内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者』

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)を読んだ。彼の霊能者・砂澤たまゑに対するインタビューを元に書籍化した『霊能一代』を読み、砂澤について興味が強まったからである。

読んでみると、ベースとなっているもの(取材内容・エピソード)は、基本的に前著(『霊能一代』)と共通しているが、こちらの本の方が、インタビュアーである内藤の説明や考察が補われているので、構成的にずっと読み易いものになっている。

稲荷の神様

砂澤はこの日も稲荷信仰について話してくれた。

砂澤は、世間ではお稲荷さんのことを商売の神様だというが、実は衣食住の神様で、人間に着る物や食べる物、住む所を与えてくれるのだと言った。

その一例として、砂澤は自分もそうだったと話してくれた。砂澤は終戦直後に満州(現・中国東北部)から引き揚げてきたが、それから仕事がなくて困っていた。何をやってもうまくいかなかった。その時神様に、自分を祀ってくれたら他の仕事はしなくても一生衣食住を与えると言われ、そうしてみるとその通りになったという。

稲荷神が商売の神様であることは有名で、つい最近まで多くの会社が構内や屋上などに稲荷神を祀っていた。しかし稲荷神が商売繁盛の神様であることが顕著になったのは江戸時代になってからのことで、もとは食物神だったのである。つまり稲荷の神は農業神や漁業神として祀られていたのだ。現在も伏見稲荷の主神のひとつは「宇迦之御魂神ウカノミタマノカミ」という穀霊とされている。

私はそれまで神様はいないと思っていたので、稲荷神がどのような神様なのか考えたことがなかった。しかし、その後、稲荷の神はこのような役割に収まりきらない多彩な働きをすることや、日本の神様には役割分担があることが分かってきた。

砂澤はこの時、お稲荷様を祀って商売がうまくいった人の話をいくつか話してくれた。2 月 1 日に砂澤と伏見稲荷に来ていた上田さんもそのひとりだった。上田さんは小さな会社の女社長だったが、熱心にお塚に参っていた。砂澤は「あの人はお塚に参るたびに仕事が入ってくるので、いつも涼しい顔をしておられます」と言った。

砂澤はまた稲荷信仰は「白狐とミーさん」だと奇妙なことを言った。稲荷信仰と狐が関係があることは知っていたので狐は変に思わなかったが、白狐は腑に落ちなかった。本土に白い狐などいないからだ。またなぜ稲荷神社と狐が関係があるのかはまったく考えたことがなかった。

さらに不思議なことに、砂澤の話には黒い狐まで出てきた。砂澤は修業のできていない眷属さんは黒い色をしていて、修業のできていないオダイにつくと言った。白狐も変だが、黒狐はさらに変である。それに眷属の意味も分からなかった。

砂澤は「稲荷山には千体以上の神様がおられるが、最近は人間が怖いと言って穴から出てこられません」と不可解なことも言った。狐の穴は昔なら稲荷山にもあっただろうが、現在もあるとはとても思えなかった。

白狐にもまして奇異に感じたのは「ミーさん」だった。最初ミーさんは何を意味しているのか分からなかったが、のちに蛇のことだと分かってきた。「ミ」とは「巳」で蛇の意味だったのだ。蛇といっても蛇霊のようだったが、よく分からなかった。またこの人がよく使う「龍神」も同じ意味なのかどうかは長い間分からなかった。

砂澤は、龍神は蛇の年老いたもので、お山は龍神信仰ですといった。稲荷信仰といえば狐だが、龍神は初耳だった。しかし観察していると、稲荷信仰とミーさんは関係が深いことが分かってきた 。例えば、稲荷山のお塚には「清龍大神」とか「玉龍大神」とか「龍」の字のつく神がたくさん祀られていた。これらは全て龍神である。

砂澤が御膳谷に作ったお塚にも龍神が祀られていた。砂澤はお山をする時、最寄りの茶店でゆで卵をたくさん買って、自分のお塚に供えていた。ある時その理由を尋ねると、ミーさんの大好物ですと答えてくれた。実際に卵は蛇の好物である。

稲荷信仰とミーさんの関係が深いことは、伏見稲荷が出している御神符ごしんぷ(お札)でも明らかである。お札には狐と蛇が描かれているが、蛇は米俵に乗っている。稲荷信仰が白狐とミーさんであることを知っていないとこの絵の意味は解けない。

狐も蛇もよく分からなかったが、それ以上に困ったのは、砂澤の言っている神様がそもそも何なのかさっぱり分からなかったことだ。当時、私は西洋流の唯一絶対神という抽象的な神概念しかなかったが、砂澤の言う神様と西洋の神様は根本的に違っているように思われた。

砂澤の話を聞いていると、神様が人間みたいに感じられてくるから不思議だった。西洋のようにものを言わない抽象的な存在ではなく、まさに生きているように感じられるのである。私は日本の神様とは何だろうと初めて疑問を抱いた。日本の神様が理解できなければ、稲荷信仰の意味は分からない。

話し終えた砂澤は、「しばらくしたらまた話します。明日は本社で用があるので相手はできません」と言った。私は翌日の午前中に宿舎を出た。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p69-72

ちょうど『霊能一代』についての考察で、僕がコメントしたようなポイント(「神」の定義)について、内藤氏も同様の疑問を抱いていたようだ。

憑霊型のシャーマン

シャーマンは人類とともに古い存在である。先史時代にすでにその存在が確認されている。シャーマンは漢字では女性の場合は「巫」、男性の場合は「覡」を当てる。今の巫女さんは神社の手伝いで霊能力はないが、昔はシャーマンであり祭司だったのである。のちに神道はかつてシャーマニズムだったことを知った。そして砂澤の話から稲荷信仰はシャーマニズムであることが分かった。

シャーマンは霊能力があり、超自然的なものと交流できるとされている。

シャーマンの研究書によると、シャーマンにはふたつのタイプがある。ひとつは脱魂型で、霊体が体を離れて出て行くタイプである。ヨガの行者などでよくいるが、北方型のシャーマンにはこのタイプが多いとされている。

もうひとつは憑霊型である。これは霊が寄ってくるタイプである。神様がかかるのもこのタイプで、砂澤は憑霊型のシャーマンだったのである。

シャーマンがどちらのタイプに属するかは、体質によって決まるという。ちなみに日本人は憑霊型の人が多い。しかし従来の研究書には憑霊型の研究が少ない。また日本のシャーマニズム研究は、東北の「イタコ」や沖縄の「ユタ」が中心で、稲荷の「オダイ」を研究の対象にしたものはほとんどない。だが稲荷のオダイはかつては関西を中心とするシャーマンの大きな集団だったのである。

砂澤は神様がかかると体質が変わってしまうので、普段とは違うことをした。例えば、普段は酒がまったく飲めないのに、お祭りになるといくらでも飲んでしまう。それで信者は体のどこに入っているのかと不思議がって喉の辺りをシゲシゲと見つめたという。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p81-82

このシャーマンの類型論はM・エリアーデによるものだったはず。

15 歩行行と座行

霊能力を高める「行」

1999 年の 1 月 3 日は早朝から信者が砂澤を訪ねてきた。信者たちは家族でお正月を祝ってから出かけてきたのだった。

翌 4 日、砂澤は信者を連れてお山をした。砂澤は元日で 77 歳になっていたが、急な坂道も息を切らすことなく上っていった。年下の男たちがハアハアとつらそうに息を切らしているのと対照的だった。恐るべき体力だった。

砂澤の歩き方は少し変わっていた。ひとりの時は歩きながら般若心経や「六根清浄ろっこんしょうじょう」を唱え続けるのである。これは修験者の歩き方と同じである。

砂澤は 15 年ほど前に神様に言われて自宅の周りを歩くことを始めたという。15 年ほど前といえば、1983 年頃である。砂澤は「神様は何でもよく知っておられます。いつも神様が言われてから、言われたことが世の中で流行り出すことが多いのです」と言った。これは稲荷神の先見力を示している。

1983 年頃といえば、私が会社の行き帰りにウォーキングを始めて 2 〜 3 年たった頃である。確かに当時ウォーキングはまだブームではなかった。だが、同じ歩くことでも砂澤と私とではその目的が異なっていた。私は気分転換や運動不足解消のために歩いていたのだが、砂澤にとって歩くことは行だったのである。

砂澤は山を歩くことについて、「歩くと精神の統一ができ、動物もお供をして歩くようになります。神の世界に入っていくと、獣も怖くなくなります。獣の世界と一体になれるのです」と言った。これはつまり無の世界に入れる、自然と一体化できるという意味なのだろう。自分が無くなってしまうから、獣もその存在を感じなくなってしまうのである。こういう人は実際にいた。日本初のヨガ行者である中村天風(1876 〜 1968)が、虎の檻に入ると、虎は知らん顔をしていたという。

ちなみに山道を歩いて行をしている千日回峰行者(千日回峰行は比叡山で行われる天台宗の厳しい行)のひとりは、行を続けていると体が獣の体に近くなると言っている。この証言は砂澤の能力の秘密を解き明かす鍵である。砂澤が動物とコミュニケーションができたのも、獣の世界と一体になっていたからだろう。

私はお山をすることに何の意味があるのか、長らく不思議に思っていた。お山をすることは、たんにお塚を拝むだけではなかった。山の中を歩くことや、滝を受けること、断食することなども含まれていた。お塚を拝むことも含めてこれらは全て行だったのである。

では行には何の意味があり、霊能力と何の関係があるのだろうか? 最初の頃はその意味がまったく理解できなかった。変なことをしているものだとあきれていた。しかし、しだいにその意味が分かってきた。それは霊能力を開発し霊性を高めることを目的としていたのである。その結果、行者は神通力を得ることができる。

日本では修験道に見られるように、昔から山を歩いて行をするという伝統がある。これは山神と一体化することを目指していると言われている。山は霊の集まるところで、そこで行をすることは霊力(験力)を身につけることができると考えられていたのである。

では山を歩くことは実際にはどのような効果があるのだろうか。山を歩くことは全身運動であり、平地にいる時よりも空気をより多く体内に取り入れることができる。山の空気は新鮮だから、プラーナ(気)が町よりも多い。気は霊体に必要な微細なエネルギーで、多く取り入れると霊体が活性化され、霊能力が開発され向上すると言われている。

座行の厳しさ

この日は真冬日で寒かった。お塚の前でゴツゴツしたコンクリートの上に正座して何時間も祝詞を上げていると、地面から冷気が伝わってきて底冷えがし、寒くて体が震えだした。歯の根が合わなくて困った。声を出すどころではなかった。

