邪解脱だらけ

スマナサーラ長老の最近の質疑応答で「邪解脱」に関する質問に回答するものがあった:

「他宗教を批判することになってしまう」と言って、長老は,宗教界ではなく、俗世間の「人生の目的を成し遂げた、思い残すことはない」という心境に達したような人のことを例にして説明するが、結局は宗教界に話を戻して、説明が続く。

仏教で言う「解脱」の定義は「なし終えた」であり、他宗教の人々にも自分は「なし終えた」と言う人々がいるが、(それら、自分たちの目指す最高の境地に達したと思っている聖・俗の人達のことを)

長老「本当はなし終えてないんですね」

長老「阿弥陀さんでも、観音さんでも、不動さんでも、何でもいいんですが、錯覚に陥っただけなんですね……」

長老「(そういうのが)邪解脱になるんですね」

結論:客観的に無常・苦・無我を悟った状態になって(貪・瞋・痴が完全に消滅して)いない限り、正解脱ではない。

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