神智学系の死後観・輪廻転生観を添削する
前回、神智学の 7 層構造の世界観・人間観について、独自の分析を行った(「 神智学の元ネタを推理する 」)。今回はそれを踏まえて、死後の世界や輪廻転生モデルについて考察してみたいと思う。 神智学系の死後観・輪廻転生観というものは、歴史的にも、幕末・明治以降の近現代日本の神道系・仏教系双方の心霊観(≒スピリチュアリズム)に直接・間接に影響を与えている。なので、神智学の死後観・輪廻転生観をテーラワーダ=パーリ仏教の観点から添削するということは、単に「他山の石」を評価するだけでなく、我々現代日本人という「自山の石」の問題として評価することを意味している。 神智学(ブラヴァツキー)の仮想敵 神智学(ブラヴァツキー)が第 1 に敵視しているのは、教会によってヨーロッパ社会において歴史的に運営されてきた伝統的なキリスト教(神智学はこれを「顕教キリスト教」と呼んで、彼らにとっての本来のキリスト教=「秘教キリスト教」と区別する)である。身内間の遺産争いのようなもので、日本の宗教界の例で言うと、創価学会と日蓮(正)宗の間の争いのような距離感に近いかもしれない。 第 2 に敵視しているのは、唯物思想である。こちらに対しては、「顕教キリスト教」に対するホットな敵視と違って、冷い軽蔑のようなものに近い。 今回のメインテーマは死後観・輪廻転生観なので、どちらかというと後者の唯物思想に対してどのようなモデルが存在するのかということが中心となるのだが、まず先に、仏教の観点から、前者の「顕教 vs 秘教」について、僕の見解を述べておく。 顕教 vs 秘教 神智学では、各社会の中で伝統的に運営されてきた状態の宗教をキリスト教にせよ、イスラームにせよ、ユダヤ教にせよ、仏教にせよ、顕教と呼び、それは形骸化していて、本来のエッセンスを失っていると考える。それに対して、本来のエッセンスとしてのものが秘教(としてのキリスト教や仏教等)であり、秘教はただ一つの共通する宗教だと神智学は言う。つまり、「信じる・信じない」の(顕教的な)宗教ではなくて、秘教というものは自然科学の理論と同様に、この世界の「真実」だから、と。 まあ、その「秘教」なるコンセプトについては、とやかく言うつもりはない。だが、本当に、神智学が語っている、創造神話や、7 の聖数構造論などが、その世界の「真実」たる秘教に該当...