しかも正座だからすぐに足がしびれてきて、これにも気を取られ、祝詞を上げることに集中できなかった。祝詞を上げ終わると、足がしびれていてしばらく立ち上がれない。痛くてたまらなかった。

しかし砂澤は平気だった。祝詞を上げ終わると、何事もなかったかのように立ち上がって、次のお塚へと移動した。砂澤は何時間このような悪条件の中で正座していても足が痛いそぶりは見せなかった。恐るべき「座力」だった。

私はのちに正座も行のひとつであることに気づいた。正座による足の痛みを忘れるほど祝詞を上げることに集中できるようになれば、我を忘れることができる、つまり無の境地に入ることができるのである。

砂澤は長年山中で座行を続けていたので、足は地面の凹凸や小石が肌に食い込んで傷だらけだった。

この座行は「寒い、暑い、痛いなどと気にしていたのではできません」と砂澤は言った。そういう感覚を忘れてしまうぐらい祝詞を上げることに集中できるようにならないと、何も分からないのだという。座行は簡単なように見えてもなまやさしいものではないのである。

砂澤は声を出すことに集中していると無になれ、神様の声が聞こえてくると言った。祝詞は滝行の時も上げるので行には必須で、祝詞を上げること自体が行なのである。般若心経を上げていると神様が降りてこられる人もいる。

砂澤は朗々とした張りのある声だった。よほど鍛え上げたにちがいない。砂澤は若い頃、祝詞を上げ過ぎて血を吐いた。喉が破れたのである。そのおかげで以後いくら祝詞を上げても疲れなくなったという。

お塚で祝詞を上げ終わった後で、砂澤はよく信者に予言や忠告をすることがあった。しかしこの日は少し違った。今年、日本はこうなりますという意味のことを言った。それは年頭にふさわしい予言だったが、漠然としており私にはよく分からなかった。

翌日 5 日は御膳谷で催される大山祭についていった。この祭りは古式豊かな祭りだった。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p89-93

「獣の世界と一体になれる」というのは、全くシャーマニズムそのものである。ケルトのシャーマンにしても、ネイティヴアメリカンにしても、動物的な勘を獲得することによって、文明化された現代人からは、超自然的とも思える感覚を回復しようとする。ただし、砂澤のようなシャーマンは何ら構わないのだが、天台宗や真言宗などのように仏教を標榜する場合には、そぐわない思想である。

17 見えない力で人を操る

クジを切る

2 月 10 日に伏見稲荷に呼ばれた私は、翌日の午後と夜に砂澤の話を聞いた。しかし毎度のことながら理解できないことが多く、この時も「それはどういうことですか」と合いの手を連発してしまった。

すると、いつもは寛容な砂澤もこの日ばかりはとうとう私の呑み込みの悪さにしびれを切らしたのか、相席していた福山さんに「あんた今日はもう一晩泊って行ってよ」と助けを求めた。私の扱いに困ってしまったのだろう。

福山さんとはこの日が初対面だったが、他の信者とはどこか違っていた。砂澤とは仲がよさそうで、この世界にはかなり造詣が深かった。

私は恐縮したが、小学校の算数しか分からない者に高等数学を教えようとしても無理な話で、ついていけるわけがなかった。しかし、この日の話で、砂澤は目に見えない力を使う能力があることが分かった。

砂澤は 1987(昭和 62)年頃に山口県を旅行した話をしてくれた。この時、福山さんも一緒だった。同行者の中に向井さんがいた。陽気な人でよく冗談を言う女性だった。旅先の旅館で宴会になった時、向井さんがあまりにも騒ぐので、少し静かにさせようと思い、砂澤は「クジ」を切って向井さんを動けなくしてしまった。向井さんはそのまま宿を出るまで動けなかった。砂澤はクジを切り、人を動けなくすることができたのである。

私は最初、この「クジを切る」という意味がまったく分からなかった。そこで「クジってなんですか?」と尋ねた。すると砂澤はあきれた顔をして、「そんなことも知らんのですか。身を守るためのおまじないです。説明してもあんたには分からんでしょうが」と言った。クジだけではない。まったく分からないことだらけだった。

のちに仕事で忍者について調べなくてはならなくなった時、ようやく「クジ」とは「九字」と書き、山岳修験者や忍者などが使った一種の護身術であることを知った。九字は文字通り 9 文字あり、各文字を印を結んで唱え、刀印を空中で切る呪術である。それによって文字に神力が入り、バリアーを作るとされている。九字が本当に切れる霊能者は霊界より上の神霊界の力を持つと言われている。

九字は道教から修験道に取り入れられたもので、護身や降魔のために用いられた。真言密教でも用いられている。忍術はもともと修験道に起源すると言われているので、根は同じである。修験者は九字を切る能力を山岳修験の行をしながら身につけていくが、修験者の行と砂澤の行は共通する点が多い。砂澤は修験者でもあったのだ。

この能力はまた砂澤が呪術者だったことも示している。シャーマンは呪術者だとされている。

人の動きを止める

九字以外にも、砂澤には人を動けなくさせる力があった。例えば「足止め」がそうである。砂澤はこの力もよく使っていた。これは足を動かなくしてしまうのである。ある信者は砂澤が止めたのに旅行に行こうとしたので、砂澤は怒ってその人の足を動かなくしてしまった。

逆に砂澤が神様の言うことを聞かなかったために、神様に足止めをされて動けなくなってしまうこともあった。とにかくマンガのような世界なのである。

また足止めではないが、腹痛を起こして人を動けなくしてしまうこともあった。腹痛は必ずしも肉体的な不調が原因で起きるとは限らないようだ。砂澤はこのように体の異変を起こす力もあった。これらは全て PK 能力、念力である。

さらに、砂澤の周辺では、砂澤が直接見えない力を使わなくても力が働くことがあった。

山口県の旅行で、一行は大島郡の久賀町に立ち寄った。瀬戸内海に大島という島があり、この島のある神社がお稲荷さんを祀ることになったので、砂澤が白龍神を鎮座させるために招かれたのである。

この時、予定地に向かう借り切りのバスの中で、高木さんという男性が行楽気分で酒を飲み始めた。ところが、おかしなことに、目的地の神社についてお祭りが始まると、高木さんは頭が上げられなくなってしまった。高木さんは何者かに押さえつけられている感じがしたという。そして式が終わるまでずっとそうしていた。

式が終わった後で砂澤は一行に原因を説明した。高木さんは式が始まる前にお酒を飲んでいたので、不謹慎だと言って鎮座される神様が怒り出し、懲らしめのためにそうされたのだというのだ。神様は見えない力を使うことができるのである。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p98-101

除霊の儀式として九字を切るパフォーマンスをする霊能者は少なくないが、砂澤のように、気合術(強力な暗示能力による結果。PK、念力といった『月刊ムー』愛読脳の考えたがるような超自然現象ではない)のような真似までできたというのは、寡聞にして知らず、驚きである。

20 神様を招く

還幸祭を見物する

私は砂澤の霊能力を観察し始めた。それは 1999 年の 5 月に始まり、2005 年の 10 月まで断続的に続いた。

手始めに 1999 年 5 月 3 日に伏見稲荷に出かけた。この日の祭りに砂澤が奉仕しているというので見物に出かけたのである。

この日の祭りは「還幸祭かんこうさい」あるいは「お帰り」と呼ばれているもので、4 月 24 日の「神幸祭しんこうさい」とセットになっており、合わせて「稲荷祭」と呼ばれている。稲荷祭は稲荷の大神様が氏子区内を巡幸される祭りである。この祭りは古くから行われており、かつては京都の三大祭りのひとつだった。

5 月 3 日の祭りは西九条(京都市南区)の御旅所におられる大神様が本社にお帰りになる儀式である。

この日はよく晴れた気持ちのいい一日だった。伏見稲荷は多くの人で混雑していた。参集殿の前には美しく飾られた車やトラックがたくさん停車していた。荷台には古風な装束を身につけた女性たちが乗り込んでいた。その中に砂澤の姿もあった。

車が伏見稲荷を出発したのを見届けると、私は東寺に向かった。車は御旅所で神輿などを乗せて東寺の東側の門・慶賀門前に立ち寄り、東寺の僧たちの供御を受けるからだ。昔は 5 台の豪華な神輿を氏子たちが引いて巡幸したのだが、今は交通事情で神輿をトラックで運んでいる。

東寺の慶賀門前で待機していると、ほどなく神輿を積んだトラックや関係者を乗せた車が到着した。下の社の神輿を積んだトラックが門の正面に停車し、この車を中心に車が整列すると、門前に並んだ僧たちが読経を始めた。

東寺でこのような儀式が行われているのは、伏見稲荷と東寺は関係が深いからである。東寺を建立した空海は、東寺の門前で稲荷神に出会い、この神を柴守長者の屋敷に祀り、東寺の守護神とし、稲荷山に導いて鎮座させて祭祀したと言われている。この儀式はその伝説を再現したものだという。

この伝説は空海が中世以後仏教化した稲荷信仰の開祖であり、神と霊的に交流できたこと、仏教が神に対して優位に立ったことを物語っている。

伏見稲荷は今は神道だが、かつてはふたつの稲荷信仰があったと言われている。

ひとつは秦氏の奉斎ほうさい(つつしんで祀ること)した稲荷で、祖霊信仰と自然霊信仰と食物神信仰を中心とした原始的な稲荷信仰を含んだ古くから続いている神道的稲荷信仰である。

もうひとつは、空海が東寺門前に出現した稲荷神を稲荷山に導いて鎮座させたことで始まったとされている、仏教化された稲荷信仰である。この稲荷は荷田氏が奉斎した 。この信仰は中世以後、神仏習合といわれる神が仏に帰依する宗教現象の中で荼枳尼天信仰となり、神道的稲荷に対して優勢になっていった。

霊能者・空海

空海は稲荷山で行をしたと言われている。稲荷山は古くから修験の地で、多くの修験者が入り込んでいた。空海も若い頃から山岳修験の行をしており、稲荷山でも行を積んでいた。

そのために、今も稲荷山には空海の行の跡とされる弘法の滝が残っている。ここには弘法大師堂があり、弘法大師が祀られており、大師の像も建っている。稲荷山に滝が多いのは修験者が行に使っていたからだ。

砂澤は空海を尊敬しており、よくその話をしてくれた。砂澤によると、大師は弘法の滝の傍で穴を掘って埋められ、竹の筒だけで息をして生き続けたという。これはヨガの行者の行に似ている。この話は弘法大師の伝説を集めた本に出ていないので出所が分からないが、大師の行がヨガの行と似ていたことや荒行だったことを示している。密教は瑜伽の実践と思想を根底に含んでいるので、空海がヨガの行法を知っており実践していたことはありえる。

