中道─涅槃の在り処─

この内容において、楽道=欲界、苦道=無色界とする考え方は現在では放棄している。「中道の位置を色界と比定する」点は維持しているものの、現在の考えとしては「転法輪経の中道」という形で述べている。

「中道ひいては涅槃の在り処は、色界(第 4 禅)にあり」というのが今回の主旨である。

「そもそも中道=涅槃じゃない」はもちろん、「何ら条件づけられない境地である涅槃に場所も糞もないだろう」等といった初歩的なツッコミは受け付ける気はない。

中道とは、(位置的に)色界のことである

「中道」とは苦楽(の両極端=外道に対する)中道のことだが、ここで、「楽道」とは欲界のことであり、「苦道」とは無色界のことである──というのが僕の主張である。だから中道は位置的に、色界に位置することになる。

楽道が要するに欲界(の生・物事)を希求することを指すと考えるのはわかりやすいだろう。一方、苦道が無色界を希求することを指すというのは、どういうことなのか?

偽典で塗り固めていった挙句に外道化の道を辿った大乗は論外としても、釈尊の教えと弟子の正統な保守本流である上座部テーラワーダにおいても、現代に経典として伝わる情報は万全と言えるわけではない。釈尊の成道前後の足跡を伝える『転法輪経』にしても、「中道を悟った」と言いつつ、「中道とは八正道のことである」と言って、なぜか最初から素直に「八正道を悟った」とは言わない。そして、中道とは単に苦楽中道、「苦行と楽行の両極端を離れること」という辞書的説明で留まり、スルーして結局は八正道を提示して終る。なぜ、八正道が中道なのか、そもそも八正道の構成が 8 のそれであるのかという理由などは、何も触れられず、それが悟ったり導かれた経緯は何も語られない。中道の方は、極めて自然に、成道するにあたっての釈尊の修行過程を背景にして素直に導かれる経緯を持っているのとは、対照的である。

経典が固まるのに、釈尊の死後 100 年ほどのラグがあり、その間は、各(サーリプッタや、マハーカッサパ、ウパーリ、アーナンダ、アヌルッダといった)弟子団の主要流派ごとの口伝で伝えられた教えがあったものと思われる。口伝で伝えられる過程で、「中道とは八正道のことである」という註釈・辞書的な条件反射フレーズが、そのまま本文に入り込み、埋め込まれ、一体化していったのだろう。八正道が後付けの用語だったのか、同じくらい古いものの別の経典で説かれた用語なのかわからないが、ともかく、『転法輪経』では登場の仕方が極めて不自然である。中道をスルーして「八正道は大切だ!」とお題目のようにわかったつもりになっていても、実のところは意識が形骸化してしまって、それでその人の修行が実際に進むのだろうかと、大いに疑問になったりもする。

ここで僕なりに、「中道」の本来の正体をちゃんと見極めようとして、考えたのが、「欲界を希求する楽道と、無色界を希求する苦道の、両極端から離れる中道」というものである。苦道を、ヘンテコな曲芸まがいの肉体行を行う苦行と片付けるのは、大間違いである。僕は、苦道というのは、(唯物主義に対して)禁欲的な精神主義全般を指していると考える。それは、結果的に無色界を希求することを意味するが、仏典ではいわゆる沙門と呼ばれる人々(「沙門・バラモン」と、共に宗教者としてセットで呼ばれることの多い一方のバラモンだが、この場合は、世俗の生業として宗教儀式を担う者=神官・司祭であるバラモンは除外される)が相当する。

つまり、現代の感覚で言えば、西アジア起源の一神教(ユダヤ・キリスト・イスラーム)やヒンドゥ教・大乗仏教などの宗教や、神智学、オカルト、スピリチュアリズムの類は、「苦楽中道」と言った場合の苦道に該当するのである。

