神智学の元ネタを推理する

神智学の 7 層構造のアイデア元

結局アイデア的には、カバラの「生命の木」が元ネタなのではないのかと思い付いた。もちろん、部分的に「カバラでは◯◯に相当する」などという説明のされ方は珍しくはない。神智学は、「あらゆる宗教のエッセンス」を標榜しているのだから、カバラに限らず、あれやこれやの宗教を引き合いに出すスタイルなのだから。そうではなくて、そもそもブラヴァツキーが『シークレット・ドクトリン』を著すにあたって、アイデアの骨幹的に「生命の木」の換骨奪胎がルーツになっているのではないのかということだ。

インターネットを探しても、「生命の木」と、神智学の体系を対応付けた神智学協会系の公式の資料というものは、見あたらなかったが、これはむしろ骨幹的な元ネタだけに、むしろブラヴァツキー自身によって、秘されていたのではないかと思う。大乗仏教の偽典のように、埋蔵経のような形式で、神秘めかした方が、権威を捏造できるからだ。

ブラヴァツキーが、マハトマ(クートフーミ大師とモリヤ大師)からの啓示という形式を用いていたこと、「マハトマ書簡」という、サイババのやり口のような手品を使った演出で印象操作をしていたことなど、彼女の顕示的な性格から、骨幹的なアイデアの元ネタを秘しても、不思議ではない。

神智学の 7 層構造と「生命の木」の 10 のセフィラとの対応付け

難しいのが、神智学は基本的に 7 層構造で体系付けられ、一方のカバラの「生命の木」は、10 のセフィラで構成されているという点である。

まず、最初に思い付くのが、3 + 7 = 10 ということである。セフィラの最上部の三角形=至高の 3 つ組(ケテル・コクマー・ビナー)を別枠で考えれば、残りは 7 である。この 7 が、神智学の「何でも 7 種類に分類する」ものと対応させられるのではないかと。

しかし、神智学の 7 層構造の上から 1 番目のアーディ界や、2 番目のアヌパーダカ界を、「生命の木」の 4 番目のセフィラ(ケセド)や 5 番目のセフィラ(ゲブラー)に割り当てても、全くしっくりこない。

そこでしばらく腕組みして「生命の木」を眺めていたのだが、セフィラの個数ではなく、縦方向の配置が、ちょうど 7 層構造になっていることに気付いた。これは、大発見である。上述したように、神智学で(ブラヴァツキー)は、7 層構造の由来が「生命の木」にあるとは公言していないし、カバラの側では、「生命の木」を層構造に分ける場合は 4 層構造(アツィルト・ブリアー・イェツィラー・アッシャー)に分けるのが普通である。なるほど、ブラヴァツキーはおそらくこの、カバラ側で従来言われていなかった視点の 7 層構造を発見したから、(そのアイデア元については黙した上で)神智学独特の 7 層構造論として、大々的に喧伝したわけである。

つまり、宇宙の階層構造は「生命の木」の縦方向の 7 層に対応し、アストラル体やメンタル体、ブッディ体といった人間の構成要素の 7 種類は 4 〜 10 番目の 7 個のセフィラに対応している。

おそらくこれが正解に違いない。そして正解(アイデア元)だからこそ、ブラヴァツキーは秘したのだ。「結局、カバラじゃん」となったら、誰も「神智学スゲー」とならないわけだから。ブラヴァツキーという人は、幾分高位と思しき神霊と交流できたかもしれない、霊媒の、ちょっと見栄っ張りでもあった、貴族のスピリチュアルおばちゃんだったと思う。

日本で言うと、宜保愛子が、ホット・リーディングを最大限援用した上で霊視(コールド・リーディング)を行っていたのと同じ感じではないかと思う。発明王トーマス・エジソンも神智学協会員だったが、彼が「99% の努力と 1% のインスピレーション(閃き)」と言ったように、ブラヴァツキー(や宜保愛子)も、「99% のホットリーディングと 1% インスピレーション(霊感)」だったのだろう。