空海はシャーマンの体質を持っていたと思われる。空海は若い頃、沙門と称していた。渡辺照宏氏と宮坂宥勝氏によると、「沙門」とは修行者という意味である。シャーマニズムはツングース語の「シャーマン」から出ており、シャーマンはシナ語の「沙門」(梵語で修行者を意味する)に由来するという。

つまり空海は自ら「沙門」(シャーマン)と称していたのである。空海はシャーマンに似た超能力を持っていたと思われるが、それは山林修行の中で瑜伽の行を修することで身に着いたものだろう。

空海は雨を降らせたり龍神を呼んだりといった奇蹟譚の多い人だが、験力、つまり神通力があったと言われている。

空海は「体で感じる大自然そのものが教典」であると言っている。空海は自然を体感するために山野を歩いて行をしたのだろう。砂澤も同じことを言っていたし、同じことをしていたのである。

空海は砂澤と同じシャーマンで修験者でもあったので、砂澤は自分と同質のものを空海に感じていたのかもしれない。さらに空海は仏教稲荷の開祖でもあったため、砂澤は信者としても尊敬していたのだろう。

神仏習合の痕跡

東寺と伏見稲荷の関係は、空海以後の神仏習合の時代になっても続いた。この時代になると、真言宗系の僧たちが荼枳尼天と狐神を習合させて仏教化された稲荷信仰の流れを発展させた。最初は山上に真言宗の僧坊や仏堂が多く存在したが、やがて現在の本殿の横に荼枳尼天を祀る愛染堂(東寺の本願所で 16 世紀末に再興され、明治元年まで存続した)ができ、大師堂などの仏教系のお堂も作られ、仏教的稲荷信仰の中心地のひとつとなった。当然のことだが、ここは弘法大師信仰も入っていたので、伏見稲荷に今でも弘法大師信仰が残っているのはそのためだろう。

稲荷山に神仏習合の痕跡が今でも残っているのも同じ理由によるものだ。砂澤はお塚の前で常に般若心経を唱えていた。私は最初これが不思議でならなかった。神社でお経を唱えるなんて変ではないか。しかし、神仏習合の時代は社僧が神前でお経を上げていたのである。その名残だと思えば別に不思議なことではない。

般若心経は密教の根本経典のひとつである。そのために真言宗を始めとする各宗派の僧たちや山岳修験者は常に唱えている。私たちは意味も分からずに般若心経を上げている。それは砂澤も同じだっただろう。しかし庶民はそれでもいいのである。なぜならば、教典を読誦するこ とは、厄を払い福を招く呪力があると信じられていたからだ。

砂澤は稲荷山の滝にはお不動様がおられると言った。滝行をしているとお不動様が見えるというのだ。砂澤はお不動様は神仏両方にいけますと言った。

不動明王は空海が日本に招来した仏様だが、インドでヒンドゥー教の最高神であるシヴァ神が仏教に取り込まれたと言われており、もとは神様だった。したがって、神仏どちらにもいけるというのはその起源を考えると間違いではない。しかし、砂澤がこのことを知っていたとは思われない。蛇足だが、明治期までお不動様を神様として祀っている地域があった。

不動明王は空海自刻の像が秘仏として現在も東寺に祀られている。お不動様は山岳修験者たちが信奉した山の仏(神)だったので、山岳修験の山だった稲荷山にお不動様がおられてもおかしくはない。これもまた稲荷と空海の関係を示すとともに、神仏習合時代の名残なのである。

砂澤は特にお不動様と観音様の信仰が厚かった。お不動様は真言宗と稲荷の関係から砂澤が信仰するのは当然だし、観音様は神仏習合時代、稲荷の本地とされていたのでこれも当然なのである。

明治になって神仏分離が行われ、神道と仏教は切り離されたが、砂澤を見ていると庶民の信仰ではいまだ神仏分離は行われていないことが分かってきた。稲荷のオダイは今も自分の信じる仏様を信仰し、稲荷の神々とともに祀り、それらの神仏を総合してお稲荷さんと呼んでいるのである。砂澤の場合は、不動尊の他に観音と地蔵も信仰していた。稲荷信仰とは実は神仏混交なのである。

伏見稲荷は今は神道であるから、仏教的稲荷信仰の痕跡は分かりにくくなっている。しかし、最初の千本鳥居が始まって二又に分かれその出口にあたる奥社奉拝所は、以前、荼枳尼天信仰(白狐信仰)の中心地だった。

砂澤は空海について様々なことを話してくれたが、その中に奇妙な話があった。高野山は空海が開いた聖地だが、砂澤は高野山で行をしたことがあった。その時、空海が死後龍神になったことが分かったというのだ。

これは砂澤が霊感によって感得したものなのか霊視によって見たことなのか分からないが、龍神になるというくらいだから、空海はよほど「ミーさん」や水と関係が深かったようだ。空海が龍神に乗っている姿はよく絵巻に描かれているが、砂澤はそのことをまったく知らなかったはずである。

5 月 3 日、私は東寺の中門で供御の儀式を見物した後、伏見稲荷に戻った。やがて、神様を迎えに行った人たちが神輿ともども車で帰ってきた。砂澤は直会なおらいに出かけてしまったので、私は引き上げることにした。

御鎮座

この頃、私は親族から、自宅にお稲荷様を祀ったという話を聞いた。

お稲荷さんを初めて祀る時、神様を招き御鎮座いただくお祭りをする。親族は砂澤の支部の講員だったので、砂澤に来てもらい神様に御鎮座いただいたのだ。

砂澤はお祭りを終えた時、「どの神様が来られるのかと思っていましたら、白菊さんでした」と言った。信者はその神名を書いたお札を神殿に安置し、一家の神様として祀るのである。

これは砂澤に神様を招いて鎮座していただくことができ、本当に神様がやってこられて神座に座られたことが分かり、神様を識別する力があったことを示している。これも砂澤の霊能力のひとつだった。このように砂澤は本当の意味で神様を祀る力があったのである。

これは一般的には「稲荷下げ」もしくは「おみたましずめ」と言われている。これは稲荷のオダイの重要な仕事のひとつで、これができるからオダイが務まり、支部の長も務まるのである。稲荷のオダイは稲荷信仰の普及に大きな貢献をしてきた。

おそらく古代の巫女たちも、霊能力がある人であればこのようなことをしていたのではなかろうか。砂澤のような人は古代なら巫女と呼ばれていただろう。

ちなみに白菊さんは、稲荷山山頂の 3 座の神様のうちの下ノ社の神様の美称である。

では、なぜ神様の名前が砂澤に分かったのだろうか。神様は鎮座される時名乗りを上げられると言われており、砂澤にはその声が聞き取れたからだろう。

砂澤は神様を招く力があったので、当然のことながら神様にお帰りいただくこともできた。信者はある事情で神様を祀ることができなくなった時、砂澤に頼んで神様にお帰りいただいていた。そうしておけば後で変なことが起こらないからだ。

変なことが起こるのはこういった正しい処置を怠った時である。砂澤はよく祀り捨てはよくないと言っていた。そうすると変なことが起きるというのだ。

神様が祀り捨てられていることに気づき、再度信者に祀らせるのもオダイの仕事だった。こうして稲荷信仰は継続していくのである。

この神様を招いたりお帰りいただいたりすることは霊能力がなければできないことである。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p114-122

これも基本的には内藤の独自の研究というよりも、一般の研究を内藤がまとめた形のものだろうが、稲荷信仰に関して仏教側では空海と直接つながってルーツとなっており、現代の〝拝み屋〟が揃いも揃って不動明王の真言を駆使したりなどして、仏教では真言密教と密接に関係しているのも、おそらく空海が直接の祖となった稲荷信仰系のシャーマニズムが大元のルーツになっていたのであろうことがわかる、歴史的な傍証である。

また、霊能者が神様の分霊を授かって、招来したり(逆に帰したり)するという話は、えにしちえという霊能者が以前、シークエンスはやともの YouTube で語っていた(「神柱を背負って移動して現地に降ろす」らしい)が、彼女の他に YouTube では同様の話を聞いたことがなかったので、珍しいことなのかな? と思っていたが稲荷信仰のオダイの世界では特別な話でもなかったようだ。

24 断食とアニミズム

100 日断食

2000 年も秋になった。

夏に翻訳の仕事が終わり、また仕事を探さねばならなくなった。この時は原稿を書く仕事がなかったので、他の仕事を探すしかなかった。そこで砂澤にこの件を相談することにした。

砂澤は鞭打ち症以後、社務所での相談は受けつけていなかったので、電話で用件を伝えることにした。電話をすると、なぜか砂澤は烈火のごとく怒り出し、「食えないなら食うな。人間食べなくても生きていける」と言い放った。そして「私なんか 100 日間何も食べなかった。それでも死ななかった」と豪語した。

私は無茶なことを言うとあきれた。私は断食など一日もしたことがなかった。そんな私が 100 日間も断食すれば生きていけるはずがない。現に断食している修験者が 53 日目に死亡したという記事が新聞に出たばかりだった。

私はさすがにこの言葉は無視したが、これは結果が出るまで我慢して将来に備えよという意味なのだろうと解釈して、しばらく貯金を崩しながら生活することにした。

そして翻訳の勉強を独学で始めた。初めて本を書いた後で、原稿の書き方や文章の書き方を知らなかったことに気づいて独学したのと同じパターンだった。

砂澤は行の一環として断食をよくやっていた。3 日間ぐらいの軽い断食は常に行っていたが、100 日の断食はさすがに生涯でただ一度だけで、決死の覚悟で臨んだという。

断食は命がけの荒行である。下手をすると命を落としてしまう危険性がある。ましてや 100 日ともなれば限界ギリギリへの挑戦と言っていいだろう。砂澤がこの荒行を敢行したのは若い頃だった。

私たちは断食というと食べないでじっとしていると思いがちだが、砂澤の場合はそうではなかった。食べなくても山の中を歩き回り、他の行もするのである。当然のことながら体力は無くなるので、最後は動けなくなってしまう。砂澤はそうなった時、手に草鞋をつけて坂道を上り下りした。そしてついに力尽きて動けなくなった時、お馬さんが現れて背に載せて運んでくれたという。これは幻覚なのか本当にあったことなのか私には判断できない。

断食の意味

砂澤は断食について、実行すると頭がすっきりして、体が軽くなると言った。しかしこれは人間の根源的な肉体の欲望である食欲を断つ行なので、究極の荒行なのである。

断食は心身を浄化するが、肉体の力と機能を極限まで弱めることで霊感を強くすることを目的としている。生死の境目まで自分を追い込むと、霊界が感じられるようになるという。