パーリ仏教でも、そのあたりは文献化された情報としてはミッシング・リンクであるが、「沙門たちは、なぜ苦行をしたのか?」ということである。彼らは、物質的な肉体の生よりも、精神的なあの世の(霊的)生の方が重要であると考えた(これは宗教やスピリチュアリズムと全く同じである)。だから、物質的・肉体的なものを軽視し、積極的に距離を置いて離れようとするのである。これが無色界(精神=霊だけの世界。精神が物質的世界をも造化しているとすら言う唯心論。「空即是色」とまで言う大乗がその例に漏れないことは明らかである)を希求することに結び付く。「苦行自体に何か(超能力開発だとか悟りを得るための手段として)意味があると思ってやっていると考えて釈尊は「苦行」を否定した」と片付けるのは、考えが浅い。釈尊は、彼ら沙門の動機と目的を承知した上で、(楽道だけでなく)苦道をも否定したのである。

これら精神主義(苦道)は、物質主義(唯物論)を嫌うあまり、逆極端を行って、精神だけに過度に傾倒した価値観を持つ。釈尊の教えた本物の仏教は、欲界(楽道)から離れることを説く点では、他の宗教者(俗世間的な人生から離れた=出家した、沙門)たちと同じではあるが、一方で、そういった精神主義からも離れることを説く。これが苦楽の両極端(=外道)から離れることを説く、中道(=仏道)ということである。

アビダンマ的三界論との違い

ご存知のようにアビダンマ的には(欲界・色界・無色界の)三界モデルというものは、タマネギの皮状に無色界が色界を、色界が欲界を包み込むような構造になっている。集合論的に「無色界 ⊃ 色界 ⊃ 欲界」ということである。無色界=精神、色界=精神+身体、欲界=精神+身体+五欲ということで、下位概念になるほど条件(コンディション)が追加されることになる。

賛否はあるかもしれないが、カバラのアインEin(無)、アイン・ソフEin Sof(無限)、アイン・ソフ・オウルOhr Ein Sof(無限光)とは、仏教の三界に対応していると僕は考えている。

三界モデルを集合論的なベン図にして上から眺め下ろした場合には、上図のように同心円状になっているわけだが、概念的な上位・下位という風に考えて、横から上下軸を見た場合、欲界の上に色界が、色界の上に無色界が、という層構造になる。インドネシア・ジャワ島のボロブドゥール遺跡は三界をそのように表現したものである。ピラミッド状に建造されているために、下層ほど広くなるのは当然であり、上から見下ろすと、上図のベン図に表現した場合とは反対に、欲界が色界を、色界が中央の無色界を包むような状態になっているが、三界の論理的構造を表現してそうなっているわけではない点に注意。あくまでも、この建物によって目論まれている三界の表現は、上下の層構造だと考えるべきだろう。(Gunawan Kartapranata - 次のものを使用した投稿者自身による著作物:The Restoration of Borobudur, p. 30 & 37, CC 表示-継承 3.0, リンクによる)

さて、この三界モデルだが、上座部アビダンマ的にも、上下の層構造的な側面で捉えるのが普通である。つまり、下から上へと、より、禅定が深まっていく階層として考える。そのため、現代のテーラワーダ仏教においても、単に無常・苦・無我を観察するヴィパッサナー瞑想だけでは悟り=解脱に不十分で、同時に第 4 禅の禅定を伴っている必要があるとされる。禅定修行を明示的に行う必要があるかは修行者の性質により、中には、乾観行者または純観行者と呼ばれる、ヴィパッサナー瞑想だけを明示的に行って阿羅漢に達する場合もあるが、そのような場合には暗黙裡に、解脱の瞬間に必要となる(第 4 禅の)禅定が刹那的に起こること(刹那定)になる。

禅定修行を明示的に修するか、暗黙裡に発生させるかは別にして、アビダンマ的に、解脱の瞬間、第 4 禅の高さに禅定を「高める」必要があると考えるのが、一般的な考え方となる。つまり、三界モデルの、第 4 禅の高さまで、「上がる」というイメージである。