上の対応図の解説

階層との対応はそのままなので、間違いはないだろう。4 番目以降のセフィラと、神智学の人間の 7 種の構成要素との対応は、少々、不確実である。というのも、実際にブラヴァツキーは、時期によって表現を変えていて、多少構成を変更したりしているからである。その上、あまりはっきりと説明していなかったり、説明したとしても内部サークルでしか明かしていなかったりするのである。おそらく、無理に何でも 7 種に分けようとして、色々な矛盾が丸く収まる完璧な形が中々見つからず、公式の公開の論としては、固まることがなかったのではないだろうか。

なので、上の図に挙げた 7 種の構成要素の配置は、最終的には僕自身の「こんな感じだろう」というものである。元々、ブラヴァツキーが「生命の木」との対応を秘していたので、どうやっても、自分で考えて決定するしかない。権威となる情報ソースは存在しえない。

Doss McDavid “The Human Principles in Early Theosophical Literature” という、アメリカ神智学協会の公式サイトに掲載されている論文によると、ブラヴァツキーの元々(『ヴェールを剥がれたイシス』の時期)のアイデアは、「霊・魂・肉」の 3 種のオーソドックスなものだったという。それが、『シークレット・ドクトリン』のあたりから、何でも 7 種にするやり方が隆盛となったという(正確には、『シークレット・ドクトリン』の叩き台となった、ヒュームとシネットが記事にしたブラヴァツキーを通したクートフーミ大師とモリヤ大師の書簡が初出のようである)。

3 種から 7 種になっても、3 種であった時本来の「魂」の設定は貫かれているというのがポイントである。ブラヴァツキーにとって、魂は「条件付きの不死性」という論に要点があり、不死なる霊(神性)に寄れば不死を獲得し、死すべき肉(物質性)に寄れば滅びるのが、魂の立ち位置の特徴である。7 種に拡張されても、この魂の特徴は、輪廻の主体となる不滅のモナド(アートマー+オーラ衣+ブッディ)と、一回の人生限りで肉体とともに死滅すべき人格(コーザル体+メンタル体+アストラル体)との差異として保たれている。

とはいえ、7 種の構成は単なる呼び名の変更ではなく、構成自体に多少変動があり、エーテル体とアストラル体の間に「意念体」があったものを、減らして席を空け、メンタル体とブッディ体の間に「コーザル体」を挿入するなど、試行錯誤の跡が見られる。

最終的に、エーテル体は、物質体のサブカテゴリー(亜物質)化されて独立した区分ではなくなり、代りに「オーラ鞘」というものがアートマーとブッディ体の間に設定されるが、これについてはブラヴァツキーは内部サークル向けにしか明かさなかったようだ。

以上のように、7 種化する構成には試行錯誤の痕跡が見えるわけだが、結局はカバラの「生命の木」を元に 7 個のセフィラに何をどう配置するのが最も整合性がいいだろうかとブラヴァツキーが考えていたのだとわかれば、納得が行くはずである。

だから、カバラの「生命の木」を元に僕自身が、一番納得できる形にまとめてみたところで、それが最終的に神智学の公式の公開された資料のもの=権威ある情報と合致しようがしまいが何ら問題はないわけである。

四大元素

とりあえず、地をマルクト=物質体、水をイェソド=アストラル体、風をホド=メンタル体、火をマルクト=コーザル体に割り当ててみたが、これはそれほど確信はない。まず、カバラ的にはマルクト=物質体に四大元素すべてをまとめて配当するのが普通である。東條真人氏は、アッシャー界を物質界として四大元素を配当している(『シークレット・ドクトリンを読む』p91)。が、ここではカバラ側のやり方は脇に置くことにして、神智学側の、7 種の下から 4 種に四大元素を割り当てる方式を採ることにした。

