内藤憲吾『お稲荷さんと霊験譚』
内藤憲吾『お稲荷さんと霊験譚』(2017-11-28、洋泉社)を読んだ。彼の砂澤たまゑに関する前著『 お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く 』からの引き続きである。 霊狐の顔 かつて出版社に勤めていた時によく仕事をお願いしていた装丁家の中島かほるさんは、伏見稲荷の楼門前の向かって左側の狐の像の顔が怖いと言われた。この狐は鍵をくわえている。特に目が睨みつけているようで恐ろしいと言われるのだが、なるほどよく見てみるとその通りである。鋭い観察眼である。 狐の顔といえば、私には忘れられないことがある。 1998 年頃だったと思うが、実家に帰った時、内記稲荷の砂澤の自宅にあいさつに立ち寄ったことがあった。砂澤の自宅に立ち寄ってあいさつする時はいつも玄関先で、長話はしなかった。その時もあいさつをすませるとすぐに立ち去ろうとした。 玄関であいさつをする時、私はいつも立ったままだったが、砂澤は立っている時もあれば正座の時もあった。この日は珍しく正座だった。 私がいとまごいをして立ち去ろうとすると、正座して両手をついて頭を下げていた砂澤が、顔を上に向けて私の方を見た。 その顔はいつもの砂澤の顔ではなかった。特に目つきが異様だった。その目は怪しく、切れ長で光っていた。それは人間の目ではなかった。私はいささか気味が悪くなった。ゾッとした。私は妖狐という言葉を思い出した。これは狐の憑いた顔ではなかろうかと思った。 砂澤のこのような目つきを見たのは、後にも先にもこの時だけだった。 のちにこの時、神様が憑いていた、つまり眷属さんが憑いていたのではなかろうかと思った。 この時の砂澤の顔は、楼門前の狐の像の目つきとも違うものだった。楼門前の狐の像の目つきは怖いだけだが、砂澤の目は怖いというよりも妖しい目つきだった。 また、砂澤の顔は俗にいう狐顔でもなかったし、現生の狐の顔でもなかった。どこかこの世のものではない雰囲気が漂っていた。 この顔が狐憑きと言われている人の顔と同じなのか、私にはよく分からない。 砂澤の顔つきの豹変を見て、神様が憑いたのではなかろうかと私が思ったのは、お祭りの時に砂澤に神様が降りてこられると、砂澤の表情が変わってしまうと聞いていたからだ。 例えばミーさんが降りてこられた時...