ここで再度、次の図を見てもらいたい。この図の中段が、「三界モデルの第 4 禅の高さまで上がる」という見方を表している。

中段の「上がる」的なイメージに対して、僕はここで、下段の「中道」的なイメージの第 4 禅という位置を捉えることを提唱したいのである。欲界から離れ、無色界からも離れる。苦楽中道の、両極端(の外道)から離れた、谷間の窪地の底にある、その場所を第 4 禅として考える捉え方である。禅定や集中力などといった「高める」考え方とは全く違う、「離れる」極致にある場所として。

これこそが、「遠離」や、「否定表現によってでしか捉えることのできない」「何ら条件付けられることのない」とされる涅槃の境地ではないのだろうか?

アビダンマ的な、恣意的に「高めて」「目指す」ような禅定の境地とは、全く異なるイメージの第 4 禅を提唱していることになってしまうので、現代のテーラワーダ仏教での実践像とはかなり食い違ってしまうことになりかねないのだが、中道的イメージで定義する第 4 禅は、そのままそれが涅槃・解脱と不可分であることの説明にもなる。一方で、一般的な上がる的イメージの第 4 禅の場合、なぜ解脱に第 4 禅が必要なのかという説明はなく、ただ伝統的に、そうとされているというだけである。

また、座禅瞑想して禅定を作って、という仏教では極めて一般的な修行イメージ自体が、「中道的第 4 禅」からすると、直接的には無関係ということになってしまうのである。現代のテーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想にしても、そのような座禅瞑想の修行イメージの中で「禅定」ではなく「無常・苦・無我を観察する」という風に座禅瞑想のテーマを置き換えたに過ぎないことがわかる。

釈尊の悟り

釈尊が覚ったのは、「輪廻からの解脱」である。欲界に束縛された状態から覚醒して第 4 禅という何らかの高い精神状態(涅槃のような境地)に「到達する」ことではない。釈尊の覚りを、この「高い境地に達する」という風に誤解する過ちは、神智学などの外教だけでなく仏教内においても大乗や、現代のテーラワーダにおいても、程度の大小はあれ、見られる気がする。「高い境地に達する」という発想であるから、座禅瞑想的に修行して、心の状態を「恣意的に」高めようとするのである。

そして、「高い境地に達する」という発想が大乗の出現以前の部派時代からあったから、大乗はその「高い境地」とやらをさらに厳密に考察したりして「もっと高く」「高度な」「もっと偉い」を目指して、やれ空だの十地だの唯識だの金剛乗だのと分析・理論構築に進んだりしていったのである。

座禅瞑想で一時的に第 4 禅や無色界禅などの高い境地に達することができるのは、釈尊にとっては(そして、釈尊が説法した当時の外道の修行者たちの認識としても)、あまりにも当然のことだったのだ。だから釈尊は、アーラーラ・カーラーマやウッダーラカ・ラーマプッタたちの元で無色界禅定を学びながら、満足できなかった。それは「一時的なもの」だったからである。では、高い禅定の境地が「恒久的なもの」だったとしたら、どうだったのか? その場合はつまり、釈尊は、アーラーラ・カーラーマやウッダーラカ・ラーマプッタたちの教えで満足できたはずということになる。

つまり、釈尊は、第 4 禅の状態に恒久的に留まり、輪廻に戻らずに済む方法(中道)を覚ったのだ。

般涅槃で最後に釈尊が第 4 禅で入滅したこと、第 4 禅に浄居天があるとされること、これらの説明が、「第 4 禅の状態に恒久的に留まり、輪廻に戻らずに済む方法(中道)を悟った」と考えることで説明が付くようになる。

「涅槃と呼ばれる高い境地に到達する」というイメージの覚り像ではなく、「輪廻からの解脱」こそが覚りであると考えるべきだというのが、中道から導き出される僕の考えである。

現代のテーラワーダの瞑想修行についても、基本的には「涅槃と呼ばれる高い境地に到達する」というイメージによるところのものであることがわかる(残念ながら)。

なぜ中道が「輪廻からの解脱」の解なのか?