また、断食によって胃のところにある「マニプラ」というチャクラが目覚めて働き始めるので、ESP と呼ばれている超感覚的知覚が働くようになる。すると霊が見えるだけでなく霊のことが分かり、霊の声が聞こえるようになってくるし、霊界の臭いも感じるようになる。ちなみにチャクラとは霊体のエネルギーの取り入れ口、エネルギーセンターである。

砂澤の場合は死に一歩手前の極限まで断食を行ったのだから、超感覚的知覚は最大限に開発されたと思われる。砂澤の優れた霊能力の秘密は断食にあったのである。断食の行は霊能力の開発に非常に有効である。

断食は断食をしている時も危険だが、その後も危険である。食事を元に戻す時にもへたをすると命を落とす危険性があるからだ。断食は指導者がいないと危険である。砂澤の場合、行の仕方は全て神様が指示を出していたというから、断食の指導も神様がしており、神様が砂澤を守っていたにちがいない。そうでなければ 100 日間も断食などできるはずがない。

稲荷のオダイの行の仕方は人によって違う。なかには師匠について行を学ぶ人もいる。ところが砂澤は最初から神様が指導していたのである。そのために伏見稲荷で講習を受けた時、教わったことと違うので戸惑ったという。

これで明らかなように、稲荷のオダイに統一された行法はなく、各人自己流でやっているのである。つまりやり方などはどうでもよく、要は神様と交流できるようになればいいのである。稲荷信仰とは直接神様の声を聞くことであり、それに尽きるのである。

草木が語り出す

100 日断食について、砂澤は面白い証言を残している。最後の日に、神々しく輝く霊気に満ちた白狐を見たというのだ。とてもまぶしくて近づけなかったという。

この白狐は伏見稲荷の大神様で、稲荷の主神 3 神のうちの一神大宮能売オオミヤノメだと思われる。この神様は命婦とも言われ、狐神と習合している。砂澤の行の満願成就を祝して姿を現されたのだろう。

この神様は日頃は見ることができず、その輝きから考えてかなり霊格の高い神様だと思われる。砂澤はこの時、初めて大神様の存在に接したのではなかろうか。これによって砂澤はさらに信仰心を確かなものにしたことだろう。いずれにしてもこれは砂澤の究極の顕神体験である。

砂澤はよく大神様のことを話してくれた。伏見稲荷に来るのは、大神様にお会いできるからだと言っていた。砂澤には大神様の声が聞こえていたようだ。大神様は明らかに眷属神と違う存在で、砂澤はその区別ができていたにちがいない。

砂澤はこの壮絶な断食行を回想した時、さらに興味深い話をしてくれた。体力が落ちてしまい、体がふらつき、意識が薄れていった時、周り中から生き物の声がウワーンと聞こえてきたというのだ。植物たちが一斉に喋り出したのである。

私はこの話を聞いた時、これぞ本当の意味でのアニミズムではなかろうかと思った。アニミズムは、万物は生きている、霊(仏性)を持っているといった意味で使われることが多いが、砂澤のような経験を元にして生まれた言葉だったのではなかろうか。

砂澤の動物や植物の声が聞こえる能力は 100 日の断食中に開発されたのだろう。この時、超感覚的知覚が高度に働くようになったからだ。まさに自然の中に霊は宿っているのであり、砂澤はそれを実感したのである。

神様と交流できる霊能者は自然の様々なものから霊感を得ることができると言われている。砂澤の体験はまさにそのことを示しているのである。

アニミズムは八百万の神、多神教の基礎である。原始神道はアニミズムだったと言われているが、稲荷信仰もアニミズムだったのである。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p137-141

砂澤は断食と滝行を中心に苦行を行っていたようだが、仏教で批判的に論じられている苦行というものは、本来、このような意味・意図があったものと思われる。仏教のコンテクストでは、「苦行によって、その褒美として、(来世で)善い境地に行ける」という前提の上で、批判的に槍玉に挙げれられている。だが、(外道の)沙門シャーマンは、そういった輪廻転生観におけるものを目的としたというよりも、「現世利益のための、超能力的な神通力としての霊能力の獲得のための手段として、苦行を行っていたのだ」とすれば、そういった原始的な呪術(シャーマニズム)として捉えれば、特に(現代的には科学的でもない一方)、盲信的なものでもなかったのではないかと思う。

狐の像が話す

砂澤の周辺では、奇現象がよく起きた。神馬だけでなく神像もしゃべった。稲荷神社には狐の像がつきものである。砂澤が稲荷山の御膳谷に作った 150 番のお塚の像は高価な絹の布の胸当てをしている。

砂澤がこの胸当てを作ったのは、このお塚に祀られている豊川という神様が、砂澤に「私は女の神様だから、ハートを隠してほしい」と言ったからだという。つまり神様が恥ずかしいので胸を隠してほしいと言ったのである。変な神様である。

そこで砂澤は胸当てを作ってあげることにした。京都の織物屋の知り合いに頼んで高級な絹の布を分けてもらい胸当てを作った。高価な絹の胸当てをしている神様は他にはいませんと砂澤は言った。

私は神様に性別があることを実感した。日本の神話には男女の神様が出てくるが、どうやら本当らしい。私は神様に性別などないと思っていたので驚いた。狐の像が対になっているのも雌雄を表しているのかもしれない。

この話からいくつかのことが見えてくる。砂澤には神像が話すことが分かったということと、神像に霊がかかることだ。これが神像の本当の意味ではなかろうか。神像は決して飾り物ではないのである。

私は長い間、なぜ稲荷神社に対の狐の像が置かれているのか不思議に思っていたのだが、ようやくその疑問が解けた。お塚の場合、神像にはお塚に彫られた神名の神様がかかるようだ。この神様は眷属神だろう。

神像が眷属神を表しているとすると、稲荷神社の本殿にいるのは稲荷の主神、大神様ということになる。伏見稲荷の場合は、主神が 3 神である。稲荷神社は本殿と社前の狐の像で、大神とその使いである眷属の関係をはっきり表しているのである。だが、それらが見え、その言葉が本当に分かるのは霊能者、稲荷のオダイだけなのだ。

のちに砂澤は、自分のところに新しくやってきた神様について、像と神様の姿が重なって見え、その神様がよく話されると言った。これは「二重視」という霊視で、砂澤は物体と霊体が重なっているのが見えたのだ。

霊は霊体を持っているとされているが、肉体と霊体は同じ形をしているようなので、この場合、霊体は狐の形をしていたと思われる。このことからも霊は狐であることが明らかである。

しかし私は狐の霊がどうしても狐だとは思えなかった。もっと高度な霊が狐となって現れているのでは、という疑いを捨てきれなかった。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p149-151

僕自身「物質次元と霊的次元の二重レイヤー認識」という考察を行ったことがあるので、内藤も同じことを考察していたのだと思うと興味深い。

稲荷信仰の核心

砂澤は眷属とオダイの関係について面白いことを語っている。眷属さんを食べさせることができる甲斐性のあるオダイには、多くの優秀な眷属が集まってくるというのだ。そして多くの優秀な眷属を使うと、オダイとして大きな仕事をすることができ、多くの奇蹟を起こすことができる。またそれを見て多くの信者が集まってくるというのだ。

では眷属を食べさせることができないオダイはどうなってしまうのだろうか? クロさんに 憑かれてしまうのだそうだ。

オダイに憑いた眷属は、オダイを助けながらオダイとともに行を積み成長していくという。この眷属とオダイの関係こそが稲荷信仰の核心なのである。

砂澤は眷属さんはおみたまを受けるとついてこられるとも言った。おみたまとは砂澤が秋の講員大祭でお神楽を受けた時に受け取っていたものである。神霊箱ともいう。箱の中には眷属神の霊が入っているようだ。

砂澤は 17 歳の時におみたまを受けたが、その時からおかしなことがたくさん起き始めたという。おそらくついてきた眷属さんが働き始めたからだろう。

この時、ついてきた眷属さんは砂澤の守護神となった。守護神は専業で祭ってくれるなら一生衣食住を保証すると砂澤に言った。これは神との契約で、これも稲荷信仰の特徴である。

稲荷の眷属神はシャーマンの補助霊に似ている。シャーマンは守護霊とともに補助霊をもち、使役すると言われている。稲荷信仰はシャーマニズムであるから、眷属神はシャーマンの守護霊や補助霊と同じではなかろうか。シャーマンは補助霊によって多くのことを知り、様々な奇蹟を起こすことができると言われている。砂澤も同じだった。眷属信仰のルーツはシャーマニ ズムにあるのではなかろうか。

砂澤は神様を使うことができたうえに、神様を人にかからせることもできた。

私は初めて書いた本ができた時、砂澤に本を届けたことがあった。この時、砂澤は私に「あんたは神様のかかりやすい人だ」と言った。何の意味かさっぱり分からなかったが、今になってようやくその意味が分かってきた。砂澤は私に神様をかけて仕事をさせていたのである。

では、砂澤は神様に何の仕事をさせていたのだろうか。私が原稿を書く助けをさせていたのではなかろうか。私はこの時はすらすらと原稿が書けたのだが、次のウォーキングの原稿はいくらがんばってみても少しも書けなかったからだ。

砂澤は神様のかかりやすい人とかかりにくい人がいると言った。そして素直な人はかかりやすいが、強情な人や人の言うことを聞かない人、疑り深い人はかかりにくいと付け加えた。

砂澤は眷属神を使い、眷属神から多くのことを教えられていたことは確かである。しかし砂澤の神様との交流はそれだけではなかった。眷属神はあくまでも使役神であり、砂澤は眷属神以外の神仏からも多くの教えを受けていた。それは稲荷の大神様であり、自然の様々な霊であり、お不動様や観音様だった。こういった様々な神仏と交流できるのが砂澤の特徴だった。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p162-164

「砂澤は神様のかかりやすい人とかかりにくい人がいると言った」ということからも、気合術的な暗示の類であることがわかる。こういった暗示レベルのの強い人同士では、同じ暗示内容が個人の意識の壁を超えて共有されるのである。

