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RSI の数学的知解

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RSI について調べると、例えば、日本語の情報では、 マネックス証券の解説 が上位に出てくるが、次のように書かれている: 計算式 RS = (n 日間の終値の上昇幅の平均)÷(n 日間の終値の下落幅の平均) RSI = 100 - (100 ÷ (RS + 1)) RSI の式が意味不明も甚しい。分数表記をサボっているせいもあって余計だが、Wikipedia で調べてみたところ、大体が以下のような話であった。 前日比で終値が上がった場合の上げ幅の n 日間修正移動平均を Up、下がった場合の上げ幅の n 日間修正移動平均を Down として、(上げ・下げの)相対的な強さを RS Relative Strength = Up Down という比率で考えるという、それだけの話。 これを 0 ~ 100 のパーセント表現にしたものが、相対強度指数というわけで、 Wikipedia では次のような式展開が載っているが、 RSI Relative Strength Index = 100 × ( 1 - Down Up + Down ) = 100 - 100 1 + RS 純粋に数学面だけで見ると、本当にわかっている人間が記述しているのかと疑いたくなる。明らかに、数学的意味も自分でよく考えずに、考案者のワイルダーの説を受け売りで転載しているだけと思いたくなる。経済分野というのは数学をよく使うが、人材資源としては社会学系人種が主流なんだろうけど。 つまり、なぜこれ ( 1 - Down Up + Down ) を、 ( Up Up + Down ) と簡潔に表現しないのか、不思議で仕方がない。一定(高校数学レベル)の数学的自力思考力がある人間が記述したのであれば。 つまり、「上げ...

ラリー・ウィリアムズの最も隠しておきたかった秘密

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Larry Williams' Dirty Secrets of Day Trading 1~3: 昨日(2025-03-17)、YouTube ショート動画のお勧めにラリー・ウィリアムズが話しているものが出ていたので、初めて彼が肉声で語っているのを聴いた。彼の日本語訳されている本でも語られているお馴染の彼の投資戦術(ヴォラティリティ・ブレイクアウト)についてのものだったので、「なるほど、あのことについて説明しているのね」という感じで確認するような形で聞けたが、彼がデイ・トレードで「ポジションを大引けまでホールドする」ということを強調しているのが、「U字型」というジェスチャーを交えた表現で説明している部分が妙に印象に残り、何度か繰り返し聞き直した。同じ「ポジションを大引けまでホールドする」という、左脳的にはキーワードとして知識としてインプットされてはいても、このような形で彼が肉声でジェスチャーを交えて説明していると、右脳的な響き方が違ってくる気がする。 というのも、彼のそういう格言を取り入れて、最近は、できるだけ大引け近くまで引き付けてから手仕舞いするように心掛けているのだが、昨日も、三菱商事(2025-02-17 からホールドしていたもの)を大引け近くまで我慢してから、手仕舞いしたのである。ところが、大引け後、PTS でいきなり 100 円以上値上がりし、バークシャー・ハザウェイが提出した報告書によって、5 大商社への出資比率が上昇していたことが明らかになるというニュースが出た。買って 1 週間で急騰した時には我慢して売らなかったのだが、それからさらに約 3 週間我慢してホールドし続けて、ついに痺れを切らして売ると途端に、たった 1 分の差でこういう大きく利益を取り逃がすような羽目になる。 ラリー・ウィリアムズの話は、デイ・トレードの話、日中足の戦術としてはわかるのだが、スイング・トレードの時間軸での僕のこういう失敗についての克服のヒントとなるものではなかった。 そして、スイング・トレードの時間軸では、ラリー・ウィリアムズの戦術は、ブレイクアウト戦術、トレンド・フォロー戦術という印象がある。そうなると反対に、(彼は、当日大引けまたは翌日の寄付きで手仕舞うことをよく言っている割に)短期トレードというよりは、かなり長期寄りの戦術向きという...