輪廻(転生)が、車輪のようなものとして名付けられている理由について考えたことがあるだろうか?

そもそも「輪廻(転生)」は仏教の「大前提」であるので、もしある人がここに心理的抵抗がある段階で、本来、仏教徒として無資格者となるポイントである。

僕は、輪廻転生モデルというものは、公園の遊具の「メリー・ゴー・ラウンド」のような車輪状のものと古代インドの人々に捉えられて名付けられたのだと思う。

Photo courtesy Joe Shlabotnik

タロットカード(マルセイユ版)の「運命の輪」もまさしくこの輪廻転生モデルを表現したものだが、車輪が回ると、そこに乗る人は、物質的次元の領域(客観世界)と精神的次元の領域(主観世界)を出入りすることになる。ちょうど、地球上にいる我々が、地球の自転により、太陽側の昼の領域と、太陽と反対側の夜の領域に出入りするように。一見すると対極的な主客の両次元は、表裏一体の関係にある。

釈尊の説いた中道による輪廻からの解脱というのは、この輪廻転生モデルにおいて、メリー・ゴー・ラウンドの輪の円周上から、中心点の位置(そこが第 4 禅に該当する)に行くことを意味しているのではないかというのが、僕の仮説である。

両極端というのは、円周上の昼の領域(欲界)を志向すること(楽道)と、夜の領域(無色界)を志向すること(苦道)のそれぞれである。現在、物質世界で肉体的に生きている段階(昼間の世界にいる)の我々は、唯物論者(物質主義者)でも、唯心論者(精神主義者)でも、そこは同じである。苦道にあたる、唯心論者(大乗仏教を含む主要宗教などの精神主義者)たちは、生きている(昼間の世界にいる)今のうちから、死後のあの世、霊的な世界の価値観のために物質世界での物事を犠牲にしてでも功徳を積もうとしている。今のうちからせっせと輪の反対側の夜の領域に財産を移しているのである。そうすれば、輪が巡り、肉体の死後、夜の霊的な領域に入ったならば、自分は非常に豊かな財産に恵まれた状況を確保できるからである。これが苦道を積極的に選択する、古代インドの沙門たちの意図である。(そして、そのように解した上で、「苦楽中道を悟った」と、『転法輪経』の「中道」という釈尊の言葉の意味について、理解するべきではないかと思う。)

釈尊以前の宗教者たちが、現世と来世(あの世)の是非について頭が一杯だったことがわかる。そしてそれは、現代に到るまで、大乗仏教を含めた、宗教やスピリチュアリズムの思考のメインストリームである。

釈尊と、(当初、布教を躊躇った釈尊が、それでも教えるに値すると考え直した、悟りの機根のある)ごくわずかな沙門たちだけにとっては、来世で極楽(色界梵天、一時的な涅槃)に行けることは、あたり前の大前提の話であり、そんな低レベルの物事で唯物論者と議論して精神論を展開し、霊的忠誠を示すことに心血を注ぐのではなく、来世で行っても、その梵天界での半永久的な寿命も、その来世限りで寿命が来るとまた苦しい世界に戻ってしまうと(釈尊も、ごくわずかな悟りの機根のある沙門たちも)知っている。来世一回限りではなく、輪廻を逃れて、恒久的に留まるにはどうすればいいのかという次元で、釈尊は、中道を悟り、弟子となった沙門たちに教えていたのである。

「比丘たちよ、もしあの丸太が、この岸にも流れ着かず、かの岸にも流れ着かず、……ということもなかったならば、比丘たちよ、その丸太は、そのようにして、海にむかい、海に趣き、海に入るであろう。それは何故であろうか。比丘たちよ、それは、ガンガーの流れが、海にむかい、海に趣き、海に入るからである。

それとおなじように、比丘たちよ、もし汝らが、この岸にも着かず、かの岸にも着かず、……ということもなかったならば、比丘たちよ、汝らは、そのようにして、涅槃にむかい、涅槃に趣き、涅槃に入るであろう。それは何故であろうか。比丘たちよ、それは、正しく見るものは、涅槃にむかい、涅槃に趣き、涅槃に入るからである」