29 滝行と水行

命がけの荒行

2001 年の 6 月に関西の書店のガイド本が出た。この頃になると、他の仕事や就職口を探そうという意欲が薄れてきた。探してはいたが見つかりそうになかったからだ。

6 月末の 30 日に伏見稲荷に行った。この日は「夏越の祓」というお祭りがあり、大きな茅の輪が境内に設置されていた。この輪をくぐると厄除けになるとされている。

ついで 7 月 16 日に再度お呼びがかかった。何事かと思って出かけると、滝の行をするのでついてくるようにと言われた。場所は弘法の滝だった。

砂澤は、若い頃、稲荷山にいる時は毎日のようにいくつもの滝を受けていたが、鞭打ち症になってから体が弱ってきたので、今日は滝に入らずに上田さんの滝行を指導すると言った。私は滝行を見るのは初めてだった。

弘法の滝の休憩所で砂澤と上田さんは白衣に着替えて滝場に向かった。上田さんが滝に入ると、砂澤は行場の入口に立って祝詞を上げ始めた。ものすごい迫力だった。こうして滝を受ける上田さんを守っていたのである。上田さんも滝に打たれながら、一心に祝詞を唱え続けた。行場には何本もの灯明が上げられていた。

行を終えて滝から出た後、上田さんは水に濡れた白衣を服に着替え、体を温めながら休んだ。

砂澤は俺に入るには作法があると教えてくれた。作法は教える人によって違い、また相応の準備や心構えが必要で、誰でも入れるものではないのだ。しかるべき指導者についたほうがよく、指導者なしに我流で入るのは危険だという。

私は滝行の意味が分からなかった。ただ、夏はともかくとして、冬は寒いだろうし、場合によっては心臓麻痺を起こしかねない危険な行だろうと想像していた。

だが、砂澤は夏の滝は楽ではないと言った。夏の水は温かいが、体にじわじわと応えてくるという。逆に冬は氷水を浴びているようなものだから、冷たいといった感覚は通り過ぎて肌が刺されるように痛むが、しばらくするとそれすらも感じなくなってしまうそうだ。滝から出ると肌は真っ赤に腫れ上がっており、湯気が立って体はぽかぽか温かい。

砂澤は滝を受けた時の話をよくしてくれた。岩場だから落石があって危険だし、蛇やムカデが出てきて体の上を這いまわることや、時には首に巻きついてくることさえある。それでも気にしないで、一心不乱に祝詞を上げ続ける。それができなければ無にはなれないのである。

砂澤の話には出てこなかったが、滝行は水量が多くなると、頭上から流れ落ちる大量の水で鼻孔が塞がれてしまい、窒息死する危険性がある。また水に流されてしまう危険性もある。やはりこの行は命がけの荒行なのである。

砂澤は若い頃、激しい滝を求めて各地の滝場を巡った。常に死を覚悟して臨んだという。しかし死なずにすんだそうだ。

滝行は死を賭けた荒行なので、滝行を終えた行者の白衣を欲しがる人がいる。白衣を厄除け、お守り、死装束として使うのである。生死を賭けた行で死ななかった人の着ていたものは、それだけのありがたみがあると考えられているのだ。

徹底的な潔斎の行

では、滝行にはどのような意味と効力があるのだろうか?

砂澤は、滝を浴びると、憑いている悪い霊を落とし、憑いている善霊を清めることができると言った。また心身の浄化作用もある。滝行は徹底した潔斎の行なのである。

しかし心構えが悪いと、逆に変な霊を拾ってしまうこともある。滝場には悪霊がたくさん落ちているからだ。

砂澤は滝場には龍神様やお不動様などの神仏がおられますと言った。そのために神仏の声が聞こえてくるし、異変がよく起こる。例えば、滝場でお灯明が飛んだことがあり、これは同行した信者の奥さんが倒れるお告げだった。

この日、滝行をした上田さんはお不動様が見えたと言った。砂澤は滝場では龍神様が出てきて白い腹を見せてくれることもあると言った。このように滝場は行場であるとともに神仏が宿る霊場であり、滝稲荷と呼ばれている。

一般的に、滝行をしていると神様が降りてこられると言われており、オダイになるために行をしている人に初めて神様がかかるのも滝行の時だと言われている。

行者は滝に入ると水に打たれながら一心に神拝詞や般若心経を上げ続ける。砂澤は、滝に打たれながら一心にこれらを唱えていると、声と一体になり全てを忘れてしまうことができると言った。つまり無になることができるのである。

神拝詞や般若心経はお塚でも上げるが、これらを上げることはオダイの重要な行のひとつである。これによって行者は聖化され、神と一体化するとされている。

神拝詞や般若心経を上げることや滝行が霊能力の開発に役立つことを知ったのは後のことだった。

これらを唱えることは、喉のところにある「ヴィシュダ」というチャクラが刺激されるので、霊能力の開発に有効である。同様に、滝行は頭頂を水に打たれ続けるが、これは頭頂の「サハスラーラ」というチャクラが刺激されるので、やはり霊能力の開発に役立つのである。このように行は全て霊能力の開発と関係があり、しかるべき理由があったのである。

滝行と似た行に水行がある。これは川に入って行をすることである。砂澤は若い頃は川の傍に住んでいて、毎夜、川に入っていたという。

水行の簡単なものは、バケツなどに入った水を何杯も被ることである。これは水垢離を取るという。近くに川がない時や緊急時にはバケツの水を被っていたそうだ。

このように稲荷のオダイの行の特徴は、水行を重点的に行うことである。徹底的な潔斎の行なのである。

これは神道のミソギと関係があるのだろう。神道はケガレと罪を嫌い、それを落とすためにミソギ、つまり水行を徹底して実践するからだ。

滝行を含めて水行を徹底的に行うのは、水の生命力によって汚れ、ケガレを洗い落とすとともに、新しく宗教的な生命力を得ることができる、と信じられていた。

古代、水には神的な力があり、呪力があると信じられていたし、水には人を再生させる力があるとも信じられていた。水行はこれらの力を得るために行われてきたのだ。

砂澤は滝を浴びるとすっきりした気分になり、体も丈夫になると言った。夏の一時、蟬しぐれの降る中で、私は滝行の体験談に耳を傾け続けた。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p165-169

断食と滝行のいずれも、肉体的に追い込んで、原始的な感覚を鋭くする(ことによって霊能力を得る)ための苦行的手段である。

31 神様の怒り

死期が分かる

年が明けて 2002 年になった。同時多発テロの影響でアメリカは不景気になり、その影響で日本はますます景気が悪くなった。デフレが定着し、企業のリストラは加速した。

この年、私は正月と 2 月に砂澤に会ったが、それ以後は個人的な事情であまり会えなかった。

正月に伏見稲荷に行った時、3 日に市川さん夫妻が来られた。奥さんは一段と疲れがひどいように見えた。そして、しんどいので今年は皆さんについて山にはとても上れませんと弱音を吐かれた。

砂澤は、市川さん夫妻が部屋に入って来た時、奥さんを見るなり別の部屋に行って休みなさいと言った。その言い方がひどく冷淡に感じられた。砂澤はそれから奥さんの近くに行かなかった。優しい砂澤にしてはどうも態度が変だった。市川さんは翌日、奥さんの体調不良を理由に、奥さんを連れて帰ってしまった。

砂澤の態度が冷淡だった理由は後日判明した。それは 2 月 7 日に伏見稲荷に行った時だった。

砂澤は私の顔を見るなり、市川さんの奥さんが亡くなったと言った。それは 1 月に市川夫妻が伏見稲荷を引き上げた直後のことだった。そしてあの時、奥さんを遠ざけたのは、お迎えが来ているのが分かったからで、可哀そうだとは思ったが近づけなかったのだと言った。お迎えとは仏さんがついていたという意味らしい。つまりあの世からのお迎えである。私はこの人はそんなことも分かるのかと驚いた。

砂澤は新仏を相手にするのは本当にしんどいと言った。新仏とは死んだばかりの霊のことらしい。そして神様は軽いが新仏は重くて困りますとつぶやいた。

新仏については同じことが私の身にも起こった。3 月に母親が他界したのだ。砂澤に喪中は神社に近づいてはいけないと言われていたので、私は 3 か月近く砂澤に会わなかった。これもオダイが新仏を敬遠する一例である。

砂澤のこの態度は神道が新仏を嫌うためだろう。神道は人の死を最大のケガレと考えているからだ。だが、新仏が重いというのは霊能者でなければ言えない感想である。

久しぶりに砂澤に会ったのは、7 月 1 日だった。実家から仕事場に帰る途中に内記稲荷に挨拶に立ち寄ると、砂澤は境内の隅で若い女性と何か作業をしていた。

私は挨拶をすませると、母親が他界したことを報告した。すると砂澤は、母親の戒名を紙に書いてそれをよく拝みなさいと言った。

砂澤は御祈禱の時、常に氏名と生年月日を書いた紙片を要求した。これは何のために使うのだろうかいつも不思議に思っていた。のちに砂澤は紙片を見れば本人に会わなくてもその人のことが分かると言った。これは砂澤の霊能力の特徴だった。私は紙片は霊の依代ではなかろうかと思うようになった。

この紙片は、新仏になると戒名を書いた紙片に変わるようだ。これから類推すると、位牌は霊の依代ということになる。

のちに砂澤は私の額のところを指さして、「お母さんがついてあなたを守っておられます」と言ったことがあった。私に母親の霊がついていることが分かったらしい。これは亡くなった 肉親の霊が守護霊として子孫につくことを示している。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p176-178

「喪中は神社に近づいてはいけない」

36 霊言現象の体験

参集殿での異変

2003 年は 3 月以後、秋まで砂澤にあまり会う機会がなかった。伏見稲荷には 5 月 4 日と 6 月末に少し顔を出したが、話はほとんどしなかった。

3 月 20 日、アメリカがイラク戦争を開始し、また世界はきな臭くなった。そのあおりを受けて、自衛隊の後方支援が立法化され始めた。

経済は株価が 4 月に最低となり、失業率も最悪を更新し続けていた。ホームレスは 25000 人に達し、フリーターは 417 万人に増え、そういった人びとを非正規雇用で安く使おうとする雇用形態が蔓延し始めた。

砂澤は 8 月に主人が亡くなり、自身は緑内障の手術に踏み切った。これで少し目が見えるようになったという。

久しぶりに砂澤に会ったのは 10 月 13 日のことだった。伏見稲荷の宿舎の部屋に入っていくと、砂澤はいつものように多くの信者たちに取り囲まれて賑やかに話をしていた。私は部屋の隅に座って話に耳を傾けた。

すると突然、砂澤の様子が変わった。私は砂澤を横から見ていたのだが、その横顔の上に正面を向いた別の顔が浮かんだのだ。その顔は男の顔に見えた。

男の顔は私に話しかけてきた。声は明らかに砂澤の声ではなかった。野太い男の声で、凄味があった。その声は私の仕事のことである指示を出した。男の口は確かに動いていた。

私は何が起こったのかよく分からなかった。とっさに砂澤に神様がかかり、霊媒現象が起きたのかと思った。だが信者たちは何もなかったかのように雑談を続けている。どうもおかしい。神がかりだったとすれば全員が見ていたはずだからだ。