カエル──呪いのキーホルダー

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動画の 1 話目: 10 :本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2015/12/13(日) 02:24:56.91 ID:nT/pq9PZ0 俺が中学生のときに体験した話 あれは確か中2の夏だったと思う 部活も入ってなかった俺は授業は終わったらすぐ帰るいわゆる帰宅部ってやつだったんだが その日いつものようにすぐ帰ろうと下駄箱の蓋を開けると、なかにあれ? と思うものが入ってたんだ それは親指サイズのカエルを模したキーホルダーで、女子が筆箱あたりにつけてそうな可愛い感じのやつだった 当然それは俺のものではない。誰かがこれをみにつけていたという覚えもなく、なんでこれが自分の靴箱のなかに入ってたのかいろんな事が謎だった その時の俺は特になにも思わずそのカエルをテキトーにポケットにしまい、その日はそのまま帰った 問題がおこったのは次の日だった 次の日の朝、俺がいつものように登校し、下駄箱を開けると、そこにはある一通の手紙が入ってあった 封筒はこれまた可愛らしくて桜の模様とかが描かれているピンクっぽい感じのものだった 俺はすぐにこれは俺にも春が来たか!と舞い上がった 俺はとりあえずその場ではすぐに手紙を開けず、それもまたポケットにしまい教室へと向かった 11 :本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2015/12/13(日) 02:33:29.25 ID:nT/pq9PZ0 その日はずっと手紙のことで頭が一杯だった どんな子がくれたんだろうとか、もし付き合うとなったらデートはどこへいこうとかそんな事を考えていた気がする そうして一時間目、二次間目と時間は過ぎていき、昼休みの前の掃除の時間となった 俺は教室の掃除だった はやくトイレとかにいってこっそり手紙を読みたいと思ってた俺は、張り切って掃除をしていた だがそれがよくなかった 張り切りすぎて回りが見えてなかった俺は、一緒に掃除していたやつとぶつかってたおれてしまったんだ とりあえずぶつかったやつに謝りながら手紙が落ちてないかポケットを確認する俺 だが急いで確認したせいで、手紙がポケットから出てしまい床に落ちてしまった 「なんだそれ~!」 めざとくそれを発見する暮らすの連中 「おい! や...

ヴォラティリティの指数平滑化

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SBI 証券(HyperSBI)や楽天証券(MarketSpeed)で表示される標準偏差は、標本標準偏差(1/(N-1))ではなく、ただの標準偏差(1/N)。それも、終値の素の値をそのまま標準偏差化しただけ。一般に Volatility の算出に使われる、対数差分の値に基いた標準偏差ではない。(標準偏差の算出期間を 2 日間にして確認した)。実は、 ボリンジャーバンド も、世間一般的にはこの(信頼性の劣る)方式の標準偏差を使って描いているようだ。 素の値の標準偏差と、対数差分の標準偏差でグラフ化して比較してみたが、生の値では、「上昇に敏感、下降に鈍感」になるので、生の値の標準偏差のグラフでは、対数差分のグラフには見られない、ダマシの上昇が発生していた。全体的にズボラに見れば〝誤差の範囲内〟と嘯いて片付けることもできるが、「ダマシ」という観点から見れば、これは致命的だろう。 また個人的に、ヴォラティリティについては低下に注視したいので、「下降に鈍感」なのはやはり困る。 通常の標準偏差の算出方法では、時間の観念(加重平均の発想)がなく、対象期間中の値を無差別に用いる単純平均によるものなので、短期的なヴォラティリティではグラフの形状が乱れるのが悩みどころ。何が困るかというと、新しい値動きに反応してヴォラティリティが変動してくれるのならいいのだが、単に、過去の大きな値動きが、対象期間からスワップアウトして外れたというだけで、値がガクッと下がる場合がある(ボリンジャーバンドで「スクィーズ」と呼ばれて持て囃されているものの正体がそれだと知って愕然とした)。こういう古いデータのスワップアウトによる影響を回避するために「こそ」指数平滑平均などの加重平均の発想がある(新しいデータに敏感にするため、というのは知ったか論だろう。そんなに新しいデータに反応させたければ、その分対象期間を短かくすればいいだけの話)。 とはいえ、一般的に、移動平均というのは、平均値を算出するためのものとして論じられており、それを「標準偏差の算出」に適用してもいいのだろうか? という疑問がある。だが、「 リスク管理最前線 第60回 〜ボラティリティの推定(その1)〜 」によると、分散の算出について、指数平滑化による漸化式を適用しているので、やっても構わないように思われる...

