善趣と悪趣

自分の仮説

梵天
欲界からの遠離・出離(出家修行、リトリート)
キッダーパドーシカ(他化自在天+楽変化天)
見の利他(人文科学・芸術)
マノーパドーシカ(兜率天+夜摩天)
慢の利他(社会科学)
地居天(三十三天+四大王天)
欲の利他(自然科学)
地獄
痴・見執(頑固な思い込み・決め付け)
畜生
瞋・慢執(利己的な遺伝子・弱肉強食)
餓鬼
貪・欲執(独り占め・環境破壊)

欲界の構造

自然科学
(欲執)
社会科学
(慢執)
人文科学
(見執)
地居天マノーパドーシカキッダーパドーシカ
中庸人間
餓鬼畜生地獄

横軸は、欲執(貪欲)、慢執(瞋恚)、見執(愚痴)である。別の表現をすると、順に、自然科学(いわば欲の科学)・社会科学(いわば慢の科学)・人文科学(いわば見の科学)。

梵天

梵天は出家修行者だけが死後に行ける天界なので(かといってもちろん、出家修行者であればそれだけで行ける、というわけではない)、俗世間人である我々とは無縁であるから、ここでは深掘りしない。

キッダーパドーシカ(他化自在天+楽変化天)

日本国憲法で言う「内心の自由」が極度に実現された天界。つまり、文学・芸術・思想・宗教の源となる神々の居所。仏敵である悪魔は第六天魔(他化自在天)の一種であるとされるが、各宗教の至高の絶対神というのは、他化自在天である。織田信長も自称したという第六天魔王(仏敵たる悪魔)は大自在天(ヒンドゥのシヴァ神)とされるが、固有名称はともかくとして、この悪魔である他化自在天は、造化力を自在に操るゆえに「自在」などと名付けられている。つまり、「化ける・化かす」のが特徴である(そう考えると、シヴァよりもヴィシュヌの方が他化自在天らしく思える)。

悪魔は、釈尊が仏教を布教することを嫌がり、「不死に到る安穏なる道を覚ったのであれば、その道をお前一人で行け。どうして他人に教えようとするのか」などと釈尊を攻撃したりした(布教を勧請した梵天サナンクマーラとは対照的である)。後に、悪魔は、偽仏教を広めることによって、仏教の真の姿を希釈化して世間から隠す方策に転じる。史実の生身の人間の存在であった釈尊を表わしていた仏陀=如来という称号は、一般名称化され、史実の釈尊から乖離して一人歩きして、神秘的な神霊存在として換骨奪胎され、別物となり、ただの迷信の対象として作り変えられた。

真言密教では、大日如来という、もはや史実の存在としては何の根拠もない仏陀を捏造し、彼が(ヒンドゥのヴィシュヌのように)様々な化身に「化けて」人々を救うのだという設定を作り上げた。「化ける」という設定から、これは実は如来などではなく、初期仏教では他化自在天の性質として考えられていた存在の手口だということがわかる。つまり、大日如来の正体は、仏敵=悪魔である。

「内心の自由」という話に関連して、ここでは、「相対化」がキーワードとなる。何でもかんでも、「西洋と東洋」や「テーラワーダと大乗」といった文化や思想を対比させて、両者があたかも対等である・水平に位置するように思わせてしたり顔をしたり、それぞれ好きなようにすればいいじゃん、他人に迷惑かけなければどちらを選ぼうが趣味の問題だ、優劣・真贋はない、などといって物事を片付けようとする思考が特徴となる。

マノーパドーシカ(兜率天+夜摩天)

兜率天は、ソーシャルな偉人たちの行く天界。釈尊の実母(マーヤー妃。イエス・キリストの生母マリアの名の元ネタ)や、アナータピンディカ長者(cf. 中部 143『アナータピンディカ教誡経』)が死後に行ったとされる。人類社会を導く偉大な功徳(リーダーシップ)のある善人たちが死後に赴く。

マノーパドーシカの下位の夜摩天は、リーダー階層ではないが、社会貢献に尽した善人が赴くものと思われる。夜摩王は、特定の人物のことではなく、階級を示す称号で、複数存在する。彼らは天宮餓鬼と呼ばれる、天界と悪趣を行き来する存在で、悪趣(おそらく、夜摩王の場合は、餓鬼界ではなく畜生界)の罪人たちを管理する役目を負っている。普段から悪趣で苦しむ愚者どもを目の当たりにしている夜摩王たちの願いは、「来世では人間に生まれて、仏教に出会いたい」というものだという(cf. 中部 130『天使経』)。

ちなみに、アビダンマではマノーパドーシカは四大王天とされており、マノーパドーシカ=兜率天+夜摩天とするここでの話はあくまでも筆者独自の仮説である。

地居天(三十三天+四大王天)

現実の地球の自然環境をモデルにした須弥山世界。限りある資源を分け与え、浪費しなかった徳のある善人が行く可能性がある(逆に独占したり浪費した悪人は餓鬼界に)。

33 という数字は、1(サッカ)+4(四大王)+ 4 × 7(4 週間=太陰暦の 1 ヶ月)ではないかと思っている。つまり、四大王はサッカの次席の地位にあり、さらに彼らに 7 人ずつの大臣格の神々が配されている。