座が一段落した時、私は部屋の外に出て、後から出てきた信者に、先ほど先生は変身して男の声を出さなかったかと尋ねてみた。すると信者は、そんなことはありませんでした、ずっと 変わりはありませんでしたと答えた。私はそんな馬鹿なことがあるものかと思い、他の人にも確認してみたが、同じ答えしか返ってこなかった。

私はますます不思議に思い、砂澤に同じ質問をしてみたが、砂澤は変わったことは何もなかった、自分は皆さんと普通に話していただけだと答えた。

結局、この出来事は未解決に終わってしまった。疑問が解けたのはのちのことだった。これは霊言現象と呼ばれているもので、神様が砂澤の体を使って姿を現され、語りかけてこられたのだった。神様の影向ようごう(仮の姿)である。この時、霊能者は神様が自分の体を利用していることを意識していないことがあるそうだ。これも霊媒の機能のひとつである。

この現象が霊媒現象と異なっている点は、神様が他の人ではなく私だけに語りかけてきて、他の人はそれに気がつかなかったことだ。神様は自在に様々なことができるようだ。

神様は私に分かる言葉で話されたのだから、砂澤はいつもこのように神様の言葉を聞いているのだろう。

砂澤は、霊媒として機能している時は意識がまったくなくなってしまうが、神様が自分の体を使って出現されてもそのことに気づかず、意識が残っていることもあったのだ。実に多彩なことができる霊能者だと感心した。

私はのちに、この時、神様が私の前に姿を現されたのだと思うようになった。それまでは砂澤を通して間接的に神様の存在を感じていただけだったが、ついに本当に見てしまったのだ。神様はいた。

私は神様の声を聴いて、いよいよ本格的に原稿を書き直さなくてはならなくなったと思った。実は、原稿は直し始めたものの、どうしていいか分からず放置していたのだ。

それから内記稲荷で調べることや砂澤に確認したいことなどが生じたため、私は内記稲荷に砂澤を訪ねていくようになった。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p200-202

宮崎駿『風の谷のナウシカ』のマンガ原作の最終盤、シュワの墓所内にて、ヴ王の家来の道化が、墓所の主によって顔を憑依されて話をするシーンがあるが、あのような現象だろう。

38 明鏡止水

神様のお告げ

2005 年が明けた。砂澤は 83 歳になった。この年、珍しく砂澤は正月と 2 月、伏見稲荷に来ていなかった。私は心配になったので、様子を見るために自宅を訪ねてみた。ところが砂澤は意外と元気だった。

この時、砂澤はなかなか決まらなかった移転先がようやく決まり、上地さんのところに行くことになったと言った。しかし、このことは 2002 年の秋にすでに言っていたことである。どうも変だと思っていたら、のちにこの時は神様を上地さんのところに移しただけだったことが分かった。砂澤はそれからもしばらく内記稲荷の自宅を離れなかった。

移転に関して砂澤の言うことは二転三転した。これは言ったことを忘れてしまうようになったためらしい。そのせいか、自分のところに引き取って世話をするという人が何人か現れた。

この時、砂澤は面白いことを言った。例えば、あの人はどうしているのだろうと思うとその人の姿が浮かんできて、今何をしているのかが分かるというのである。心を鏡のようにしていると、心に様々なものが映るというのだ。まさに禅でよく使われる「明鏡止水」である。砂澤は禅の境地に達していたのである。この澄み切った心が砂澤の能力の源泉だったのだ。

また砂澤は夢のように心に様々なことが浮かんでくるが、それが自分にとってお告げだと思っているとも言った。

砂澤は全てのことが神様の言葉によって分かったのではなく、こういった能力も持っていたのである。

砂澤は、神様は言葉以外でも様々な形でいろんなことを知らせてくださいますとも言った。臭いや音はもちろんのこと、文字が目の前にゾロゾロ出てくることもあれば、図形や信号で知らせが来ることもあるという。

この時、私は砂澤が想像以上に多彩な形で神様から知らせを受け取っていることを知った。霊能力といっても単純なものではないのである。

当たらなくなった予言

6 月頃だったと思うが、一度伏見稲荷で砂澤に会ったことがあった。この時、砂澤の言うことが当たらなくなってしまったことに初めて気づいた。ある予言が外れたのだ。

だがこれは私だけが感じていたことではなかった。のちに砂澤の最後を看取った上地さんはある時期から砂澤の言うことは半分ぐらいしか当たらなくなったと言った。

他の信者たちも気づいていたようだが、それでも依然として先生は神力がかかった時はまだすごいと言っていた。この言葉から推測すると、この時期でもまだ砂澤には霊能力が残っていたことになる。

私はのちに霊能力は加齢とともに衰えることを知った。もしそうだとすれば、83 歳になった砂澤に霊能力がなくなっていても何ら不思議ではなかった。むしろこの年になってもまだ その力が残っていたことのほうが驚くべきことだったのかもしれない。

私は 10 月にも伏見稲荷で砂澤に会った。この時は何も話ができなかった。これが私が砂澤に会った最後となった。砂澤は伏見稲荷に来なくなってしまうのである。

こうして私の霊能力観察は終わった。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p215-217

「霊能力は加齢とともに衰える」

41 白狐の謎を解く

この世と霊界の交錯

上地さんの話を聞いていた時、私は以前、砂澤が上地さんについてあの人は少し見えますと言ったことを思い出した。その時は気に留めなかったが、のちにこれは霊視ができることだと気づいた。

私は上地さんに見えるんですかと尋ねてみた。上地さんは「少しね」と答えた。そしていくつかの例を話してくれた。

例えば、伏見稲荷のお塚で拝んでいると、白いものが出てきて林の中にすっと入っていったのが上地さんには見えた。その直後に砂澤が「見えましたか」と信者たちに尋ねた。上地さんは見えたと答えたが、他の信者は見えていなかった。この時、砂澤はお塚で拝んでいると獣の臭いがするとも言った。

ふたりが本殿の傍を歩いていた時も、屋根の上に白いものが見えた。そこで上地さんが砂澤に神様が屋根におられましたねと言うと、何匹かおられましたねと砂澤は肯いた。

この話によって、砂澤の霊能力と稲荷信仰に対する長年の疑問が少し解けた。砂澤は私と違って霊能力によって伏見稲荷の境内やお山で白狐が見えていたのである。またその存在を臭いによっても感じ取っていたのである。この臭いは霊臭である。

この話によって、これまで分からなかった話も解決した。話を聞き始めた最初の頃に、砂澤は「お山にはたくさんの神様がおられますが、普段は人間を怖がって(人間が敬虔さや信心を失ってしまい傲慢になったからだろう)穴から出てこられません」と言ったことがあった。

私は今どき稲荷山に狐などいるはずがないではないか、ましてや穴などあろうはずもない、変なことを言う人だと思った。狐は戦前なら田舎では見かけることもあったというが、戦後はまったく見かけなくなってしまった。ましてや大都市の大きな神社の人がたくさん訪れる小さな山に生息しているはずはない。

しかし、私は勘違いしていたのである。私は現実の稲荷山のことしか考えていなかったのだが、砂澤は現実の稲荷山のことなど話してはいなかったのである。

砂澤の話はよく分からないことが多かったが、それは砂澤が霊界のことを話しているのに、私はそれを現実のこととして受け取っていたからだ。砂澤は常にこの世と霊界が同時に見えていたのだが、私はそれが分からなかったのだ。

砂澤は霊界の稲荷山が見えており、その穴から神様が出てこられないと言っていたのである。しかし、神様が怖がっていたのはこの世の人間である。このように砂澤の話はよくこの世と霊界が重なり交錯していたのだが、私にはその見分けがついていなかったのだ。

私はようやく砂澤のいう狐の穴は霊界の稲荷山にある狐の穴だったことに気づいた。霊界の稲荷山には今も狐が生息しており穴に住んでいると考えれば辻褄があったのである。

のちに私は稲荷山にはかつておびただしい数の狐の穴が実際にあり、その穴にお灯明が上げられていたことを知った。この穴は今は見られない。

稲荷信仰では、狐の穴に霊力が宿っているといわれているが、それはかつては実際にあった穴であり、今は霊界の穴のことだったのだ。その穴はお塚に擬せられていた。お塚の本当の意味はこれだったのである。霊界の狐はここを本拠として、お塚を作った信者の自宅の神棚とお塚を往来しているのだ。

砂澤はまた、お山をしていると、道端に神様が出てきて座っておられることがあり、クルリと尻尾を見せてどこかに行ってしまわれますと言ったことがあった。これは砂澤にだけ見えていた霊狐だったのである。

このように、稲荷信仰は霊と霊界の存在を想定しないと解けないことが多い。またそれが分かるのは霊能力を持った人だけなのである。稲荷の神が何であるかを本当に知っているのは霊能力のあるオダイだけなのかもしれない。

白狐の正体

上地さんの話から白狐の正体も解けてきた。私は長い間、白狐の正体が分からなかった。現実の狐は白くないから、そんな狐がいるはずがないと思っていたのである。だが白狐とは霊界の狐のことだったのである。それは砂澤が「白いものが見えた」と言ったことで確かなものとなった。

ではなぜ霊界の狐は白いのだろうか。霊界で修業する霊は白色を帯びてくると言われており、それは霊性の高まりを示しているのである。そしてさらに行を積めば光り輝くようになる。つまり白色は霊界では聖性を意味しており、白狐とは行を積んだ霊格の高い狐霊のことだったのである。

するとクロさんの意味も解けてくる。これもまた霊界の狐である。だがこちらは行を積んで いない霊格の低い狐で、そのために白くなれないのである。砂澤は霊界の狐の質を色で見分けていたことになる。これによって霊界には色や形があることが分かる。

砂澤は神様を祀る時は常に白衣だった。砂澤は白い色は神様の色ですと言っていた。白衣はその表れだったのだ。そして白狐の色でもあったのだ。

砂澤は、狐は先の見える賢い動物だと言った。だがこれも霊界の狐のことだったのである。霊界ではかなり先のことまで分かると言われている。砂澤は霊界の白狐と交信し、その教えを受け、その能力を利用し、その助けを得て様々な奇蹟を行い、人助けをしていたのである。眷属とは霊界の白狐のことだったのである。