スピリチュアル・プロジェクション

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映画『鹿の国』の感想を書いたブログ を書いた時に思ったことだが、ともかくその映画で一番印象に残ったのは、ミシャクジ(御社宮司)の桜の大木を代々守り祀る片桐さん一族の一幕だった。カメラは丁度、彼ら一族が祭事を行っている場面を撮影していた。そのミシャクジの桜の大木が、無条件で独り歩きして「素晴しい御神木である」と考えるのは、スピリチュアル脳的な誤った短絡思考だと思う。だが、そういう思考をするから、よく、パワースポットだのといってスピリチュアリストは、そういった神社仏閣などの霊域を有り難がって参拝しようとするわけだが……。 そうではなく、片桐一族が祭事を執り行うことによって、その桜の大木は、御神木と化し、つまり、神霊(樹神)がそこに降臨・顕現する場となったのである。祭事が終れば、おそらくそれはただの、桜の古木となるだろう。 より厳密に言えば、ミシャクジの桜の大木は、片桐一族にとっての、霊的な心象風景を投影する、一種の銀幕の役割を果たしているのである。実際に、その神が降臨するのは、彼らの心の中にある神座である。その風景が、現実の物質世界に生えている桜の大木に重ねられるのである。 そして、かつて諏訪に存在した生き神少年の 大祝 おおほうり のような霊的能力者は、他者の外界に投影する心的(霊的)風景を見ることができる、特殊な能力を有したのである。 通常、このような他者が外界に投影する心象風景に一々影響されていると、(霊能力者として他人のカウンセリングをすることを生業とすることを除いて、一般人として)生活することは困難になる。むしろ、精神に変調を来たす場合の方が多く、沖縄のユタで言う「カミダーリ」と呼ばれるような状態に陥って自我が崩壊し、振り回されてしまう。『機動戦士Zガンダム』(オリジナル版)でも、強化人間のヒロイン達や主人公のカミーユが陥った状況の、ネタ元のようなものである(僕は初期のガンダムは SF ロボットアニメというよりは、オカルト的なドロドロしたサイキックドラマに、ロボットアニメの上っ面(表皮)を被せただけ、という気がしている)。 ともかく、霊能力というのは、他者の外界に投影する心象風景にアクセスする能力、というのが、僕のオリジナルな仮説である。僕の仮説の独自性は、それは「外界に投影した心象風景である」という点であり、呼ぶとするならば、「スピリチュアル・プロ...

映画『鹿の国』(監督:弘理子)

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先日(2025-01-03)、『 鹿の国 』という自主制作のドキュメンタリー映画を観てきた。 諏訪大社の神事などをテーマにしているということで、鹿の首といった動物の贄を神前に捧げるという、(穢れを嫌う)現代の神道からするとかなり異質な諏訪の、そんな秘密に迫る内容だったため、興味を引かれて、公開 2 日目に観に行ってきた。上映後の弘監督の舞台挨拶によると、プロデューサーの北村皆雄の 50 年来のライフワーク(諏訪の神事などに関する研究)が結実した形の映画だという。 中心となるのは現在は途絶えている諏訪の「 御室神事 みむろしんじ 」を再現ドラマの形で再現を試みているものであり、地元のアマチュアの役者たちによって演じられている。芝居としては泥臭く、傑出しているとは言い難いが、彼らの芝居よりも何も、彼らの顔付きが非常に良い。それだけで十分というほどの存在感である。料理で言うならば、化学調味料で味付けに凝った工場生産の大手食品会社のジャンクフードよりも、調理は素朴でも素材が抜群に良ければそれが圧倒的にいいのだという郷土の手料理の良さである。 とはいえ、僕が個人的に最も良かったのは、ミシャクジ(御社宮司)の桜の大木を代々守り祀る、片桐さん(?)一族の一コマである。その桜の大木が映し出された時、僕は、その枝の又に立って、神事をしている彼ら一同の様子を見下ろしている、神霊(仏教で言うヤッカ)のようなものがいるように思えたのだ。(イラストは適当に流用したので、歌舞伎の獅子の隈取りとにらみを効かせた姿だが、もっと穏やかな表情の平安〜室町の貴人男子の姿で、柳色(緑に白のかさね色目)の装束、冠帯といった雰囲気が似つかわしい感じ) こういった神木や神石などのミシャクジ(神の座)は、かつて諏訪に存在した生き神少年の 大祝 おおほうり が諏訪の各地を巡って見出したのが始まりという。 大祝というのが、ネパールのクマリを髣髴とさせて興味深い。監督の弘理子は、ネパールでドキュメンタリー映画を撮ったキャリアもあるので、そういった観点も映画に反映されていても不思議ではないだろう。 僕の仮説としては、大祝というの(ネパールのクマリも似たようなものだろうが)は、単に儀式的に生き神として選ばれるというよりは、本来は、先天的に霊能力を持った子供を選んでいたのが始まりではないかと思っている...