「比丘よ、〈この岸〉とは、内なる六処(感覚の六つの器官)を喩えていう言葉である。
また、比丘よ、(かの岸)とは、外なる六処(感覚の六つの対象)を喩えていう言葉である。……

相応部経典 35、200、木塊(増谷文雄・訳)

通常、彼岸(かの岸)というのは涅槃に喩えられることが多く、この経では彼岸をも此岸と同様に否定しているので、「彼岸としての涅槃の境地に到達することが悟りである」という系統の思考が染み付いていると、この経典は奇異な喩え方に感じられるだろう。しかし、悟り=中道説からすると、むしろ、この経の表現こそが中道的であることわかる。内なる六処に捉われることは精神世界を志向すること(苦道)であり、外なる六処に捉われることは物質世界を志向すること(楽道)であり、この経の表現もまた、六処を巡った苦楽中道に関する経であると解することが可能になる。

苦楽中道と八正道(戒・定・慧の三学)の関係

以上を踏まえると、なぜ、苦楽中道と八正道が結び付くのかという説明も付けられるようになる。

苦楽中道は、欲界(唯物論、物質主義)=楽道から遠離し、同時に、無色界(唯心論、精神主義)=苦道からも遠離する道である。ここで、欲界からの遠離の実践が戒学(正語・正業・正命)であり、無色界からの遠離の実践が慧学(正見・正思)であり、色界における第 1 禅から第 4 禅への心の浄化の実践が定学(正精進・正念・正定)と考えれば、苦楽中道の具体的実践方法として八正道が提示されていると理解することができる。

そして、一般には、戒→定→慧という順序で提示されているが、苦楽中道の発想からすると、慧→戒→定が適切である。慧→戒→定という順序で考えることは、八正道が正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定という順序で示されていることの説明にもつながるが、そもそも仏教は慧すなわち正見からすべてがスタートする。邪見ではいくら戒学・定学を実践しても意味が薄く、むしろ副作用の恐れが大きい。邪見の外道が禅定を深めたところで、無色界を涅槃だとか「より高度な境地」だとか色々と妄想して邪見をこじらせてますます無明が深まっていくだけだからである。

一般には慧が最後だと言われているが、それは戒定慧の発想である。すなわち修行の結果、高めていった結果、悟りによって辿り着くのが、慧の境地であり、正見であると。ところが、苦楽中道の観点から言うと、それは間違いである。最初に適切な正見を得ている者が、さらに戒と定の実践を進めることよって、正しい目的地(苦楽中道の位置である第 4 禅)に辿り着くことができるのである。邪見の場合、最初から向いている方向が違っているから、先に戒学・定学を進めたところで明後日の方向にどんどん進んで真理の悟りからますます遠ざかってしまうだけである。

であるから、本来、釈尊は、説法を躊躇った。梵天勧請もあって、説法に踏み切ったにしても、ごく限られた、悟りの機根のある、少数の人々だけを選んで教えを説くことにしたのだ。それはつまり、最初に正見を得られるかどうかにかかっているからだ。史実の生身の人間としての釈尊の悟りというのは、外道化した大乗仏教のような万人を悟りの対象とするなどという極めて嘘臭い妄想全開の理想論を喧伝することとは、全くもって対極的であったのがわかる。

釈尊は戒律を定め、ある人が出家しようとする場合について、一般人と違い、邪見の外道については特に、別住期間を設けて、慎重に入門資格をテストするようにした。要するに、別住期間を経て、邪見が消え正見を得られたのなら正式に出家を認めるが、邪見のままなら仏教の修行システム(戒学・定学)では矯正のしようがないので、入門を認めないということである。ただし、異教徒であっても、バラモンと拝火教徒(ゾロアスター教)はこの場合に含まれなかった。これは、宗教関係とはいっても、バラモン教と拝火教は単に儀式的宗教で、沙門の外道たちのように俗世間から出家して無色界を目指す精神的信仰に没頭して邪見に染まっていたという手合いには、含まれなかったからだろう。