白狐と交信することは普通の人間にはできない。そのためには、霊能力が必要である。その 霊能力の持ち主が、砂澤のような稲荷信仰のオダイなのである。

しかし霊能者であれば誰でも白狐と交信できるわけではない。白狐は稲荷の神を信じる霊能者だけにその姿を現すとされているからだ。つまり稲荷信仰のオダイ以外の霊能者は白狐を見ることができないのだ。

ところが、砂澤はこのことについて少しニュアンスの異なることを言った。眷属さんは「おみたま」を受けるとついて来られるというのだ。「おみたま」とは砂澤が秋の講員大祭の時に神楽殿で受け取っていた神霊箱である。砂澤はこの箱を初めて受け取った時から、眷属さんが働き始めたと言っている。おそらくこれがオダイと眷属神との関係の秘密なのだろう。この関係こそが稲荷信仰の核心なのである。

眷属神はオダイの守護神でもある。白狐とオダイの間には、オダイが白狐を食べさせて(霊はお供えの霊的エネルギーを摂取するという)養い、白狐がそれに応えてオダイに霊力を与えて助けるという契約関係が成立しているのである。

白狐についてはもうひとつ分かったことがあった。それは稲荷大神(主神)と眷属神の関係である。眷属神は稲荷の大神の使役神なのである。普通、お稲荷さんといえば狐を連想するが、狐はあくまでも使役神で、しかも使役神のひとつにすぎないのである。本当の稲荷の神は稲荷大神で、使役神は稲荷の大神、もしくは日本の自然を作り支えている神の心を伝える働きをしているのだろう。

なお、この白狐は仏教的稲荷、荼枳尼天と関係があると思われるが、ここでは触れない。

この時、氷解した疑問がもうひとつあった。それまで私は眷属神が狐の霊だとはどうしても思えなかった。能力が高すぎてとても狐だとは信じられなかったのだ。それは狐の姿をした別の霊ではなかろうかと疑っていた。

さらに砂澤を見ていると、霊狐を相手にした時、人間と話しているようにしか思えなかった。しかも霊狐は人間には分からないことがよく分かったのだから、人間以上の存在に感じられた。そのために人霊よりももっと高級な神霊の化身ではなかろうかという思いが捨てきれなかった。

だが、やはり狐の霊であることがはっきりした。それは「獣の臭い」と砂澤がはっきり言ったからだ。人霊ならタバコや酒の臭いはしても獣の臭いはしないはずだし、人霊よりも高級な神霊ならば無臭だからだ。

では、霊界の狐の言葉(心)がどうして砂澤には理解できたのだろうか。人間は動物と対話などできないではないか。

だが、砂澤は断食中に植物の話す声が一斉に聞こえてきたと言っているし、山を歩いている時に鶯の言っていることが分かったではないか。神様と交流できる霊能者は草や木や周囲の自然の万物から霊感を得ることができるので、動物からも霊感を得ることができるはずだ。

したがって、砂澤は現実の狐の心も分かっただろうし、霊界の人霊や神仏の言葉が分かったので、霊界の狐の言葉も分かったはずである。

それに、私だって私の前に現れた神様の言葉が分かったのだから、神様は人間には人間の分かる言葉で話されることは確かである。当然、砂澤にも神様の言葉は私のように聞こえていたことだろう。

しかし動物の霊が神様になりうるのだろうか? 私はこれも信じがたかった。だが、現に日本では人の霊が神様として祀られているではないか。狐の場合も同じだと考えればいいのではなかろうか。日本では動物も祀られると神様になるのだ。

主神の正体

稲荷信仰と狐の関係は、柳田國男をはじめとする碩学が論じている。なかには、狐とは「ケツネ」のことで、「ケ」は食物を意味する古語であるから食物の根源を意味し、食物神を表すこの言葉に狐が習合したとして、狐を食物神信仰と関連付ける説(五来重氏)もある。

私にはこの説を論ずる力はないが、個人的経験から伏見稲荷の主神のひとつが食物神であることは確かだと思っている。

私は伏見稲荷で時々おみくじを引くことがあるのだが、何度か念写が起きたことがあった。おみくじは印刷されているが、それとは違う文字が書かれていることがあったのだ。この文字はコピーしても用紙には写らなかった。

何度か経験した念写のおみくじのひとつに「うけもちの神」と書かれていたことがあった。このおみくじの神言は「うけもちの神」の言葉だったのだ。「うけもちの神」は食物神で、古来よりその神名が見られる。この経験をしてから、私は伏見稲荷の主神のひとつは食物神だと思っている。

今日、稲荷神は衣食住の神様だとされているが、本来の神格は大地母神と関係した食物神であり、衣食住の神様はその発展した神格ではなかろうか。したがってその原像は食物神であることは確かだと思う。狐はあくまでもこの大神様のお使いなのである。

また、稲荷信仰は古くは狐とは関係がなく、狐と関係ができたのは平安期に入ってからで、仏教的稲荷で狐との習合が起き盛んになったとか、中国で狐精を使役する女巫がおり、その呪術が日本に伝わったという面白い説(松前健氏)もある。

私はこの説も評する能力はないが、稲荷信仰が狐と関係があることは砂澤を見れば明らかである。しかし、狐といってもそれは狐の霊であり、その霊が分かるのは稲荷を信仰しているオダイだけなのである。

なお、私は狐霊信仰が盛んになったのは、東寺側の阿古町伝説から類推されるように、平安期に入ってからであり、砂澤のようにオダイが狐霊を使ったり人に掛けたりすることは茶枳尼天信仰の影響だと考えている。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p230-238

42 稲荷信仰の原像

蛇霊信仰

稲荷信仰については白狐以外にも分からないことが多かった。例えば「ミーさん」である。

砂澤の話から考えると、ミーさんは蛇霊と龍神の両方を含んでいると思われた。しかしこのふたつは区別がつきにくくて困った。本来は別のもので、混同されているように思われた。

話から想像すると、蛇霊は地霊の化身であり、食物神の化身であり、霊能者には蛇の姿として見えるようだ。一方、龍神は滝にいる水神の化身で、この世に姿をもったことのない自然霊のようだ。こちらは絵に描かれているような現実の蛇ではない姿で霊能者には見えているのではなかろうか。

ただ、とぐろを巻いている蛇を頭に載せている宇賀神像にも見られるように、蛇は水神ともみなされているので、水神には蛇霊と龍神の 2 種類があり、それらが混同されたのではなかろうか。

白狐が霊界の狐の霊であることが分かった時、砂澤のいう「ミーさん」も白い蛇だと確信した。砂澤は、龍神さんは年老いた蛇だと言っていたからだ。砂澤にはこの白蛇も見えていたのだろう。

稲荷信仰が蛇霊と関係があることは一般的にはあまり知られていない。ではなぜ稲荷信仰に蛇霊信仰が入っているのだろうか。それは稲荷信仰が狐信仰よりもさらに古い日本の信仰を受け継いでいるからだ。日本は古くは蛇霊信仰だった。それは日本で一番古い神社である奈良の大神神社の祭神が蛇霊であることや出雲族の神が蛇霊であることでも明らかである。蛇信仰は縄文時代にさかのぼる古い信仰だと思われる。

蛇霊は祖霊であり水神であり地霊であり山神の象徴である。いずれも食物を与えてくれる神である。したがって、食物神である稲荷神と同質である。

また蛇は古来より万物が芽吹き出す春の到来を告げる大地の神の使者でもあった。大地母神つまり万物を生み出す神の象徴でもあったのだ。

さらに伊藤聡氏によると、中世になると、凡夫衆生は蛇神であると考えられ、全ての神は、衆生の煩悩の似姿である蛇身であり、仏が垂迹すいじゃくしたものとされたという。空海もそのように解釈していた。

蛇霊信仰と比べると、狐の信仰は新しいもので、空海が始めたとされている仏教化された稲荷信仰によって盛んになったのではなかろうか。その証拠に、『古事記』には蛇は出てきても狐は出てこない。稲荷信仰は蛇信仰の上に狐信仰が重合したものと思われる。

私は長らく稲荷信仰が動物霊信仰を含んでいることに抵抗感と違和感を抱いていた。狐や蛇を信仰することが受け入れがたかったのである。私は近代の人間優位思想に染まっていたからだろう。

私には蛇は気持ちの悪いものでしかないが、昔の人には蛇は大地の神であり、豊饒の象徴であったに違いない。私とは感受性がまったく違ったのだ。

古代からの日本人の自然信仰を振り返って見ると、動物霊信仰は少しも変なことではなく、むしろあたりまえのことだった。日本人は西洋人のように人間と動物を峻別しなかった。その境界は曖昧で、人間と動物は同等のように考えられていた。動物が人間よりも優れた能力を持っていたとしてもそれは何ら不思議なことではなく、むしろ日本人はそれを尊んできたのである。昔の日本人は動物の生気や霊力を身につけようとした。

そのために日本には動物を神様のお使いとする信仰が古くからあり、それを社前に眷属として祀る習俗があった。稲荷信仰はその流れをくむ古い信仰なのである。

稲荷信仰の深層

では稲荷信仰は蛇と狐だと言えばそれで正解なのだろうか。答えは否である。私の見聞した稲荷現象はもっと複雑怪奇なものだった。狐ではなく狸を祀っている稲荷神社もあるし、神社だというのに、お塚には人霊も出てくるし、仏様まで祀っているのだ。そのうえに、植物や石や火や水や土も稲荷として信仰されている。蛇や狐をはみ出してしまう現象が見られたのである。このような現象はどう考えればいいのだろうか。

この現象は既成の神道や仏教ではとても捉えきれない。例えば、現代の神道稲荷の主神は穀霊とされているが、この概念からはみ出してしまう現象が稲荷信仰には見られるのである。また荼枳尼天と狐の習合した仏教稲荷も同様である。

では、どうして稲荷信仰はかくも複雑多様で奇怪なのだろうか。それは稲荷信仰が神道や仏教が成立する以前からある非常に古い原始信仰を引き継いでいるからだ。原始宗教は、自然霊と祖霊と食物霊を信仰し、呪術と予言をその特徴としているが、稲荷神と稲荷信仰にはこれらの要素が全て含まれている。それは私が見聞したことであり、砂澤の霊能力が証言していることである。

稲荷神は、最初はたんに自然の様々な霊を意味していたのではなかろうか。それから蛇と狐に特化したのである。そう考えれば全ての現象が解けてくる。稲荷神が様々な神仏と習合でき、無限の変化を見せ、多彩な機能と効用を持つことができたのはその原質のためであり、そのために稲荷神は時代を超えて生き延びることができたのだろう。正体が分かりにくいのも、もとは自然の様々な霊だったからだ。