クンバンダ(半人半獣)または神足通

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僕独自の仮説ではあるが、仏教のクンバンダを、ギリシャ・ローマ世界で言うところの半人半獣の半神パーンに比定している。パーンはテュポーンに襲われた際に上半身が山羊下半身が魚の姿(十二星座の 山羊座 Capricorn )になって海を泳いで逃げたエピソードで有名であり、またディズニーアニメで有名なピーターパンもパーンである。 以下のエピソードは、そのようなパーンを髣髴とさせるものかもしれない(1 話目 0:00~6:31): 495:その1@\(^o^)/:2016/05/22(日) 20:46:37.96 ID:whQIhQFV0.net[4/8] ちょっと長い割に人づてに聞いた話しも混じっています。大した内容では無いかもです。ご了承ください。 私の住んでいた島で私が小さい頃、神の子だと崇められていたお兄さんが居た。 近所に住んでいたお兄さんで特に神々しいとか、特別な存在だなと感じるようなものは無かった。 お兄さんは当時中学生だったと思います。私達は小学1年生でよく遊んでもらいました。 道行く人がお兄さんを見かけると拝んでから過ぎ去っていく様子は今でも鮮明に覚えています。 お兄さんに遊んでもらっている最中に私達の同級生の一人が素朴な疑問をお兄さんに投げかけました。 「どうして○○(お兄さんの名前)にいちゃんは拝まれたりするの?」 お兄さんは少し困った表情で 「ぼう(僕)の事を神様か何かだと勘違いしてる人がおるんや。変な人らやね」 誤魔化すようにそう答えました。 私達は「へぇー」と言うしかありませんでした。 家に帰ってからお兄さんの事を親にも聞いてみました。親は「知らない」の一点張りで教えてくれません。 おじいちゃんに聞くとおじいちゃんは快く教えてくれました。 おじいちゃんから聞いた話しと少し大きくなってから聞いた話しを混ぜてまとめると 496:その2@\(^o^)/:2016/05/22(日) 20:47:17.01 ID:whQIhQFV0.net[5/8] 漁師の息子であるお兄さんはある日、父親の仕事についていくために漁へでかけます。 しかし島を出てすぐに大波に襲われ、船舶事故に遭います。被害者は約10名。全員が漁師です。 死者は一人も出ませ...

四大王天

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結局、四大王天と三十三天というのは、神としての存在の境地のレベルは異っているが故に、区別はされているものの、空間的には共通しているように思われる。いわゆる〝 地居天 bhūmi-nivāsin 〟として一括りにすることができる。 つまり、地居天は、そこに棲む〝生き物〟の違いには注目しないで、空間的に考えれば、同じ一つの場を舞台として棲み分けている形となっている。それは、スメル山と呼ばれる一つの霊的な富士山のような形をした巨大な山体である。頂上には三十三天の住まう領域があり、山体の東斜面がガンダルヴァの領域、北斜面がヤッカの領域、西斜面がナーガの領域、南斜面がクンバンダの領域となっている。ガンダルヴァ(神鳥)・ナーガ(神龍)・クンバンダ(半人半獣または半魚人)は言ってみれば神獣の類であり、ヤッカは獣というより人型だがいわゆる鬼神であって、いずれも人外の魔物である。つまり場の観点からすれば、三十三天も四大王天も、同じ一つのスメル山という場を、山頂セクターを区別して三十三天と呼び、東西南北のセクターをそれぞれ四大王天の各領域として認識している、セクター分けに過ぎないのである。 この霊的なスメル山は、おそらく、裾野の方で人間界の存在する物質的な地球と重なり合っており、地下にまで続いて行っている。そもそも、このスメル山の構造は、地球の北半球の物理的な構造に由来するものだと、僕は考えている。つまり、三十三天のある、スメル山頂というものは、物理的な北極点に由来するものだが、あくでも霊的な相対的な位置関係を意味するものなので、実際に地球上の北極点に行ったからといって、三十三天そのものに辿り着けるわけではない。 スメル山の裾野が物理的な地球の地下にやや入った地中に、ナーガの王国がある。一方、物理的な地球のやや上、樹木の高さのあたりに、ガンダルヴァたちが棲み、深い森の奥や転輪山を囲む果てしない外洋の大海原の中にクンバンダが棲む。スメル山の北の裏側の影の領域にヤッカが棲む。 四大王とは? では、それら東西南北の各方位の神獣たちを支配する、四大王とは、何なのか? 以下は僕の〝未だかつて聞いたことのない〟勝手な思い付きなので、何の権威もない話だが、四大王たちが、ガンダルヴァ等の畜生系の神獣だという話は聞いたことがない。僕は、「彼ら四大王自身は、三十三天の神である」と思うので...

