原田龍二の霊能は開眼するのか?

心霊系 YouTuber の中でも僕の最近のイチオシが「ニンゲンTV」の原田龍二(埼玉県さいたま市が誇る超有名俳優)&阿部吉宏(「降魔師」の肩書を持つ山形県の凄腕霊能者)のコンビだが、原田の悲願である、霊能力(彼の場合厳密には「霊視」を意味する)は、果たして開眼するのであろうか?

文章が長くなりそうなので、最初に結論を頭括型で述べておくと、僕の感じからすると、原田は「神の加護」が強い、陽(光)の力が強いタイプであり、陰(闇)の存在とは、相性が悪い。彼の霊能的な敏感・鈍感の問題以前に、その光のせいで、彼の周囲からは、幽霊や悪霊(妖怪)などは避けて隠れてしまうのではないだろうか?

神霊・精霊を視る能力を開花させようとするのであれば、原田には適性があるかもしれないが、幽霊や悪霊(妖怪)といった、闇の世界の住人と会おうとするのは、かなりハードルは高そうである。

お笑い芸人デニスとのコラボでも際立つ、圧倒的〝陽キャ〟ぶり

阿部が「ニンゲンTV」に加入する(2021-08)直前のタイミングで収録されたと思われる、2021-09-10 公開の、原田と、吉本のお笑い芸人コンビ・デニスとのコラボ動画前編と後編)を観てみよう。

恐怖感を覚えつつも、「芸のため・仕事のため」と、自らの恐怖感と闘いつつ涙目になりながら千葉ディレクターに指示され嫌々ながら心霊スポットに挑戦するのが持ち味の「デニスの怖いYouTube」に対し、霊体験を得るために進んで心霊スポットに踏み込んでいく原田。デニスの植野行雄は呆れ果てて「あ、ダメだ。デニ怖と合わない」と漏らす(笑)。

トドメは、後にこのコラボ動画を分析した、以下の動画でのシークエンスはやとものコメントである。

原田の様子を観て「これだけグイグイ来られたら、(霊なんて)何も出ないですよ(笑)」と。

至極至言である。

吉田悠軌の分析

次に、吉田悠軌(オカルト研究家)と松原タニシ(松竹の事故物件芸人)とのトリプルコラボ回(前編後編)において、オカルト研究家であるものの原田同様に霊能力の無い一般人である吉田に、原田は自身の悲願(霊能力開花)についてのコメントを求めるものがある(19:40〜)。

これに対して、吉田は、原田のようなあまりにも前向きなモチベーションだと、「無理だ」と。例えば集団で心霊スポットに肝試しに行って、取り憑かれたりするのは、一番行くのを怖がり嫌がっている人間だと相場が決まっていると指摘するが、これには僕も同感。

阿部は、心霊スポットに行っても、同行した人間と違って一人だけ心霊体験ができない吉田は、「霊的に守られているからだ」と評する。

僕は、原田も結果的には吉田と似たようなものではないのかと思っている。ただ、阿部が原田にそのように評しているわけではないので、実際のところ阿部視線では、原田と吉田にどのような違いがあると映っているのか、僕にはわからない。見た感じ、吉田は頭脳派で、メンタル体が強く、アストラル体(シークエンスはやともの生き霊鑑定で言う胸のパーソナル・ゾーンの境界面)に隙がなさそうなタイプに見える。原田の方は、本人のポジティブな生のエネルギーが強く、胸のパーソナル・ゾーンの境界面に隙のある・なしに依らず、内側から放出するエネルギーが強すぎで、ネガティブな心霊の入り込む余地が中々なさそうな気がする。最近のロシア村の動画でも、「俺、(近年も不倫スキャンダルを起こしたり)性欲は強いけど、普段ほとんど欲がないんだよ」と言っており、これは物欲がないことをアピールしたい文脈での発言だが、翻せば、「性欲だけは 52 才となった今も強い」という話であり、彼の生命力(臍下丹田)の強さを物語る発言である。

つまり、僕の見たてでは、原田龍二は彼の性欲の強さにも表われているように、あまりにも生命力旺盛過ぎて、死に代表される負の生命エネルギーの存在とは、あまりにも対極すぎて、相性が悪いのである。やはり、彼は、心霊スポットの亡霊を見に行こうとするよりは、光り輝く神霊や自然界の精霊を求めた方が、彼のポジティブな生命エネルギーとは、相性が合うのではないだろうか?

原田のマネージャーである森や、ニンゲンTVのディレクターの天野のような、一般的な霊感体質の人間には、心霊スポット巡りは、霊能力開発のためにある程度効果的だとは思うのだが、ドの付く天然の原田には、心霊スポット巡りだけでは、まだ何か足りないかもしれない。

ニンゲンTVの方向性

とはいえ、現在のニンゲンTVの方向性に異を唱えるつもりはない。基本的には、世間で心霊スポットとされる場所にロケに行き、原田を含めたクルー全員で一人検証を行ったりするのが番組の大まかな流れだが、京都の首塚大明神の回のように、酒呑童子の首を埋葬したという謂れのあるおどろおどろしいネガティブな心霊スポットとしての場所に一人検証に行った原田が「神聖な空気が漂っている」「怖くも何ともない」と言い、結果的に後の阿部の見解「心霊スポットの印象はない」というものと見事に一致しており、いかに原田がポジティブな、神霊や精霊の気配には正確に反応できるのかということを物語っている。

これが、森マネージャーや、天野ディレクターのような、いわゆる一般的な霊感体質の人の場合、ネガティブな気配にはセンシティブに反応しやすいのだろうが、神霊系の気配に対して原田のような反応ができたかどうか疑問である。

このように原田のある特定の方向性に対する部分の本物性を浮き彫りにするものとして、逆説的に、現在のニンゲンTVの心霊スポット巡りの方向性は、必ずしも間違ってはいないことがわかる。

むしろ、仮に、ポジティブな癒し系ばかりを求めるスピリチュアル系の昼間の明るいパワースポット巡り番組にしてしまうと、何でもかんでもやれ「開運だー」とか、やれ「龍神がー」だとか浮かれる、妄想スピリチュアル女子系と区別が付かなくなり、「ネガティブな暗闇の中にキラリと光る本物の原石のような何か」を見付けることはできなくなってしまうだろう。

コメント

このブログの人気の投稿

清水俊史『上座部仏教における聖典論の研究』

シークエンスパパともの先見の明

シークエンスパパとも 本物の霊能力