砂澤を見ていると、稲荷とは神仏と同義だと感じることが多かった。砂澤は白狐やミーさんだけでなく、神木などの自然霊や弘法大師などの人霊や観音などの仏様も信仰していたが、それらを全てお稲荷さんと称していた。これは全ての神仏を包み込んでしまう稲荷神の多様性と懐の深さを示しているのではなかろうか。それだけに稲荷の神は底知れぬ深さと多様性を秘めているのである。

砂澤は無心にひたむきに神仏を信じていた。そのために狭義の稲荷神を超えた様々な神仏が砂澤に応えていたようだ。砂澤には観音様の力もお不動様の力も入っていたようだ。その意味で、砂澤の稲荷信仰は広い意味での神仏の信仰だったのである。稲荷信仰は本来はこのような大きな信仰だったのではなかろうか。

神道には教義も開祖も教典もないと言われるが、稲荷信仰も同様である。それはこの信仰が神様に直接聞くことで成り立っていたからだ。このことは砂澤を見れば明らかである。神様に直接聞けるなら、行の仕方や祀り方が千差万別でも一向に構わなかったのである。

また信者も神様の言葉がオダイから直接聞けさえすればそれでよく、難解な教典や教えは必要としなかった。稲荷神は昔から庶民の神様だった。この神様が庶民に絶大な人気を博したのは、単刀直入で分かりやすかったことと、神様がじかに反応し、必要な答えを出してくれたからだ。これもまた砂澤を見ていれば明らかだった。庶民の信仰は今日でも原始信仰なのである。

稲荷信仰は神様がまるで生きているかのように感じられることが特徴で、世界でも珍しい宗教ではなかろうか。いや、ほとんどの宗教がかつてのように神の声を聞くことができなくなってしまったと言うべきなのかもしれない。

これらのことから類推して、日本の原始宗教は直接神の声、つまり霊の声、自然の声を聞こうとすることだったのではなかろうか。それがおそらく神道の本来の意味だったのだろう。

したがって、稲荷信仰は原始的自然信仰であり、それが今も続いている珍しい宗教なのである。五来重氏は、稲荷信仰は縄文の昔から連綿と受け継がれてきた自然霊信仰と祖霊信仰と食物霊信仰を基盤にし、シャーマニズムとアニミズムを保存した古い信仰だと言っておられるが、それは砂澤の信仰を見ていると明らかである。また稲荷信仰は世界でも稀有な多神教であり動物霊信仰なのである。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p239-244

内藤は、穀霊神である稲荷神に、空海によって白蛇(龍)信仰が、後にさらに荼枳尼神との同一視によって白狐信仰が習合したと考えているようだ。しかし僕はむしろ「白蛇A子」でも述べたように、穀霊神「宇迦之御霊」=白蛇であり、白蛇こそが眷属ではなく主神(穀霊)の動物化した姿ではないのかと思っている。そして白狐はあくまでも眷属神である。さらに、とはいえ、蛇(龍)にしても狐にしても、白い霊的な存在として古来の霊能者たちに捉えられてきたことが重要であり、格の違いこそあれ、結局は同類の存在、パーリ仏教で言うところの「ナーガ」なのではないかと考えている。

43 霊能力の謎を解く

超感覚的知覚

霊能力について見聞したことを書いた以上、締めくくりは霊能力の正体に触れておく必要があるだろう。ただ、これから簡単に述べることは、あくまでも文献から得た私見にすぎない。

上地さんの話を聞いて、稲荷信仰について分からなかったことが少し分かってきたが、もうひとつ難問が残っていた。それは霊能力とは何かという疑問だった。

砂澤は私に本を書けといいながら、自分の霊能力については不思議ですねと言うばかりで、何も説明してくれなかった。おそらく考えたことがなかったのだろう。何しろ考えることは神様から禁じられていたからだ。信者たちも同様で、なぜでしょうねと言うだけだった。

そのために、私は自分で資料に当たり考えなければならなかった。霊能力が何か分からなければ霊能力について何も書けないからだ。

人が霊能力を持ちうることは砂澤を見ていて実感できたが、ではそれが何であり、どうすれば得られるのかについてはまったく分からなかった。

このことが少し分かり始めたのは砂澤にあまり会わなくなってからのことだった。この頃から霊能力について調べ始めたのである。

砂澤を見ていると霊が存在することは間接的に実感できたので、私は今では霊は存在すると思っている。霊能力は霊に関係した能力で、霊の存在を肯定しなければありえない。

砂澤が人あるいは動物と霊を二重視できたことはすでに述べたが、これは肉体に霊が重なっていることを示している。つまり人は肉体の他に霊体も持っているのである。

もう少し詳しく述べると、霊は霊体という身体を持ち、霊体が肉体に重なっているのである。肉体には感覚があるが、霊体にも感覚がある。

霊感は霊体の感覚のことで、霊視とか霊聴と言われているものは、霊体の感覚の一部で、肉体に付随した視覚や聴覚と似たものである。霊体にも肉体の五感に似た感覚が備わっているのである。この感覚は「ESP 能力」(超感覚的知覚能力、霊的認知能力)と呼ばれている。第六感と呼ばれているものは、まれにだが霊感の働きが表に現れたものだろう。

では、霊視ができると、なぜ肉眼では見えないものが見えるのだろうか? それは霊眼で霊界を見ているからだ。

霊界はこの世とは次元が異なり、この世のように物質がなく、時間の制約も受けず、距離感も異なっている。霊界は想念の世界なので、思ったことは遠くのものでもすぐに見えるのである。ある意味で距離がないのだ。

一方、肉眼は物質でできた器官なので、物質の制約を受け、視野に限界があり、遠くまで見ることができない。このように霊眼は肉眼とは関係がない機能なのである。

霊能者で二重視のできる人は、肉眼でこの世のものが見えており、同時に霊眼で霊界のものが見えているのである。

聴覚も同様で、霊聴は肉体の器官である耳は使っておらず、霊体の聴覚に相当する機能を使っているのだ。

PK 能力

霊能力は霊体の感覚を使うことができる能力なのである。霊能力にはこの五感に当たる能力の他に、物の状態、物の運動に変化を与える能力も含まれている。この力は PK 能力(サイコキネシス)と呼ばれている。つまり物理的な力を加えなくても思うだけで物が動かせるのである。これは霊の心のエネルギーを使っているからだ。このエネルギーはサイエネルギーと呼ばれており、霊能者が霊能力を使って気と呼ばれている微細なエネルギーを転換することで生まれると考えられている。この転換は霊能者でなくてはできない。

サイエネルギーが働くようになると、スプーン曲げのように思っただけでこの世の物を動かせるようになる。砂澤の周りではよく物が動いたが、私の見聞では、砂澤にはこの力があったと思われるし、砂澤に憑いていた神様もこの力を使っていたと思われる。

サイエネルギーが使えるようになると、病気を治すこともできるようになる。病気は肉体という物質の変調であるから、物質を変える力があれば病気は治せるからだ。

また、砂澤は思ったことが実現すると言っていたが、これもサイエネルギーの働きである。

なお、肉体に重なった霊体は常に活動しているのだが、肉体に付随した意識の影に隠れているために、普通の人はほとんどそれを意識することができない。それが分かるのは霊能者だけである。

霊能者は肉体に付随して働いている意識や感覚をなくすことができるので、霊体に属する心や感覚が分かるのである。したがって、他の人の霊体の心や感覚も霊界を通じて分かるし、霊界の霊の言っていることも分かるのである。

では、霊感で分かったことがなぜ肉体に付随する心でも分かるのだろうか。それは肉体と霊体が密接につながっているからだ。それらの心と体をつないでいるのが気というエネルギーだとされている。霊感で分かったことが肉体と連動する心でも分かることは砂澤を見れば明らかである。砂澤にそれが分からなくなったのは、痴呆による脳の機能低下と気のエネルギーの摂取量の低下のためではなかろうか。

なお、霊界について付け加えておくと、霊界に色、形、臭い、味覚、触覚があることは、砂澤の霊能力が証明している通りである。

ここでは私が見聞した不思議な霊能力の事例をひとつひとつ説明していく余裕はないが、以上の基本的な理解を使えば解けていくはずである。

霊能力の開発

では霊能力は開発できるのだろうか? それは行をすれば可能である。行をすると霊体のチャクラが活性化され、霊能力が目覚め開発される。行には様々なやり方があるが、砂澤が行っていたことはその一例である。

砂澤の行った行は非常に過酷で激しいものだった。これは稲荷のオダイの行の特徴である。しかしそれほどまでの激しい行をしなくても、やりようによってはある程度の霊能力は開発できるようだ。

行をする場合、注意しなければならなのは、どの行をするにしても、長い時間が必要であり、常に死の危険性が伴っていることだ。生半可なことではできない。したがって、砂澤のように神様が指導してくれれば別だが、しかるべき指導者についたほうがいいだろう。

行の目的は霊体のチャクラの活性化である。そのために、肉体の感覚と肉体に付随する欲をなくし、心の働きを止めることを目指している。これによって、霊感が働くようになる。

また無になることで、叡智が生まれてくる。いや叡智が空白になった心の中に入ってくるというべきか。叡智とは人智ではなく、大いなる知恵のことで、神様の知恵と言ってもいいだろう。叡智が得られれば、人智では分からないことが分かってくる。砂澤が神様が言われることはいつも正しいと言っていたのはそのためだ。

霊能者とは霊能力を使って私が見聞したようなことができる人なのである。ただ、これが本当にできる人はごく少数である。霊能者も能力が低いと霊視も満足にできない人がいるからだ。

私は霊能力も超能力も人間の持ちうる能力のひとつだと砂澤を見ていて思うようになった。

稲荷信仰は霊能力を前提にしないと解けない宗教なのである。

内藤憲吾『お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く』(2017-01-26、洋泉社)p246-251

「禅定(ジャーナ)」が「止(サマディ)」と漢訳されているのも、このように、「欲界的な心の機能を止める」ということに由来しており、色界禅定心そのものを直接形容しているわけではないのだということがわかる。

これがいわゆるパーリ仏教に言う、外道の沙門の苦行主義という話ともつながるものだろう。ただし、パーリ仏教では、苦行に対する批判的な文脈でしか表現されていないのだが、苦行主義者は苦行主義者なりに、苦行を手段として(神通を目的とした)禅定を獲得する目的だったことがわかる。しかし、パーリ仏教の立場からすると、それは不完全な(欲界)禅定であり、清浄な(色界)禅定と呼べるものではなかった。また、外道は神通(による現世利益)が目的であり、仏教は涅槃解脱が目的である。

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