地球の自然環境がモデルなので、いわゆる精霊界とでも言うべき性質のものであり、サッカは言うなれば精霊王のようなものである。原初的には、雷(雲)神に由来するが、須弥山の頂上に玉座を構えていることから、地球の自転・公転を司り、いわゆる自然信仰における最高神(神々の王)である。中国系文化(道教や日本の神道)における最高神、天帝(アメノミナカヌシ)=北極星も、結局はサッカのことを指していることになる(つまり、道教や神道をバックボーンにしている東アジアのアニミズム的宗教観においては、地居天のスケール内でしか世界を捉えられていないことが予想される)。

アジャータサットゥ王の父王ビンビサーラは死後、四大王の王子として転生したとされる。

地獄

ジャータカ 147 話「はりつけにされた男」にあるように、特定の者(家族や恋人等)に対する愛は、地獄行きのエクスキューズ(免罪)にはならない。例えば、アメリカのハリウッド映画では、「愛する妻子のために、国外で身体を張って戦う父親像」的なものを美化するプロパガンダを底流に持つものが多い。YouTube などでも、兵役を終えて家族やペットと涙の再会をするシーンなどがよくバズったりする。だが、ジャータカ 147 話の論理によると、故郷の家族にとってはどんなに愛情深い人間であっても、その本人が悪行を犯したことのエクスキューズにはならない。むしろ、派兵先の外国で、敵として戦う相手にも、自分と同様に、愛する家族がいる。そのことに目をつぶって、「心を鬼にして」戦争行為に加担する。それが地獄行きの心理構造ということになるものと思われる(そうでないとジャータカ 147 話の説明が付かない)。

異教徒の人権を尊重しない、人間以外の動物を生命として扱わない、などといった、自分自身と対等な生命として扱う範囲を限定する、自分勝手な宗教観・正義感による盲目的な態度が地獄行きの業となる邪見の正体。暴力性というのは、地獄行きとなる業の皮相にすぎない。

畜生

マノーパドーシカの社会性の対極にある、社会性に欠く野蛮な状態。相応部の聚楽主相応の戦士経では、戦争による殺人を正当化する思想を持つ人々の死後の行き先が、「地獄または畜生」と言われているが、通常は悪業を正当化する盲目的な邪見による地獄、日本の武士道のように、または先天的なサイコパス性によって、特に相手に対する悪意なくスポーツ・ゲーム感覚で、弱肉強食の結果として殺し殺される状況を受け入れる場合は畜生道、という考え方なのではないかと思われる。ビジネスや受験勉強で圧倒的に強いのが、このタイプである。逆に、経営者や医者などにサイコパスが多いという事実は、このことを裏付けている。

餓鬼

地居天の反対で、限りある資源を独占し、浪費するような生活を生前に行った場合は、精霊(自然環境)的に劣悪な次元に行くと考えることができる。つまり、ゾンビ(餓鬼)のアウトブレークによる終末アポカリプス的な世界である。資源を大量消費バカ食いする国ほど、ゾンビものの娯楽作品が流行するのは、そういった死後の行き先として色濃いものが、人々の集合的無意識に影響した結果なのかもしれない。


参考

途中「畜生も、地獄の一つでしょう」という発言があることからもわかるように、スマナサーラ長老はこの動画において、悪趣全般のことを「地獄」と日本語で表現しており、回答全体としては悪趣に関するコメントとなっている(質問者が、悪趣全般のことに対する回答で十分だったのか、そうではなく地獄そのものについての回答の方が欲しかったのかは不明)。

「この天国・地獄・人間界の」という発言から、要するにこの動画でのスマナサーラ長老は、天国=欲天+梵天、地獄=餓鬼+畜生+地獄と、人間界の 3 つに分けて論じている。

  • 天界については、欲天のそれも「キッダーパドーシカ」と呼ばれるもの(他化自在天+楽変化天)について説明されており、六欲天全体や、梵天に関する説明はされていない。
  • 悪趣については、期待・願望・欲望を軸に説明されており、どちらかというと餓鬼についてのもので、餓鬼と地獄の区別についての説明はされていない(渇愛という意味では、貪欲も瞋恚もベースは同じということかもしれないが)。
  • 畜生についてはそのまま動物(畜生)を例示されているが、やはり悪趣としての説明としてはわかるものの、一般に仏教が同じ悪趣の中でも餓鬼・地獄と区別して餓鬼を定義している理由については、この解説ではよくわからない。

個人的には、欲天と梵天の違い、欲天が六欲天に細分される(仏教心理学的な)理由なども知りたいし、また、悪趣でも餓鬼・地獄・畜生の違いについて、もっとはっきりと把握したいが、このスマナサーラ長老の動画ではそこについては特に深く踏み込んで話されてはいないので、そこは残念だった(質問者に対する回答の趣旨とは外れるテーマとなるから、当然ではあるが)。

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