暴発する体外離脱

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0001:名無しさん:2021/12/22(水) 22:01:36.69 ID:Lsb69WDI 今から3年前彼女(Aとする)が突如消えた。 Aとは、5歳からの知り合いで、中学2年生の時に付き合い始めた。 高校は違うところに行ったけど、それでも週に一回は会うようにしていた。 大学はAの方が頭が良かったため、俺は猛勉強して、Aと同じ大学を受けた。幸い受かることが出来て、ほんとに良かった。そうして、大学でも、一緒に過ごしていけると思っていた。 0002:名無し百物語:2021/12/22(水) 22:24:28.47 ID:Lsb69WDI ある時、Aのバイト終わりに、映画見ようって話になって、待ち合わせしてた。Aはバイトが少し長引いたようで、少し遅れてきたんだけど、すごく体調悪そうで、熱ぽかった。さすがに行けないなと思い、その日はAを自宅まで送って帰った。 しばらくして、Aに電話をかけたんだけど、全然でなくて、寝てんのかなと思ってた。そしたらしばらくしてAから電話が来て、出てみると、「森の中にいる!」とかいう訳わかんないことを急に言い出した。俺は最初は冗談だと思ってたけど、向こう側から聞こえる音が完全に家にいる音じゃなくて、 テンパったAを落ち着かせて、何があったのか聞いてみた。 俺「どしたん?どこおるん?大丈夫? 」 A「わからん!家帰って玄関で倒れてそのまま寝たはずなのに、起きたら、森の中にいる。」 相当深い森なのか、回線がくそほど悪かった。終始部分的にしか聞き取れなかったが、多分こんなことを言っていた気がする。 状況的には最悪だった。 圏外になるかならないかのギリギリの状況で電話をして、最終的には途中で切れてしまったし、位置情報も分からないし、手持ちはスマホのみだったらしい。しかも、23時頃という、かなり危険な時間だった。俺も相当焦っていたのか、その時はなぜ森にいるのかなんか気にしていなかった。それよりも、Aのあまりにも危険すぎる状況に頭がいっぱいだった。 0006:名無し百物語:2021/12/23(木) 20:59:00.35 ID:14qmjHzh 続き書きますね。 俺は、どうにかしないといけないと思い、警察へ連絡しようと試みたが、そもそも...

神智学系の死後観・輪廻転生観を添削する

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前回、神智学の 7 層構造の世界観・人間観について、独自の分析を行った(「 神智学の元ネタを推理する 」)。今回はそれを踏まえて、死後の世界や輪廻転生モデルについて考察してみたいと思う。 神智学系の死後観・輪廻転生観というものは、歴史的にも、幕末・明治以降の近現代日本の神道系・仏教系双方の心霊観(≒スピリチュアリズム)に直接・間接に影響を与えている。なので、神智学の死後観・輪廻転生観をテーラワーダ=パーリ仏教の観点から添削するということは、単に「他山の石」を評価するだけでなく、我々現代日本人という「自山の石」の問題として評価することを意味している。 神智学(ブラヴァツキー)の仮想敵 神智学(ブラヴァツキー)が第 1 に敵視しているのは、教会によってヨーロッパ社会において歴史的に運営されてきた伝統的なキリスト教(神智学はこれを「顕教キリスト教」と呼んで、彼らにとっての本来のキリスト教=「秘教キリスト教」と区別する)である。身内間の遺産争いのようなもので、日本の宗教界の例で言うと、創価学会と日蓮(正)宗の間の争いのような距離感に近いかもしれない。 第 2 に敵視しているのは、唯物思想である。こちらに対しては、「顕教キリスト教」に対するホットな敵視と違って、冷い軽蔑のようなものに近い。 今回のメインテーマは死後観・輪廻転生観なので、どちらかというと後者の唯物思想に対してどのようなモデルが存在するのかということが中心となるのだが、まず先に、仏教の観点から、前者の「顕教 vs 秘教」について、僕の見解を述べておく。 顕教 vs 秘教 神智学では、各社会の中で伝統的に運営されてきた状態の宗教をキリスト教にせよ、イスラームにせよ、ユダヤ教にせよ、仏教にせよ、顕教と呼び、それは形骸化していて、本来のエッセンスを失っていると考える。それに対して、本来のエッセンスとしてのものが秘教(としてのキリスト教や仏教等)であり、秘教はただ一つの共通する宗教だと神智学は言う。つまり、「信じる・信じない」の(顕教的な)宗教ではなくて、秘教というものは自然科学の理論と同様に、この世界の「真実」だから、と。 まあ、その「秘教」なるコンセプトについては、とやかく言うつもりはない。だが、本当に、神智学が語っている、創造神話や、7 の聖数構造論などが、その世界の「真実」たる秘教に該当...