な大乗仏教のような宗教としての仏教理解に基いて、「仏教スゲー」という評価の仕方をしているのは駄目である。仏教の凄さは、自然科学者的な視点から理解したものでなくてはならない(ただし、唯物主義者的な、仏教等の否定目的のために自然科学の知識を利用するのはまた別の意味で駄目である)。別の表現で言うと、人文社会学者的な左脳的な短絡思考知識を集成するような視点から、伝統的に仏教を評価するのは駄目ということである。自然科学者的に、右脳的な具体的に活きた現実としてその意味を再構築できるものでなくてはならないのである 註 1 。 「貪・瞋・痴(3 毒)の正体とは、仏教特有の宗教観用語ではなくて、そのように自然科学的にもしっかりと実在するものに基いている」というのが今回の僕の 1 つ目の仏教仮説である。 註 2 貪欲は消化器官に由来し、瞋恚は脳に由来し、愚痴は睡眠に由来する つまり、仏教初期の釈尊を始めとする阿羅漢たちは、自らの体感を元にして、その根源的な出所を分析して追求していったのである。消化器官が発する根源的な生命維持のための欲求(「食欲」という表面的な捉え方で片付けられないもっと根深いもの)が貪(貪欲)であり、感覚器官が 5 感を通じて捉える外部環境の変化による刺激に対する反射的ストレス反応が瞋(瞋恚)であり、前 2 者(貪・痴)によるストレスをリセットしようとするホメオスタシス反応としての睡眠が痴(愚痴)ではないか、と。そこまで太古の時代に己の身一つでとっくに看破していたのが、釈迦仏陀であり、阿羅漢弟子たちだったという、彼らの圧倒的絶対的知性の凄まじさをそこに見るのである。このように、決して、(本物の)仏教とは、現代の日本の伝統的な大乗仏教の修行者たちが考えるような、神秘的な、仏教特有の世界観を追求するという宗教的な観念ではなく、極めて自然科学的なアプローチと思考回路によるものであり、左脳的な短絡思考的知識の操作ではなく、右脳的な現実直視のものなのだ。 生物学者の金谷啓之(九州大学卒、東京大学医学系研究科院生)によると、睡眠と覚醒に関与する体内時計には、脳(大脳シナプス)由来のものと、腸...