また、神智学では四大元素の順序を地水火風とするが、ここでは火と風の順序を入れ替えて地水風火とする方式を採ってみた(ゴールデン・ドーン(ex. ウェイト版タロット等)でもこの方式である)。これは火(と風)の元素をどのように定義するかによるが、一般に地(固体)・水(液体)・風(気体)と温度順になっていて、火(プラズマ)を最上位にするのが自然であること。ブラヴァツキーは火を「情熱」と捉えてクールな思考の風よりも下位に置こうとしたようだが、「情熱」はどちらかというと「感情」の一種であり水の元素に属する性質と扱うべきで、火の直観的な性質は上位メンタル=コーザル体的な性質とした方がより適切に思えたからである。また、メンタル体(下位メンタル)とコーザル体(上位メンタル)の違いは、実はいずれもメンタル体には違いないが、コーザル体の場合はメンタル体の中にモナド(魂)を宿している点に違いがあり、このメンタル体の内側に宿された魂を「火のようなもの」と捉えた方が相応しいと考えたからである。

仏教の禅定地

当然ながら、神智学は、(輪廻の主体を設定するなど)外道の邪見に基いているのは明らかなので、涅槃(ニルヴァーナ)の上に、アヌパーダカやアーディというさらに上位の世界を設定しているなど、本物の仏教(上座部仏教)から見ればかなり「???」な点がある。

これらは、無色界の境地を神界などとして勘違いしたものというのが僕の見解である。

NIRVĀNA = SPIRITUAL 次元は、色界第 4 禅の捨や一境性に該当すると考えた。

以下、色界第 3 〜 1 禅は、第 3 禅(楽)がブッディ体(直観次元)、第 2 禅(喜)がコーザル体(上位メンタル次元)、第 1 禅(尋・伺)がマインド体(下位メンタル次元)とした。(ちなみに、仏教では、火壊劫で第 1 禅が、水壊劫で第 2 禅が、風壊劫で第 3 禅が消滅するとされるが、これは火(尋・伺≒メンタル)や水(喜≒アストラル)や風(楽≒コーザル)の次元から脱するということなのかもしれない(この場合、四大元素の順序は地水火風とした方がフィットする。というか仏教の四大元素の設定の仕方(順序)が神智学と同じと考えるべきだろう。仏教ではどちらかというと火を熱の性質を中心に捉えている))

例えば、ジナラジャダサ(神智学協会 4 代目会長)は “First Principles of Theosophy” の図 50 で下位メンタル次元を色界梵天、上位メンタル(コーザル)次元を無色界梵天としているが、別の場所で ‘This soul-body, composed of a type of matter called higher mental, is called in modern Theosophical studies the Causal Body. Its form is human, but not of either man or woman with sex characteristics, but more of the angel of tradition.’ と説明しており、「人の形をしている」「性別がはっきりせず、天使のような中性的」ということから、仏教知識からするとこれは明らかに依然として色界梵天の特徴である。無色界梵天はそもそも人の形という形体を持たない、心だけの存在である。ここにも神智学は、無色界の性質を神界(アヌパーダカやアーディ)などという、涅槃のさらに上にある次元の世界として考えたりして、邪見による勘違い(顚倒想)をしていることが見てとれる。

アストラル次元の 7 亜界には、上位 3 亜界(天界)に、キッダーパドーシカ(他化自在天+楽変化天)、マノーパドーシカ(兜率天+夜摩天)、地居天(三十三天+四大王天)を、中位 3 亜界(煉獄)には、龍・阿修羅界、餓鬼界、畜生界を、最下位の亜界に地獄を割り当ててみた。

結果、次の表となった:

WORLDPLANE (BODY)仏教
DIVINE(PRIMAL GOD)非想非非想処ARŪPA DEVAS
MONADICĀDI
(FATHER + SON + HOLY GHOST)
無所有+識無辺+空無辺
ANUPĀDAKA
(SON + HOLY GHOST)
識無辺+空無辺
NIRVĀNA
(HOLY GHOST)
第 4 禅(捨)
SPIRITUAL(ĀTMĀ)第 4 禅(一境性)RŪPA DEVAS
INTUITIONAL(BUDDHI)第 3 禅(楽)
MENTALHIGHER HEAVEN第 2 禅(喜)
LOWER HEAVEN第 1 禅(尋・伺)
ASTRAL
(幽界)
ELYSIUM
or
SUMMERLAND
キッダーパドーシカKĀMA DEVAS
NATURE SPIRITS
マノーパドーシカ
地居天
PURGATORY龍・阿修羅界
餓鬼界
畜生界
HELL地獄界
PHYSICALATOMIC人間界NATURE SPIRITS
GRAVEYARD GHOSTS
SUPER ETHERIC
ETHERIC
PLASMAFIRE
GASEOUSAIR
LIQUIDWATER
SOLIDEARTH

要するに、神智学では、邪見・顚倒想により、無色界梵天を「絶対者である三位一体の神の世界」と思い込んでいることになる。パーリ経典長部 1『梵網経』の外道の例に漏れない(👉「梵網経の 62 邪見」)。つまり、無所有処の「無という印象しか存在しない」という状態を「アイン(無=父なる神)」である、識無辺処の「無限に広がる意識」という状態を「アイン・ソフ(無限=子なる神)」である、空無辺処の「無限に広がる空間」という状態を「アイン・ソフ・オウル(無限光=聖霊)」である、と、スリランカでテーラワーダ仏教僧から学んだ知識をカバラに対応させることで、神智学の基礎理論を構築したのであろう。(近代以降の日本のスピリチュアリズムは結局、神智学の流れの上にあるから、要するに、テーラワーダ仏教の世界観がそのルーツ・本家本元だということになる)

上の表では、第 4 禅とアートマーの位置が合致しているのがわかるが、第 4 禅では、不苦不楽の捨の境地に到ることを意味し、それに関してスリランカの高僧バンテ・H・グナラタナ師は

不苦不楽は厄介なものです。私たちは日々の生活の中でいつでも不苦不楽を経験していますが、あまりにも馴染みすぎているため、それを魂だとか、永遠なる我だとか、実在する私などと考えています。

バンテ・H・グナラタナ『マインドフルネスを越えて 集中と気づきの正しい実践』
(出村佳子・訳、サンガ、2013-12-01)p92-94

と述べており、神智学が(ブッディ体を通じて)アートマーに接触するとしている体験が、不苦不楽の捨を「真我アートマン」と思って我見に捉われる外道の典型的な思考パターンとして指摘されているのがわかる。

配色

特に権威となる根拠はない。まず至高の三角形について、コクマーを白(陽)とし、ビナーを黒(陰)としたので、ケテルは父・子・聖霊の三位一体なので陰陽の混沌という意味で灰色にしたが、これはもちろんカバラの配色とは違っている。

4 番目以下の 7 個のセフィラもカバラの定義とは関係なく、虹色 7 色をチャクラの配色によって配置した。ケセド=アートマーをクラウン・チャクラ、ゲブラー=オーラ鞘をルート・チャクラ、ティファレト=ブッディ体をハート・チャクラに配するなど、相応しそうなチャクラに割り当てていった。


参考文献

  • H. P. Blavatsky “The Secret Doctrine” (1888)
  • 東條真人・編訳『シークレット・ドクトリンを読む』(2001-05-11)
  • H. P. Blavatsky “The Key to Theosophy” (1889)
  • 田中恵美子・訳『神智学の鍵』(1987-02-15)
  • Doss McDavid “The Human Principles in Early Theosophical Literature” (2019)
  • C. Jinarajadasa “First Principles of Theosophy” (1921)
(公開:2023-08-16;更新:2024-05-13)

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