現代テーラワーダ仏教のヴィッパサナー瞑想≒マインドフルネス瞑想について

現代テーラワーダ仏教のヴィッパサナー瞑想、要するに非仏教徒がマインドフルネス瞑想と呼んで全世界で流通している瞑想方法は、一時的に恣意的に座禅等の瞑想によって何らかの特殊な心理状態を作り出して、悟り(解脱)を得る──という発想のものであり、苦楽中道論からは、疑問がある。

一時的、恣意的に作り出した境地で、二度と退転しない、恒久的な「輪廻からの解脱」を得られるというのは、ちょっと虫が良すぎる発想に思われる。もちろん、こんなこと言うと、現代のテーラワーダ仏教の瞑想指導者たちと敵対しかねない意見になってしまうが、あくまでも苦楽中道論からは、そうなる。

一時的、恣意的に、高めて作り出す境地ではない、苦楽中道の、欲界の楽道からも、無色界の苦道からも、「遠離する」境地としての第 4 禅の中道的涅槃であれば、それは「一時的、恣意的に」作り出している状態ではない涅槃状態なので、何の条件付けによるものではない。だから恒久的でありうる。

最近は、日本人でも、何人もの人が、実際にミャンマーやタイなどで比丘出家して、本格的にヴィパッサナー瞑想を行い、修行をフルコースで修了したという人が出てきている。

しかし、その結果はどうだろう? 結局、還俗して妻帯するなど俗世間的な生活に戻ったり、大乗仏教的な思想に戻ったり、退転しているケースが多いのではないか? それら退転者たちは、なぜ、これ(上座部の教え)が仏教の最終解だ、という形にならなかったのか?

正見こそが、仏弟子にとって大前提となるスタートであると考えれば、説明が付く。出家で、邪見は矯正されない。正見の者が、出家して修行することで、戒学・定学によって、ゴールへと進む。

だから、同じ上座部で比丘出家して、同じ修行システムを修了しても、正見者であるネイティブなテーラワーダ仏教徒と違い、邪見者である大乗仏教徒出身の者では、行き着く場所が違ってくるのである。

上座部の修行システムが劣っているわけではない。修行者の見の正邪にかかっている。そこを履き違えると、テーラワーダの修行システムには飽き足らず、大乗の妄想システムを混ぜたりして、「より高度な仏教」などと悦に入る道が始まる。

先述したように、テーラワーダ仏教も、大乗のような外道化には陥ってはいないものの、釈尊当時から相当の時代が隔っているため、多少形骸化の恐れは免れない。であるから、苦楽中道の意味が看過され、現代のヴィパッサナー瞑想的な修行論のように、ほぼ『念処経』一辺倒の「一時的、恣意的に」作り出して悟りを得ることで、四向四果の聖果を得るという考え方になっている部分も見られる。

しかし一方で、正見のネイティブなテーラワーダ仏教徒の出家者にとって、出家比丘であるという状態がそのまま苦楽中道を体現する生活となっている。実はその部分が圧倒的に大きいので、ヴィパッサナー瞑想で一時的・恣意的に「無常・苦・無我を観た」という瞬間を経験するなどということの有無によらず、実質的に中道の悟りに近い場所を得ている形になる。

僕の苦楽中道論によると、当然、欲界から遠離していなければならないから、釈尊その人と同じく、恒久的な出家は必須である(一時出家は論外。ただし比丘サンガでの出家に限定する必要はなく、白衣であっても実質世俗での生活を恒久的に捨てていればよい)。テーラワーダ仏教の比丘は、現代の世界において、最もその条件を満たしている存在であることは、疑う余地もないだろう。修行論の解釈で形骸化の影はあるというものの、それでも現代の地球上で最も釈尊本来の仏教に近いのは、圧倒的に上座部である(他は外道しかないわけだから)。


──以上、あくまでも仏教仮説として。

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